ねこの日、ねこカレー
消太さんってカレー好き?
付き合い始めて間もない彼女との電話中。
ふと会話が途切れた後、明日彼女の家へ行った際の晩御飯の話へと移り、俺は内心、カレー嫌いなヤツっているか? と思いながらも彼女らしい配慮に頬がゆるむのを抑えられなかった。
答えはもちろん、好き。
俺の答えに「よかったあ」と、ふにゃりと安堵した声が聞こえ、「甘いの? 辛いの?」と嬉しそうに聞く。何でも彼女は辛いものが得意らしく、自分の好みで作ると俺が食べられないかもと言っていた。食べられない辛さってどんなものか気になりはしたが、カレーチェーン店の辛さ指数で伝えれば「了解です!」と弾んだ声が聞こえた。
『明日会えるの楽しみ』
「ああ、俺も」
『じゃあ、おやすみなさい』
「おやすみ。好きだよ」
『……! 耳元でそれはダメ! 嬉しいけど! 私も消太さん大好き! おやすみっ』
ぷつりと切れると部屋に静けさが戻り、車の走行音が近づいては遠ざかるのを聞きつつも、寝付くまで彼女の声を反芻させた。
まるで濃紺の部屋にチカチカと星が瞬くようだった。そう思う自分自身に恥ずかしくも感じたが、彼女の愛らしさにかき消されていく。
次の日、待ち合わせをした俺たちはデートを楽しみ、暗くなる前に彼女の家へ帰ることに。
「消太さん、付き合うまではクールな人かと思ってたけど、結構色々楽しんでくれるよね」
「
〇〇と一緒だと何でも楽しいからな」
「へへへ、嬉しい。私も消太さんの笑顔見れるの嬉しいよ」
彼女は、組んでいた腕をぎゅっと抱きしめた。コートがある分、損をした気分になり、手を繋ぎ直す。彼女はまた、嬉しいと笑った。きゅっと心をつねられたような苦しさに、これがキュンとするというものなのだと眉間にシワが寄った。
「晩御飯、家で食うんだろ? スーパー寄って帰るか?」
「大丈夫! もうお米も予約してきたし、カレーも作ってあるの」
「そうか。ありがとう。準備大変じゃなかったか?」
「ぜーんぜん! 実は昨日の電話中に作ってたの。だから、あっという間だったよ」
お礼を言いつつも、デート帰りにスーパーへ寄って、というぼんやり考えていた淡い憧れのようなものが、フッと風に飛ばされていく。ここで残念そうな顔をしてはいけない。表情を変えないなんて得意だろ。
代わりに最近できたというジェラート屋さんで食後のデザートを買って帰ることにした。お持ち帰りのお時間は、と聞く店員さんの言葉に顔を見合わせ、「一時間です」と朗らかに答える彼女にグッとくる。結果オーライというやつか。
一緒にキッチンに立つ、という浮かれた俺の望みは、すぐ叶うことになる。
「あ、ゆでたまご作るの忘れてた」
彼女の家へ帰宅し、ジェラートを冷凍庫へしまっている時、彼女が独り言のように呟いた。なーんか忘れてる気がしたんだよねえ、といそいそとキッチンの扉を開け、小さな鍋を出す。
「手伝おうか?」
「ありがとう! って言ってもたまご茹でるだけなんだけどね」
「いいよ、それは俺がやるよ。他にもやることあるだろ?」
一人暮らし用のこぢんまりとしたキッチンに並んで晩御飯の支度をする。沸々としてきた小鍋、その横でコトコトクツクツと温め直されるカレー、予約が完了した炊飯器を開けてさっくり混ぜると更に湯気だつ白米、ガラスのボウルに彩よくおさまるサラダ。幸せすぎて腹が減ってくる。
固めに茹でたたまごをスライスする器具で切る。これってコレ以外に使い道ないよね、でも綺麗早い均等で合理的だ、と笑い合った。
「仕上げは私するから、消太さんは座って待ってて」
「ん、ありがとう」
あとはカレーをテーブルに置くだけなのだが、メインがなかなかやって来ない。俺が少しでも動けば、「座ってて」と止めに入る。こんなにも俊敏で真剣な顔の彼女を見たのは初めてだ。一体何をしているのだろうか。
「お待たせ! 消太さん、目閉じてて。いいよって言うまで開けちゃダメだからね」
「わかった」
言われた通りに目を閉じた。湯気にのって食欲唆る匂いが鼻と腹を刺激する。視界を遮られているせいか、余計に。それと彼女の堪えきれていない小さな笑い声が聞こえる。
「いいよ」
ゆっくり瞼を開けると、可愛らしいつぶらな瞳がこちらを見ていた。
「ね、こ?」
「そう! 今日ねこの日でしょ? だからねこカレーにしてみました!」
嬉しそうに、または自慢げに見えるその仁王立ちは、繋がっているのか謎の接続詞さえも納得せざるをえない雰囲気を醸し出している。彼女を見て、またねこカレーを見る。こんな可愛いもの、どこから食べたらいいのかわからない。もう一度彼女の方を向く。始終無言だったからか、彼女は「あれ、怒ってる?」と眉を下げた。
「いや、ねこカレー可愛いよ。可愛すぎて他の言葉が見つからなかった」
「へへ、よかったあ」
ホッとした様子で向かいの椅子に座った。彼女の前にも同じねこカレーがある。
ねこの顔の形をしたごはんを島のようにして、周りにカレールーが注がれている。もちろん顔には海苔で目、鼻、口、ヒゲが可愛らしく描かれており、喉元には一緒に作ったゆでたまごが鈴のように飾られている。求心がちで愛くるしい瞳は食べてほしそうにも、崩さないでと訴えかけているようにも見える。
「冷めないうちに食べよ」
「……ああ。いただきます」
「いただきます!」
彼女は、手を合わせた後握ったスプーンで容赦なくねこの頬を掬った。
「ん、美味しい。多分、ちょうど良い辛さだと思うよ?」
「あ、ああ」
彼女と同じ頬か、それか耳、いや顔に影響のないたまごから食べるか。難しい。
「どうしたの?」
「いや、ねこカレーが可愛すぎてだな。こちらを見てる表情がなんとも」
「私は消太さんが可愛すぎてどうしようって思ってる。じゃあ、私が食べさせてあげる!」
スプーン貸して、という彼女の言葉を素直に聞いたはいいものの、これはこれで恥ずかしさがじわじわとやってくる。だが、彼女に翻弄されるのも悪くない。それに、ひとくち食べれば案外いけるかもしれない。
彼女は、俺の皿に手を伸ばし、片耳部分にカレールーを掛けて掬った。
目の前にスプーンがやってくる。口を開けるか迷っている俺に、「はい、消太さん、あーん」と彼女は言った。あーん、と言われると開かざるを得ない。彼女は、にまにまと唇を動かし、それはもう嬉しそうにスプーンをねじ込んだ。
「どう?」
「んまい」
「辛くない?」
「ちょうどいいよ」
「よかった! ねこカレー作戦大成功だね」
「作戦だったのか、これ」
スプーンを受け取り、もう片方の耳を掬う。なんだかアザラシのようになってしまったが、これはこれで可愛い。
「消太さんねこ好きでしょ? だから何かしたいなあと思って。デート中言わないようにするの大変だったんだよ? 消太さんすぐねこ雑貨とか本とか手に取っちゃうから、ついうっかりポロッと言ってしまいそうで……」
今日一日を思い返してみれば、いつもより笑顔が多くて可愛かった。それは嘘がつけない彼女の作戦実行中だったのだと思うとおかしくて、笑いが込み上げる。
「え、わ、消太さんが声出して笑ってる!」
「可愛いよ、何もかも」
「ふぇ、」
ぽかんとした彼女が、みるみるうちに赤くなっていく。
「そ、そんなこと言われると、調子乗っちゃうよ?」
つられて俺まで首が熱くなってきた。
「……いいよ、好きにしろ」
「消太さんまで照れるなんて。顔熱い。かお、……あ、ほっぺ触ってもいい?」
「いいけど、俺も触るぞ」
「え〜、好きにしろって言ったのに〜」
そう言いつつも、彼女の指先が、そっと頬に触れる。彼女も俺の手をくすぐったそうに受け入れた。
「えへへ、消太さん、ほっぺも手も熱いね」
「まったく、
〇〇には敵わないよ」
だが、早く食べ終わってジェラートで涼もうという提案は、可愛らしい彼女とねこカレーの前に乗れそうにもない。
write 2025/2/28