6話 帰路
届いた一通のメールには、今電話いいですか? と書いてあった。
こんなことを聞いてくるのは、母だけだ。そして嫌な予感しかしない。承諾の返事を送ればすぐに既読がついて、着信音が鳴り響いた。
「もしもし」
『もしもし、元気? 忙しいのにごめんなさいね』
「ううん、大丈夫。どうかしたの?」
母と話す時はどうしても身構えてしまう。電話越しだと少しは落ち着いて話せることに、僅かばかりホッとする。
『町の研究所の博士がご高齢で引退されることになってね、どうせなら同じ出身の博士に継いでもらいたいらしいの』
「それで私に連絡したの?」
『そうよ、いい話でしょ。自分の研究所が持てるのよ』
「研究なら今も出来ているし、ここでやりたいことがあるの。私は辞退するわ」
『ちゃんとした研究所に入ったかと思ったら勝手に辞めて、一体何考えてるの』
「博士を辞めたわけじゃないし、そもそも私の勝手でしょ」
母の身勝手な言葉に落ち着いていた心がざわつき、語気が強まっていく。母と話すといつもこうなる。苦手だ。
都会でも田舎でもない、カントー地方の小さな町で生まれ育った。
トレーナー育成のカリキュラムを組み込む学校も多い中、私の通う学園は学業優先、ポケモン出入り禁止のトレーナーのトの字もない、ポケモンといえば図鑑に記された2行ほどの知識がおまけのように増えていくだけの進学校だった。窓の外にはこんなにもポケモンで溢れているのに、ただ机に向かって文字ばかりを追う毎日。
「そんなにポケモンのことが知りたいなら、有名博士になれるくらい勉強しなさい」
元教員で今は地元で塾の講師をしている母の言葉。昔、ポケモン博士を目指していたというのを父から聞いたことがある。なぜその道を進まなかったのかは知らない。知っているのは、ポケモンは嫌いではないということ。私だって博士にならずとも、ただこの世界に共に生きるポケモンのことが知りたかっただけだ。
家にポケモンはおらず、穏やかな父の趣味である釣りが唯一ポケモンと触れ合える時間だった。川や海に住むポケモンだけでなく、綺麗な水辺の周りにはポケモンが集まっていた。そしてそれはとても人懐っこく、幼い私は心が踊った。父へどうしてかと尋ねると、「人とポケモンは共存しているんだよ」とだけ答えた。そう話す父は、釣り場へ行く道中やその先でゴミを拾い歩いていた。
共存とは互いに助け合うこと。私の中で何かが開けた気がした。
博士になることを条件に編入した先の学校で出会ったのがフリードだった。教室で文字ばかり追っていた元の学校とは違い、座学もあるが自主性を重んじた校風はフィールドワークが盛んでより深くポケモンを知り、そのために自分は何をすべきかを考えることができた。
最初はその場しのぎの口約束だったが、博士になる道を選んだのは、私だ。
『フラフラしてそれがやりたいことなの? あなたにとっていい話だと思うのよ、』
聞いていると気が滅入る。苦しい。私を、ここに居るみんなを否定しないでよ。いい大人なのだから何がいいのかくらい自分で決められるし、責任だって持てる。“あなたにとって”、“あなたのためを思って”。幼い頃は言葉通りに信じてきた。けれど、本当に私のためなのかと疑うようになった。人はそれを親心や反抗期という言葉を当てはめるのかもしれないが、うちはそれとは違う気がした。
「もういい、私は帰らないから。申し訳ないけどその話、断っておいてください」
母がスピーカーの向こう側で何か言いかけていたが一方的に切った。どうせ私が何言ったって聞いてはくれないのだから。
「……外の空気吸おう」
嫌なものが溜まっているみたいで居心地が悪く、逃げるように自室を出た。
「よお、
〇〇がデカい声出すなんて珍しいな」
ドアを開けると、向かいの壁側に彼がいた。腕を組んで壁へ寄り掛かり、長い脚を交差させている様子を見る限り、来たばかりという感じではなさそうだ。
「フリード……ごめん、聞こえてた?」
「地元、帰るのか」
体勢を戻した彼が、私の前に立つ。降ってくる声は責めるような声ではなく、心配しているような優しくゆっくりとした声だった。
「ううん、帰らない。帰りたくない。私には必要ないものだから」
「見合い話でも来たか?」
「ちが、そんなんじゃないよ。まあそれに近いかもしれないけど、昔から私の進む道に口を挟んでくる母の勝手な暴走。それを断ったの、大丈夫」
「本当に?」
息継ぎもそこそこに一気に話す私に、彼は先ほどと同じ声色で聞いた。あまりにも柔らかく包み込むような声に、本当のことを言わなくてはいけない気持ちになってくる。
「……うん、ちょっと疲れただけ。もう心配されるような歳でもないのにね」
「いくつになっても親は親ってことさ」
「なんでフリードが親目線なの」
「最近子どもたちと行動共にすること増えただろ? 見ていると、こう父性がね」
彼は、まあまあ、と言いつつ肩をそっと抱き、私の部屋の中へ戻った。
部屋にはまださっきの会話が漂っている気がして入りたくなかったのに。
せめて窓を開けようかと身体を動かしたが、ふわりと抱き寄せられ、私は窓へ近づくことなく彼の腕の中におさまった。
「胸くらい、いつでも貸すから。一人で泣くな」
ぴたりと寄り添った右耳へ声が直接響いて、不思議な感じがした。けれど、彼の胸はあたたかくて、落ち着く。気持ちがゆるゆるとほぐれていくのがわかる。
「泣いてなんか、ないよ」
そうか、とまた優しく呟いて、私の頭をぽんぽんと撫でた。離れがたくて彼の腰へ腕を回す。ぎゅっと抱きしめてみれば、フリードの匂いがした。同じ洗濯洗剤を使っているのに、ちゃんと彼の匂いだ。
「お、あ、汗臭くないか?」
「ううん、フリードの匂いがする」
「それってどっち、大丈夫なやつ?」
なあ、大丈夫なんだよな、と慌てる彼が面白くて、笑いが止まらなかった。チクチクと痛む心も、息苦しいほどに締め付けられていた胸も、漂っているように思えた嫌な空気も、すっかり消えていた。
また助けられてしまった。私もフリードの力になりたいのに。
それから一週間ほどが経ち、船のメンバー全員はリーダーとキャプテンによって、ミーティングルームに集められていた。
「次の目的地までの航路途中、カントーへ一時寄る。物資調達も兼ねてるから各自足りない物をチェックしておいてくれ」
はーい、オッケー、了解、とみんなの気合の入った声が部屋に響き渡り、リーダーであるフリードの解散の合図で席を立つ。私も担当していた物資の一覧をアプリで開き、確認のため倉庫へ向かおうと椅子を引いた。
「
〇〇は話があるから残っていてくれ」
「うん、わかった」
最後のポケモンがミーティングルームから出るのを見送った後、彼が軽く咳払いをした。
「話って? 何か渡してない資料とかあったっけ。それとも頼まれてた調べ物?」
「いや、それは問題ない、
〇〇のおかげで順調だ。頼んでたやつも大丈夫だ、引き続き頼む」
私が返事をしても彼は言い出しにくそうに口ごもり、頭をわしわしと掻いている。自分の話を誤魔化す際によく見かける姿に珍しく思い、どうしたの、と声をかけた。そして申し訳なさそうに「あれからお母さんから連絡はあったか?」と聞いた。私に遠慮していたのか、と彼の思いやりに顔が緩む。
「一回だけあったよ。もう一度ちゃんと考えてみないかって」
「……見合いを?」
「だから違うってば」
勘違いしていそうな彼へ、母からの電話の内容を説明した。途中彼は、難しい顔をして人差し指を顎に当て、考え込む時の仕草をしていた。
「なんだ、見合いじゃないんだな」
「そうだって何度も言ってるでしょ。でも、地元に自分の研究所構えたらそこから動けないのよ。私、嫌だよ」
旅が終わるのも、冒険が出来ないのも、フリードやみんなと離れるのも。フリーになりたての時、ぐるぐると世界を駆け回っていたせいか、いつの間にか私も一つの場所にじっとしていられなくなってしまったみたいだ。
「じゃあ一緒に行ってやる」
「え、」
「んで、俺が説得する。わだかまりがあるままなんて、
〇〇も落ち着けないだろ」
「大丈夫かな、結構手強いよ?」
「だーいじょうぶだって、これでも交渉事は得意なんだぜ? あと2週間くらいで着くだろうからその辺りで都合つく日聞いといてくれ」
「……ん、わかった。ありがとう」
「心配すんな、なんとかなる」
彼の力強い言葉に、私は静かに頷いた。
予定通り2週間後、カントー地方へ到着。
船は私の地元の町へ繋がる道と、物資調達に便利な大きな街の間に停泊した。
約束の日は明日。買い出しのついでに両親の好きなお菓子の店に寄る。何度も買ったことがあるのに、こんなにも緊張して手に取ったのは初めてだ。一方彼は、余裕そうな顔で買い食いしていた。あまりにも普段通りすぎて、なんとかなる気がしてくる。
そして当日。いつものラフで動きやすい格好とは違い、仕事着のジャケットにブラウス、下はパンツに着替えた。実家に帰る方がピシッとするなんて変だ、と鏡に写る自分に苦笑いしつつ、荷物を持って船を出る。待ち合わせのスロープの下には、すでに彼がいた。
「お待たせ、ってフリードその格好!」
「ん? だって挨拶に行くんだ、当たり前だろ? 第一印象大事!」
額にはトレードマークのゴーグルもなく、いつもピョンピョン自由に跳ねている髪も綺麗めにまとめられていた。何より彼が身につけていたのは、スーツ。丁寧にネクタイまで締められている。
なんだか結婚の挨拶にでも行くみたい、って私たち付き合ってすらいないのに。何考えてるんだか。
船から家までは歩くことにした。心の準備が必要だった。無言だったり、変わらない風景に和んだり、あれはと聞く彼へ答えたりしながら歩いた。
「……ここが私の家、です」
一度深呼吸をする。震える指でチャイムを鳴らそうとした時、ガチャリとドアが開いた。
「あら、そろそろだと思ったのよ。久しぶりね、
〇〇」
「お母さん。久しぶり、元気だった?」
「元気よ、お父さんも。相変わらず釣りばかりしてるけど」
緊張していたが、思ったより普通に喋ることができた。
「初めまして、
〇〇さんが乗っている船のリーダーをしています、フリードです」
「初めまして、フリードさん。
〇〇の母です。立ち話も何ですからどうぞ上がってください」
「ありがとうございます、お邪魔します」
母に続いて彼が入り、その後を着いていく。自分の家なのに。
「……ただいま。お母さん、これ。近くに船停めてたから」
「ありがとう。お父さんも喜ぶわ。後で出すわね」
リビングへ行くと、ソファには父が座っていた。ゆっくりと立ち上がり、「おかえり、
〇〇。初めまして、フリードさん」と挨拶をした。挨拶を返したところで、キッチンにいる母から呼ばれ、そちらへ向かう。手伝いながら二人の様子を伺うと、向かい合って仲良さげに会話をしている。時折笑い声も上がっていた。
お茶の準備が整い、母がコーヒーとお菓子をテーブルへ置いた。私も彼の隣に座る。盛り上がっていた二人はひとしきり喋り倒したようで、コーヒーを美味しそうに啜っていた。父がソーサーへカップを置き、彼も続いて置く。
「改めまして、本日はお時間を作っていただきありがとうございます。お伺いしたのは、」
「この町の研究所の件でしょう?」
「はい、
〇〇さんからお話は聞いています。同じくポケモン博士である私も大変名誉な話だと思います」
「でしょう?」
「ですが、
〇〇さんは私たちの仲間であり、私個人にとっても大切で、なくてはならない存在です」
「それはどういう……」
徐々に怪訝な顔をし始めた母へ、私は慌てて口を開いた。父は静かに座っている。
「き、共同研究をしているの。彼はポケモン分布図の制作者で、それについての論文も発表しているのだけど、その更新を手伝ったり、水質や水辺近辺の調査などを任されているの」
「分布図の制作者。フリードさんって、あのフリードさん? お写真と違うからわからなかったわ」
「アハハ、ですよね! 気合い入れて来ました。
〇〇さんとは学生からの付き合いになりますが、その頃から細かいところまで深く考える姿勢に気づかされることも多く、彼女の優しさゆえに導き出される研究内容には信頼を置いております。先日、水辺に住まうリージョンフォームポケモンの調査報告書を読ませてもらった時には、」
「最初はお一人で作られたのだから、今更娘の手伝いなんていらないでしょうに」
顰めていた眉は戻ったものの、語気を強めた口調で彼の話を遮った。それは、と言葉を選ぶ彼に申し訳なく、どうすればいいのかと私も必死に言葉を探す。だが、探している時点で、きっと母には勝てないのだと今までの経験から私はわかっていた。
「このお菓子は相変わらず美味いな、なあ母さん。初めて
〇〇がこれを買ってきてくれた日のことを思い出すよ」
「何よ、お父さん、急に喋ったかと思えば、」
「自ら選んで前へ進める子だよ、彼女は。きみも知っているだろう? それに大丈夫だ」
ね、と父から目配せられた彼は、「はい!」と大きなよく通る声で返事をした。父の言葉に、母はふうと息を吐いて、肩を下げる。
「……わかったわ。研究所の話は断っておきます」
「え?」
「
〇〇のやりたいこと、続けなさい」
あっさりと引いた母に毒気を抜かれた。そういえば、学校転入時も父がヒートアップする母へ何か言って話がまとまったことを思い出す。隣では、彼が眉をふにゃりと下げ、よかった、と呟いた。
帰り際、彼は母に呼び止められ、何かを話していた。私は父と話していたため、内容までは聞き取れず、別れの時間に。
船への帰り道、ふと見上げた彼の耳は、見たこともないほどに真っ赤で。理由を尋ねても、フリードは「また今度な」と笑って、ごまかすだけだった。
「あー、やっぱカントーの空は落ち着くな」
「うん、わかる。あ、ね! あれ、あの雲、キャップのボルテッカーみたいじゃない?」
「おお、ホントだ! 写真撮っとこ」
「ありがと、フリード。また助けてもらっちゃったね」
「ん? 今回、俺は何もしてないよ。それに、助けてもらってるのは俺の方さ」
「そうかな」
「そうだよ」
「父がね、フリードによろしく、だって」
「へっ!? あ、ああ! もちろん、もちろんですとも!」
こうして私は、彼の言う通り、わだかまりもなくなり、気持ち新たにライジングボルテッカーズの仲間とブレイブアサギ号で旅を続けられることとなった。
To Be Continued
write 2025/4/24