恋も積もれば
窓の外は雪が降っている。
白い空から、しんしんと降り続く様に暫時目を奪われた。
この辺りでは珍しくもないのだが、見慣れた騒々しさと比べれば、余りにも差異のある光景に幾らかの寂寥感のようなものを覚えたからかもしれない。
とどのつまり、人並みに心が動いたということだ。
寮住まいの生徒が忘れ物をしたから教室のカギを開けてくれと頼みに職員室へ訪ねて来たのは昼前。
冬休みに入り、帰省前で暇を持て余した生徒数名を引き連れてぞろぞろと来たものだから、やれ菓子をつまみつつ仕事するのはズルいだの、やれ寒かったからあったかい茶をくれだのやいやい騒がしかった。いちいち反応するから終わらないんだ、と菓子をねだられ丁寧に応えていた、新任教師の緑谷にひっついていた生徒たちを連れ出せば、その矛先は俺へと向かう。
「先生って実家に帰るんですかー?」
「仕事が終わればね」
「彼女はぁ? 結婚してるんですかぁ?」
「どうだろうね」
「デク先生の先生だったってことは、相澤先生って」
「詮索するのはよしなさいよ」
「好きな人はいる、とみた!」
「言ったそばから。話を聞け」
「否定しないってコトはぁ?」
「きみたちとそう変わらんよ、気持ちなんて。ほらいいから早く忘れ物探しなさい」
はあい、と間の抜けた返事に一言言えば、横にいた他の生徒が「先生、恋してるんだね」と肘で突いた。
「恋、という歳でも、」
「じゃあ、愛だ!」
やっぱプロヒーローは違うね、ねー、と勝手に話が進む。
まったくこんなおっさんと恋バナなんてなんも楽しかないだろうに。俺が横にいるのにも構わず、A組ではB組では先輩では、と文字通り花を咲かすよう何色にも例え難い華々しい声が飛び交っている。
「ねえ、先生は将来誰が一番稼ぎそう?」
「今の流れってそういう内容だったか?」
「重要ですよ、だってほとんどが独立する世界でしょ? 今はチャートだって細分化されてるのに」
「人気ヒーロー同士の熱愛! アツイ! でも苦楽を共にした同級生ってのもまた憧れるっていうか」
「はあ。結局は相性だろ、なんにせよ」
そうですけどぉ、と語尾を伸ばす癖のある生徒が「あとでデク先生にも聞いてみよぉっと」と関心が別に移ったところで忘れ物を見つけた生徒が「あった!」と叫び、それを持って駆け寄る。
「相性もぶつかってみないとわかんないと思うんですよね」
「わかるぅ! 当たって砕けろ的な」
「恋愛、結婚もチームアップですよ!」
「逞しさこの上ないな。というか砕けたらダメだろ」
何がおかしいのか、ころころと笑う生徒たちを教室から出るよう促した。
「先生はカギを締めて戻るから先にどうぞ」
「先生さよーなら! 良いお年を!」
「はい、さようなら。良いお年を。帰り、気をつけろよ」
俺は、ついていけそうもない会話から逃れられる安堵感に胸を撫で下ろしながら、電気のスイッチへ手を伸ばした。
浮ついた話かと思えば変に現実的な生徒たちの言葉に、ギクリとしたのも事実だった。仕事は能力や個性をみればわかるが、何を以ってして相手として選んでもらえるのか、俺にはわからないからだ。はぐらかすつもりで言った相性でさえ、測りかねる。一方的に好意を抱いているだけの、いい歳した男が使うのも憚られるが、生徒たちの言葉を借りれば、〝片想い〟というものに当たって砕けるには少々歳を重ねすぎた。
といっても、行動に移さなければ何も始まらないという話。想っているだけじゃダメなことくらい俺にだってわかる。その点に至っては若さが羨ましいな。いや、若さの問題じゃないか。
「ふぅ」
騒がしかった生徒たちにつられ、思考があちこちに飛ぶ自分にため息を吐きつつ電気を消せば、薄暗い教室の廊下側の窓に白が浮かんだ。
窓の外は雪が降っている。
白い空から、しんしんと降り続く様に暫時目を奪われた。
それは何処となく寂しくもあるが、とても静かで、綺麗で、まるで。
「相澤先生、ここでしたか」
開きっぱなしのドアから、そっと声を掛けたのは、想い描いていた彼女だった。
「ああ、生徒たちなら先程用事が済んで、緑谷のところへ行きましたよ」
「そうなんですけどね、その子たちから相澤先生が呼んでたよと聞いて」
まったく、あいつら余計なお世話を。というか、何でバレて。
「いや、そんなこと、」
急ぎですよね、電気どうしたんですか? と薄暗い教室に立つ俺へ、不思議そうに一歩一歩近づいてくる。
近い。暖房の効いていない部屋だからか、僅かな体温と匂いが間で揺れる。感じる視線。無意識に息が浅くなる。
合わない視線の先に眼をやった彼女が、感嘆の声を上げた。
「すごい。窓が額縁みたい。こちらから見ると白い外がはっきりして、綺麗ですね。廊下や職員室は明るいから気付かなかったなあ。この音のない物静かな感じが相澤先生の雰囲気と合っていて……」
わあ、すみません、勝手にベラベラと。何か言いかけてましたよね? えっと、やっぱり電気の故障ですか? 静かな教室に、普段より少し早口な、けれど優しく弾むような声が響く。
「いえ、俺も、綺麗な光景だったので、見惚れてただけです」
心を読まれたようで驚いた。
当たって砕けろ、か。まあこのくらい、当たったうちに入らんだろう。
「一緒に見たいと思って。ただそれだけなのですが、お呼びたてしてすみません」
「う、嬉しい、です。もう少しご一緒してもいいですか?」
「ええ」
思いもよらなかった返事に、気の利いた言葉を返す余裕もなく、そっけない返事をしてしまった。それでも彼女は、ホッとしたように柔らかく微笑んで、白く光の入る窓を眺めている。
ふと覚えた寂寥感のようなものは、切なさだったのではないかと、今更ながらに気付く。
「「……あの、」」
「「あ、お先にどうぞ」」
窓枠の影が僅かに傾いた頃。
同時に出た二言目に視線が交わった。
「うふふ、気合いますね。相澤先生からどうぞ」
「ですね。俺のは……まあ、後ででも。先生からどうぞ」
「そう言われると緊張しますね、では、今夜、」
彼女が続けた言葉は、俺を呼ぶ校内放送でかき消され、しっかりと聞こえぬまま「次、相澤先生の番ですよ」と、にこりと笑って歩き出す彼女の後を追う。
後回しにしてしまった俺の言葉がどうか正解であることを願うばかりだ、と浅くなっていた息を整えながら、教室のカギを回した。
write 2025/1/7 Webイベント内企画にて書き手として当選、読み手さまよりいただいたお題「冬休みの教室」より