サンドイッチ屋さんの恋
冒険家さん、旅人さんはもう好きにならない。
何度目かの決心も虚しく、私はまた恋をしてしまった。
まいど・さんど、ピケ店で働いて早数年。
ここはジムもなく小さな町だけれど、険しい山道で疲れた人や、鉱山で働く人、観光に訪れた人たちを癒す場所として、パルデアの地にしっかりと根付く、なくてはならない場所だ。そんな地だからか、いや、そんな地だからこそ常連さんは数えるほどで、自慢の接客スマイルを向けるのは初めましての人ばかり。
それでもたまに連日来てくれるお客さんもいる。店外で会うと「サンドウィッチ屋さん!」と声を掛けてくれたり、オススメしたものが美味しかったとか言われると、やりがいを感じつつも、キュンとしてしまったりして。惚れやすい性格だと自覚はしている。恋と呼ぶにはまだ気持ちの足りないくらいのところで去られればまだ傷も浅く済むというのに、がっちりと心を掴んで離さない人も現れたりするから冒頭の決心をサンドウィッチと共に噛み締める日もあった。
お昼時を過ぎ、店内でサンドウィッチを楽しんでいたお客さんたちも食後のコーヒーへと移る頃、ドアベルの軽やかな音が店内に響いた。
「いらっしゃいませ! 一度でも二度でも、まいど・さんどへようこそ! イートインもできますし、テイクアウトも大歓迎ですよ」
この時間にふらりとやって来るお客さんは、大抵お昼ごはんを食べ損ねていて、お腹を空かせていることが多い。今入ってきた男性のお客さんも例に漏れず、両手をお腹に当て、かなりの空腹らしい様子。「やべえ……全部美味そう、決めらねえ」とメニューを前に目を泳がせていた。
「じゃあ、店内で。うーん、オススメってあります?」
「今日はエッグハンバーグサンドが人気ですよ! がっつり系、お好きですか?」
「俺、食いしん坊な顔してました?」
「いえいえ、お洋服がリザードンだったので、パワフルな感じかなって」
「あー、これ? 気に入ってるんだよな。じゃ、エッグハンバーグでお願いします」
「かしこまりました! すぐお作りしますね」
これだけでも食べ応え十分な、ふんわりもちもち自家製パンを軽くトースターで焼いて背開きに。バターをたっぷり塗ったパンの上にボリューミーな拳大のハンバーグを2つ、ケチャップとちょっぴりマスタードを塗って、さらにスライスしたゆで卵をきれいに並べて、美味しくなあれとパンで蓋をして出来上がり。
ドリンクのサイコソーダも添えて、彼の座っている窓際のカウンター席へ持っていく。
「お待たせしました、エッグハンバーグサンドとサイコソーダです。ごゆっくりどうぞ」
待ってました、と言わんばかりに見開かれた目に思わず笑みが溢れた。
店内から「美味しい」の声が聞こえるたび、今日も良い日だなあ、なんて、そんなことを思いながら過ごす毎日。
今日もピケタウンは晴天。降り注ぐ日差しに白いタイルが眩しい。
出勤前に立ち寄ってくれた常連さんたちを「いってらっしゃい」と見送り、朝のラッシュが落ち着いた頃、ドアを開けて入ってきたのは、昨日も来てくれたあの食いしん坊さんだった。
「おはようございます! まいど・さんどへようこそ!」
「おはようございます。昨日の美味くて、すぐ来ちゃいました」
サングラスをTシャツの襟に掛けながら、垂れ目な眼が優しそうな顔をくしゃりと崩して照れたように笑った。今日の服もリザードンデザインだ。
「ありがとうございます! 嬉しいです。空腹は何よりのスパイスですからね!」
「いやいや、それ以上に美味かったんですって! あ、朝のオススメってあります?」
グイ、と乗り出して全身で話す姿に、元気だとテンション高いんだな、と朝によく出る人気メニューをメニュー表で指しつつ説明していく。
「うーん、じゃあそのベーコンレタスに、ウインナーとハム追加で。あ、そういうのできます?」
「ふふふ、できますよ。お肉ばっかりですね」
「それがいいんだって。元気出るだろ」
「そうですね! 私も好きです、お肉」
「だよな! それ2つ、あとジャムサンドも2つお願いします!」
「かしこまりました。お外で待ってるリザードン、お客さんのポケモンですよね。急いでご用意しますね!」
お肉好きの食いしん坊さんは、大きな紙袋を抱えて「いってきます!」と軽く手を振り、元気に出ていった。その勢いに少し呆気にとられてしまい、いつもの接客スマイルと挨拶を忘れ、「いってらっしゃい、お気をつけて!」と半トーン高く返してしまった。次のお客さんに、「お姉さん、顔赤いよ?」と言われ、慌てて「ね、今日も朝から暑いですよね〜!」なんて誤魔化したけれど、これあれ、私またやっちゃったな。
次の日も、彼は昨日と同じ時間にやってきた。
「いらっしゃいませ! おはようございます!」
「いやあ、昼、朝ときて、夜食べたらどんだけ美味いんだろとか思ってたんだけど、我慢できませんでした」
「うふふ、また来てくださって嬉しいです。今日のお洋服もリザードンなんですね」
「ああ、これ? なんかつい買っちまうんだよな」
「わかります。好きなものってつい目に入っちゃいますよね」
ちょっとした会話が嬉しい。そんな風に思ってしまっている。
ダメだって。ふらっと入ってくるお客さんはすぐ旅に出ちゃうってこれまでの経験でわかってるでしょ、私。
「俺の最初の相棒。カントーからずっと一緒でさ」
ほら、ね。言わんこっちゃない。
「カントーから。では旅の途中、なんですね」
「んー、まあ、そんな感じ、ですかね」
よし、今回は早めにわかってよかった。うん。非日常感に浮ついただけ、そう、それだけ。
「今日もお肉たっぷりめにしますか? ソース変えても美味しいですよ!」
「なにそれ、美味そう!」
私は、この町のサンドウィッチ屋さん。今日もお客さんのお腹と心を満たすために頑張ります。
この日は週末で朝から慌ただしく、お昼のラッシュ時に加え、観光客の団体さんもやってきて、前日たっぷりと用意していたはずの具材がほぼ無くなってしまい、近くのハッコウシティへ買い出しに行こうとしていた。
「あれ、今日はもう店じまい?」
背中に、リザードンの相棒でお肉好きの食いしん坊さんの声がした。表に掛けている開店中のドアプレートをひっくり返している時だった。
「すみません。こういうこと滅多にないんですけどね。できるだけ早く開けますから」
「謝ることないですよ。それだけ美味いってことなんだし」
せっかく食べにきてくれたというのに、その笑顔、眩しすぎてつらい。急いで行って帰ってこよう。
「それでは、また」
「俺も一緒いい?」
「え?」
「買い出し。ハッコウシティだろ? ボディーガード。どう?」
「で、でも」
「いつも腹満たしてくれてるお礼と思ってくれれば」
「お礼って、お代はいだだいてますし。来てくださったってことはお腹空いてるんじゃ……」
「いいんだって! 帰ってきて作ってもらうから」
な! って爽やかにウインクまで飛ばして。気さくな人柄だからか、砕けた話し方になっても不快感がない。むしろ好感度上がったりして……ああもう、人の決心も知らないで、って知るはずがないのだけれど。
エプロンを脱ぎ、髪を結び直して少しだけよそ行き風に。肩掛けの大きな保冷バッグを持って裏口から出ると、彼が待っていてくれた。
ハッコウシティまでは鉱山エリアを道なりに進む。そこまで大変なルートでも危険なポケモンがいるわけでもないし、今日のように臨時で買い出しに行くこともある私にとっては歩き慣れた道でもある。
「で、今日は何買うの? 肉系か?」
「はい。ハムとベーコンと、ウインナーを多めに。あとチーズと卵に果物も。たっぷりお肉派のお客さんがいまして」
「そりゃ俺のことだな」
「ふふっ、バレちゃいましたか」
「さっきからニヤニヤしてるし、顔に書いてあるぞ。この人、すんげえ食うからな〜って」
「違いますよっ、よく食べるな〜くらいです!」
「同じだろ!」
「あはは、お客さんと話してると、あっという間に着いちゃいそうです」
岩肌の向こうに、ハッコウシティを照らすカラフルなライトが薄らと見えてくる。
「フリードだ、名前」
「……フリード、さん」
名前、知ってしまった。
さっきまで“リザードンの相棒でお肉好きの食いしん坊なお客さん”だったのに、隣を歩く彼の輪郭がハッキリとしていく。カウンター越しではわからなかったけれど、並ぶと身長が高いところとか、健康的な肌の色が素敵だとか、少し長めの白髪が綺麗だとか、そのピョコンと跳ねてる襟足が可愛いだとか、眉間にシワを寄せて笑う姿とか、毎日違うリザードン柄のTシャツを着ているところだとか、目に映る彼の全てがキラキラと輝いて見える。
ダメだって言い聞かせているのに、心は素直に反応して、キュンと甘酸っぱい気持ちをこれでもかと脳に送ってくる。もし、全身に巡ってしまったら……。
「ふ、フリードさんはピクニックしないんですか? パルデアといえば、ってやつなんですけど」
「んん〜、まあ知っての通り、肉しか入れないからなあ。買ったやつでもいいんだろ? 俺はそれで十分さ」
「そう、ですね! 空の下で食べるサンドウィッチは格別ですもんね!」
「だろ?」
だから今日も楽しみなんだよ、と白い歯を見せてニシシと笑った。
フリードさんが言った言葉に深い意味なんてないのだろうけど、パルデア地方の旅の醍醐味であるピクニックを、私の作ったサンドウィッチで十分だ、楽しみだと言ってくれた。サンドウィッチ屋をやっていて、こんなに嬉しいことはないし、ここまで言ってくれたのは彼が初めてだ。
少しずつ顔を出していくビル群を横に、長い脚がゆったりと持て余されながら進んでいる。フリードさんが私に合わせて歩いてくれていることに気がつくと、カアと首まで熱くなった。
あれ、これ巡りかけてる? でも言葉にしていないから、きっとまだ大丈夫だよね。
「……あの、歩幅、合わせてくれてます、よね?」
「バレた?」
バレるもなにも、バレたって言い方も、それさっきの私の真似? とか考えちゃって、何もかも、何もかも、私の心を鷲掴みにする。
ゴトン、と中身の揺れた保冷バッグにサイコソーダを入れてきたことを思い出す。火照る肌も苦しい胸も、このシュワシュワと軽いソーダが流してくれる気がした。
「これ、どうぞ」
「お、サンキュー、ちょうど喉乾いてたんだ」
フリードさんはボディガードらしく、ビリリダマの爆発に気をつけてだとか、アノクサに引っかからないよう気をつけてだとか、ポケモンを見かけるたびに声をかけてくれた。砂埃が減り、緑が増えていく。この坂を下れば、ハッコウシティだ。
無事買い出しも終え、元来た道を歩く。お客さんにそんなことさせられないと断ったけれど、フリードさんは荷物を持ってくれて、また他愛もない話をしながらピケタウンへと帰った。
「買い出し、一緒に行ってくださってありがとうございました! フリードさんのおかげでおやつ時に間に合いそうです」
「いいや、言い出したの俺だし。間に合ってよかったよ。んじゃあ夜、食いに来るわ!」
そう言って、リザードンに跨り飛び立って行った。
また夜にフリードさんが来る。ダメだって何度も決めたはずなのに、気づけば私はその約束みたいな言葉を胸に、お腹を空かせた彼がふらりと現れるのを楽しみにしていた。
たった一言でこんなに浮かれるなんて。昨日の決心も何だったのってくらいにグラグラで。ほんと、私ってば、懲りないやつだ。
今日のピケタウンも気持ちのよい、いい天気。訪れた人々の楽しそうな声が聞こえる。
ドアベルが鳴るたびに期待して、窓の外に彼っぽい人影を見つけてはドキッとしたり。もし彼だったとしても顔に出ないよう、接客スマイルは崩さず、ピケ店のサンドウィッチ屋さんをしていた。
「こんにちは、いらっしゃいませ! まいど・さんどへようこそ!」
「やあ、昨日ぶり。全メニュー制覇すんじゃねえかって勢いだよな」
「もうお肉メニューは制覇してますよ」
「だあ、やっぱり! んじゃ、今日はこのポテサラサンドに、やきチョリソー2本追加、肉マシマシで!」
「ふふっ、今日も安定ですね。かしこまりました!」
マヨネーズでねっとりと、けれどもジャガイモのゴロッと感もほどよく残して、さらにざく切りゆで卵とシャキシャキたまねぎスライスを混ぜ合わせ丁寧に仕上げたポテトサラダ。その上にピーマンスライスと、ピリ辛があとを引くチョリソーをパリッと焼いて乗せ、美味しくなあれとパンで蓋をする。今日はそれに、おまけを付けて、出来上がり。喜んでくれるといいな。
「お待たせしました!」
「お、待ってました! ん? ……おっ、リザードンのピック?」
「いつも来てくださっているので、心ばかりのお礼の気持ちです。ピクニックでサンドウィッチ作る時、仕上げに飾りつける方多いんですよ。ぜひピクニック気分、楽しんでくださいね!」
「うお〜マジか! すげえ嬉しい。ありがとな!」
「ふふ、気に入ってもらえてよかったです。こちらこそいつもご贔屓にしてくださりありがとうございます!」
青い空に吸い込まれるよう飛んで行くフリードさんを見送って長い息を吐くと、トクントクンと静かに高鳴っていた鼓動にハッとした。私、仕事中も彼のことばかり考えてる。ちゃんとサンドウィッチ屋さんの顔、できていた、よね。
それから、フリードさんは時間にバラつきはあるものの、毎日通ってきてくれた。
たくさん持っていると話してくれたリザードン柄の服も、たまに見覚えのあるものになって、見るたびにお気に入りなのかな、なんて心の中で思ったりしていた。
「なあ、このピック、何本か集めたらさらに特典とかあったりする? ポイントカードのスタンプみたいな」
紙袋の中を覗いたフリードさんが、サンドウィッチの仕上げに挿したピックを見て、思い出したようにポツリと呟いた。
「えっと、そこまで考えてませんでした。食べ終わったら捨てるものだと思ってて。その方が皆さんに喜んでもらえますかね?」
「そうだなあ。旅の思い出にとっとくヤツもいるんじゃねえかなと思ってさ、俺みたいに」
「思い出かあ……。そうですよね! そっかあ、なるほど。考えてみますね!」
その日を最後に、次の日も、その次の日も、そのまた次の日もフリードさんは店に来なかった。
今日こそは、と閉店まで待ってみたけれど、姿は見かけなかった。もう旅立ってしまったのだろう。あの時、旅の思い出に、なんて言っていたのは、来られなくなるとわかっていたからかもしれない。
ダメだってわかっていたのに、自分が嫌になる。
こんなこと、今までに何度も経験してきたじゃない。これまで通り、諦めて、切り替えて、いつもの毎日に、仕事に、忙しくしていたら、きっと忘れられる。忘れて、忘れてしまえば、そうすればもう――。
「……忘れたく、ないなあ」
私はフリードさんのことが、どうしようもないくらい好きになってしまっていた。
他の街との中間地点な、小さな町、ピケタウン。そんな場所に訪れた人だけの、おまけのピックに込めた“また来てくださいね”の気持ちは、前任者から引き継いだ思いでもあった。それを進化させる提案を他店舗へ相談すると、引き続きピケ店のみで行うことが決まった。思い出として、捨てずにとっておいてくれる人もいる、そう教えてくれたあの人のために。私なりに考えた、“有効期限のないキャンペーン”だ。
お知らせを出してからは、「このピックも対象ですか?」と持ってきてくれる常連さんもいて、長く愛されている店なのだなあと感動してしまった。
彼もどこかで、この話を聞いてまた来てくれたらいいな、と今日もそっと店の電気を消した。店舗内の戸締まりをして、裏口の鍵を閉めれば、サンドウィッチ屋さんの一日が終わる。ひんやりと冷たい空色のタイルを撫でながら歩いていると、別れ道の先に人影があった。通り道にもなっているこの町は、夜は暗いけれど人通りが多い。会釈して通り過ぎよう、そう思って軽く頭を下げた時、どうしようもなく聞きたかった声が私を呼び止めた。
「フリード、さん?」
よく見れば、肩にピカチュウが乗っている。新しい相棒なのかな。
「しばらく来れなくてすまなかった」
「……いえ、お元気そうでなによりです」
彼はどんな顔をして謝っているのだろう。暗くて表情までは見えない。けれど、彼にも私の顔は見えてはいないのだと思うと、少しホッとした。
「俺、旅に出るよ。世話になったし、挨拶くらいしとかないとなと思ってさ。サンドウィッチ美味かったぜ、それに楽しかった」
「私も、……すごく、楽しかったです」
「ホントはサンドウィッチ食いたかったんだが、間に合わなくて。……最後に、顔見れてよかった」
ちゃんと返さなきゃと思うのに、静かに涙が頬をつたうだけだった。
フリードさんは私の言葉を待たず、「じゃ、またな!」と駆け出し、坂の途中でボールから出したリザードンへ飛び乗った。飛び立ったリザードンの炎は、坂の先で上昇し、少しずつ小さくなって、やがて夜に紛れて消えた。
灯りが消えても、あたたかいものが胸に残っている気がした。忘れたくない。こんなにも強く思うなんて。
……顔、見えてたんだ。泣いてるの、気づかれたかな。私だけ見えなかったの、ちょっとだけずるい。でも、それでよかったんだと思う。あのときの彼の顔を知らないから、こうして前を向けるのかもしれない。
たぶん、きっと、待ってるだけじゃダメなんだ。
「またな、か。……私も、出てみようかな、旅」
もう遠く、見えない背中に、新たな小さな決意が芽生えた。
write 2025/6/5