4話 今昔
眠れない、と伝えた夜は不思議と落ち着いていた。
彼も静かに頷いて、じゃあ眠くなるまで明日の予定でも練るか、と隣に座った。ただただ穏やかに流れる時間に、満たされる思いだった。
翌朝、私たちは空路の途中にある、パルデア地方へ行くことにした。
「あんたたち、デートにそんな荷物いる?」
フリードと私の足元に置いてあるキャンピングリュックに驚いたオリオがつっこむ。
数日かけて何をするか話し合った結果、フリードの作成した分布図の更新、ということになった。ただの観光ではないところがなんとも私たちらしい。
「へへへ、半分趣味、半分仕事みたいな感じ」
「日帰りの荷物じゃないって」
「無理してない?」
彼がリザードンへ着けたハーネスへ荷物を括り付ける横で、オリオとモリーがせっかくなんだからオシャレしてらしいことすればいいのに、と聞こえるように言った。振り向いた彼が、「これが俺たちらしいんだよ、な!」と手を腰に当て、生き生きと言う姿に私は頷いて、二人は
〇〇がいいなら、と困ったように笑った。
「んじゃあ行ってくる! 船は任せた、キャップ」
「カッチュウ!」
フリードとキャップが拳をぶつけ合う。キャップのキリリとした目がなんとも頼もしい。二人のバディ感を羨ましく見ていると、彼が私の前に手を差し出した。
「……俺がエスコートしても?」
「うん、……ありがとう」
王子様みたいだ、なんて一瞬思ってしまった。彼に促されるまま手を引かれ、リザードンの背中へ。何度か撫でさせてもらったが、手入れの行き届いた肌はサラサラしていて触り心地が良く、ほんのりおひさまの匂いがして温かい。
「なんかあったらすぐ連絡するんだよ、
〇〇」
「ふふ、心配しすぎだよ。でもありがとうね」
見送りに来てくれた船のみんなが「いってらっしゃい!」と手を振る。マードックが「気をつけてな」とお弁当を渡してくれた。焼きたてパンのいい香りのするそれを大事にショルダーバッグへしまう。なんだか大冒険へでも旅立つような盛大なお見送りだ。
「ありがとう、みんな」
「なあ、俺の心配は?」
あまりにもみんなが私ばかり気にかけるため、後ろに座るフリードがぶうぶうと唇を尖らせた。仕方ないなあと言うようにキャップがふりふり手を振ると、キャップだけかよお、と情けない声を上げ、それにみんなが笑う。
リザードンが翼をはためかせ、地面を軽く蹴り上げると宙に浮いた。
「いってきまーす!」
「いってくる! 行くぞ、リザードン!」
「ワウ!」
かくして、私たちのあの日の約束の続きが始まった。
パルデア地方、森の中。街の外れから林へと入り、フリード博士が作成したポケモン分布図と照らし合わせながら歩いている。リザードンに乗っての空の旅は、慣れないポケモンライドと、二人乗りの密着する姿勢が合わさり、始終心臓の音が騒がしかった。学生の頃も何度か乗せてもらったが、なんというかリザードン、フリード共に逞しさが違ったのだ。
「ここまでは前回の更新日と変わらないみたいだね」
「ああ、気候、地形、食料となるきのみの量、変わり無いようだ。どのポケモンたちもリラックスしてる」
「うん、こっちも水質水量共に安定。水辺に集まる子たちも安心して水飲みに来てるね。争った形跡もない。この感じだと上流も安定してそう」
サンプルから採った数値と前回調査された数値を確認し、スマホで周辺の写真を撮る。彼も記録を取りつつ、細かく周辺の観察を続けた。この感じ、すごく懐かしい。
「助かるよ。専門家がいるとやっぱ違うな。もう俺と
〇〇の共同研究ってことにすっか」
「え、そんな! 比較できるのはフリードの正確な調査のおかげだよ」
「遠慮すんなよ。憧れるだろ? 連名で載るんだぜ」
「それは、そうだけど」
……連名で載るって夫婦みたいじゃない。確かククイ博士とバーネット博士も最近連名で論文出してたな。わあ、もうフリードが憧れてるのはそこじゃないって、さすがに自惚れすぎ。火照る頬を手のひらでペチペチと叩いて気を引き締める。
上流へと進むにつれて、足元の草は少なくなり、サクサクとした踏み音に砂利のざらつきが混じってくる。
「ねえ、これ」
「ああ、珍しいなあ。この引きずった跡のようなものは一体……」
ヘビポケモンが通った跡に似た、うねりのある溝は川の上へと続いている。パルデア地方に生息するヘビポケモンはもっと南にいるはずだ。彼は作成した分布図を確認すると、うーんと唸りながら手を顎に当てる。足跡、身体的特徴、習性など考えても該当するポケモンがいない。
「もしかして、この辺りに生息する新たな個体、とか? でなくてもケガを負ったポケモンというのも考えられるし、まだ発見されてない習性とかかも」
「だな! 分布図更新のついでにちょっとだけ追ってみるか」
「引き返す時間もあるし、ちょっとだけ」
途中、マードックからもらったお弁当を食べ、もうちょっとだけ、と先へ進む。目の前の謎、二人での探究、何もかもに心が躍る。
跡を追って進むと辿っていた痕跡は砂利道を外れ、草むらで消えていた。周辺を探索してみてもそれらしきポケモンは見当たらず、結局、謎のまま終わった。
ただ、“ちょっとだけ”と言い出したのは、いったい誰だったのか。気づけば日は傾き、森の中は木々で薄暗くなり始めていた。夢中になりすぎて時間を忘れてしまったのだ。
「私たち博士なのに、いい大人なのに、気づいたら夕方って」
彼も私も、ポケモンが好きだからこそ頭に多くの“もし”が浮かんで、のめり込んでしまった。だとしてもこの状況は大人として、冒険者として褒められたものじゃない。
「アハハハ! いいじゃねえか」
「あははって、いいじゃねえかって、帰れないんだよ?」
「道具は揃ってるんだ、連絡すれば解決! 寝るとこ探すぞ! この辺りはきのみも豊富、よかったな!」
彼は、水を得たコイキングのように跳ね回っている。あ、コイキングは陸でも飛び跳ねるんだった、フリードも。
「変わってないなあ、もう」
スマホロトムに船員のみんなとの通話をお願いする。電波はある、一安心。でも……通話呼び出しの間がこわい。
『やっほー、
〇〇、どうした? 船の位置情報はドットが送ってくれてるよ』
先に映ったのはオリオ。食事の準備中だったのか、広角になってキッチン全体とみんなの様子が映し出される。
「あのね、かくかくしかじかで帰れなくなりまして」
一同の叫び声でスマホロトムがビクリと飛び跳ねた。
『まったく。そんな予感はしてたよ』
『奥でキョロキョロしてるヤツは大丈夫なの? 不安しかない。迎えに行こうか?』
「あはは、大丈夫、大丈夫。みんなはそのまま進んでて。私もキャンプは慣れてるし」
『仕方ないなあ。この似たもの夫婦が!』
『え、ふたりっていつ結婚したの?!』
『きゃあ、お祝いしないと!』
『ウエディングケーキは俺に任せな! 盛大にデッカいやつをだな、』
オリオの冗談に、純粋な子どもたちとマードックがキラキラした目を向けてくる。これ以上大声で誤解を招くような発言を続けられるとフリードにも聞かれてしまうと焦った私は弁解するも、画面の向こう側は大盛り上がりだ。
「わー! わー! ごめんね! 気をつけます! また明日ね!」
「ん? みんな何だって?」
「気をつけてね、だって」
「な、俺に至ってはよくあることだし、無断外泊じゃなければ案外アッサリなんだぜ?」
無断外泊もあったんだ。この言い方、こってり絞られたこともあるな。それにしても、だ。さっきの連名云々のこともあって、余計に焦った。聞こえてないみたいでよかった。
「あっちにいい感じの洞窟があったんだ、そこで休もう」
「うん!」
少し進んだところで川は本流と小川に分かれていた。こっちだ、と言う案内についていくと、小川のそばに、背の高い彼が余裕で入れるくらいの洞窟の入り口があった。中も十分な広さで、夜が近いというのに野生ポケモンの気配はまったくなかった。
「今日さ、なんだか昔に戻ったみたいだね」
「結構いろんなところでキャンプしたよな。カントーはほぼ回ったんじゃないか?」
「こんな洞窟もあったよね、誰もいないと思ったらガルーラ親子の家だったとかね」
「おいおい、フラグ立てんな、あん時許してもらうまで大変だっただろ」
「あはは、そうだった、懐かし〜」
昔を思い出しつつ彼を見上げてみれば、ほんのりと汗ばんだ額に髪が張りついていて、あの頃より少しだけ大人びた表情をしていた。けれど、その目に映る好奇心と優しさは、何も変わっていない気がする。
思い出話に花を咲かせながらも平らな場所に焚き火の準備をして、その近くにシートを敷き、寝袋とランプを置く。これで寝床の確保は完了。夕飯の準備は入り口の外でやることにした。日帰りだとわかってはいたが、食料は必要だろうと念の為入れておいたレトルトのカレーをメインに、きのみのサラダとスープを作る。スープは学生の頃にもよく作っていたものだ。
リザードン、ヤドンとマリルにもフーズときのみのサラダをよそって、食卓を囲んだ。準備が進むにつれ、匂いに集まってきた人懐っこい野生のポケモンたちも一緒だ。
「
〇〇の独特な味付けも懐かしいな」
スープを啜った彼が感慨深げに言う。
「え、変な味する? マードックに料理習ってるんだけどなあ」
「誰もマズイなんて言ってないだろ? 俺はこれが好きなんだよ」
嫌味なのかお世辞なのかと疑ったけれど、彼は本当に美味しそうにパクパクと食べ、何度もおかわりをした。最後の方にはリザードンと取り合いを始めたほどで、その様子を見て、無理をしていたわけではなかったのだと私もホッとした。
夕食後は片付けを終わらせ、早めに休むことに。普段ヤドンのお腹を枕にして眠るマリルは、ヤドンと一緒にリザードンの丸まった懐の中で寄り添うようにして眠っている。これも昔、よく見た光景だ。
「なあ、寝たか?」
焚き火を挟んで向かい側にいるフリードが、囁き声で言った。
「ううん、まだ起きてるよ」
「な、眠れねえよな」
そっと洞窟から抜け出した私たちは、岩に腰掛けてココアを飲むことにした。パチパチと小枝が爆ぜる音と、小川のさらさらと流れる音が耳に優しい。夜行性のポケモンの声も時折聞こえる。ブレイブアサギ号からほどではないけれど、木々の合間から見える夜空はとても綺麗で、ぼんやりと眺めていた。
触れそうな肩。先ほどより僅かに冷えたからか、隙間に彼の体温を感じる。そんな穏やかな夜の空気を揺らしたのは彼の声だった。
「あの頃はこんな日が永遠に続くような気がしてた。学校なんだから卒業もあって、その先もあるのにさ」
彼の口からあまり聞くことのない控えめな言葉に、「私も」と静かに返事をする。
「俺、世界の全てを知った気になって、勝手につまらなくなって。マジで情けねえ。こんなにもまだ知らないこと、ワクワクすることで満ち溢れてるってのにな」
「一つ区切りができると無気力になるのわかるよ。それだけ必死だったってことだよ」
「ああ、その甘やかしも懐かしいぜ。で、その後鋭い切れ味の正論飛んでくんだ。例えるなら逆テブリム」
「なに言ってるの、もう。それはフリードがすぐ別のことに夢中になるからでしょ」
ゴモットモ、カエスコトバモアリマセン、と古いロボットみたいな喋り方にひとしきり二人で笑った後、落ち着いた声色に戻った彼が、柔らかくゆっくりと息を吸った。焚き火の明かりが、彼を優しく照らしている。私は、その横顔を見ていた。
「だからさ、
〇〇を探しに世界中飛び回ったんだ」
「どうして?」
あの日はただその事実に満足して聞かなかった。けれど、今は聞きたい。欲張りになってしまったみたいだ。
「どうしてって、卒業前、最後に出たフィールドワークで言っただろ? 卒業しても、いつかまた俺と冒険してくれ、って」
顔を覗き込んだ彼が、当然、といった顔で言う。
「聞いてないよ?」
「へ? 言ってなかったか?」
「聞いてない! 私がフリードとの約束を忘れるわけがないもの!」
「ハハ、大事なことだから言ったつもりになってた」
つい声が大きくなってしまった私に、彼は眉間にシワを寄せて笑った。
「私の返事はどうなるの、もしかして記憶の捏造?」
「いや、
〇〇が断るわけないだろ? 捏造ってか思い込みに近いな。次の冒険にも当然、
〇〇がいる、ってさ」
「もう、まったくフリードはフリードだね。変わんないや。私も、変わんない。ずっと大事だった。宝箱を覗くみたいに思い出してはしまって、大切にしてた。その度に、いつかまた、って思ってた」
「変わんねえな、俺たち」
「うん」
また無言になった私たちのそばでは、眠った森の優しい音がする。いつの間にか触れ合っていた肩はあたたかくて、彼をいつもより近くに感じた。
翌朝、無事に船へ帰り着くと、フリードはオリオとモリー、それに事情を知ったマードックにこってり絞られ、しばらくはシュンとしていたが、朝食を食べ終わる頃には、いつもの調子に戻っていた。
一方、私はというと、三人に憐れむような顔で肩をポンと叩かれた。みんなが何を言いたいのかは想像がついたけれど、それも惚れた弱みなのだと、笑い返すしかなかった。
私は今も昔も、フリードが好き。これはもう揺らぐことのない事実だ。
To Be Continued
write 2025/4/14