13話 余談でもない
期末の筆記と演習試験、夏休み中の林間合宿に補講、その後も続く個性伸ばし訓練と、慌しかった夏も終わり、二学期が始まった。
確かに「また」と言ったのに、自宅へ帰れない日が続き、あの夏の夜のことは夢のように遠くなってしまった。彼女の足は綺麗に治っただろうか。傷跡残ってないといいが。
誰が音頭を取ったかわからないが、山田と香山さんに連れられ、雄英近くの居酒屋へ来ていた。夏休みお疲れと二学期も頑張ろう的なやつだろう。いつもの面々の浮かれた姿を眺めつつ、ちびちびと飲んでいた。
「ねえ、相澤くん、夏の間、
◇◇ちゃんと遊びに行ったりした?」
日本酒の瓶を抱えた香山さんが隣に座った。
「そんな暇なんかなかったの知ってるでしょう」
「なによ、聞いてみただけじゃない。ノリ悪いわねえ。何か進展はあったのかしら? 連絡先くらいは交換したでしょ?」
酒瓶をマイクのように持ち、俺の方に向けた。酔ってるようにも見えるし、まだ素面のようにも見える。
「もうっ、はっきりしないわね! だからつまんなそうって言われるのよ」
「誰にですか」
「私によ」
「はあ、別にいいですよ」
疲れる。いちいち反応する俺も俺だが。帰ってもいいだろうか。
「やっまだぁ~! ちょっとこっちきなさい!」
これは酔ってるな。巻き込まれる前に帰ろう。
「ダメよ、帰っちゃ」
「チッ」
酒瓶を胡座をかいた太腿の上に置かれた。口角が上がった口元は一見隙がありそうに見えるが、眼鏡の奥の笑っていない目が俺を見ている。
「なんスか、また例の人生相談?」
「そうそう! 山田、相澤くんに気になる女の子への連絡先の聞き方教えてあげてちょうだい」
「ハァン? ンなもん、軽く喋って、笑いを誘ったらメシ行こうって連絡先聞くだけだろ? 簡単ジャン」
「でっしょぉ? でもね、ウブな相澤くんは、それができなくて、いち、に、さん、し……5ヶ月も経ってるのよ、信じられないでしょ?!」
この神経を逆撫でしてくる、わざとらしくてうざい会話は聞かなくてもいいだろうか。
「マッジで?! そりゃ女の子も別の男にかっさらわれちまうゼ!」
「そうなの、彼女可愛いからあの営業くんも狙ってそうだし、会社でもきっとモテてるわよぉ」
「焦ろよ、相澤ァ」
「焦りなさいよ、相澤くん」
熱血教師ばりに拳を握って応援、いや、煽ってくる。んなこと言われなくてもわかってる。だがいつも会うタイミングが悪いんだよ。
「あんたらなぁ、黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって。何もなかったとは言ってないだろ?」
「え、なになに? 詳しく教えてちょうだい」
「嫌です。誰だよ、この拡声器が歩いてるようなやつに喋ったのは」
「山田が」「香山さんが」
互いに言い訳を繰り出さんとばかりに同時に指差す。見合った二人は気まずそうに、でへへと笑って、「まあなんでもいいじゃない」と濁した。
なんでもよくねえよ。
次々に名前を呼んで身体を揺さぶる二人にうんざりして、夏休み前に一度会ったとだけ伝えた。黙らせるために言った一言は、話好きな二人にはやぶ蛇で、「で?」と続きを求めてくる。
ダメだ、もう帰りたい。このくそデカい酒瓶をどけてくれ。
「ほら、二次会行くやつ募ってますよ」
「嫌よ、相澤くんの恋のゆくえの方が大事よ!」
「そうだゼ、相澤の惚れた腫れたなんて何年ブリ?」
他の教師たちが連れだって二次会へ行くのを見送り、居酒屋には俺たち三人だけが残った。あの夏の夜のことを端折って話せば、怪我してたんなら仕方ねえよな、と山田が深く頷いた。山田でも仕方ねえと言うくらいだ、俺にあれ以上のことが言えるとは思えない。
「ご近所さんだったわけでしょ? またばったり会うかもしれないわね」
「そうなんですけど、何せ、家に帰れてないので。二学期は行事や学外活動も多いですし。またしばらく帰れないんじゃないんですかね」
「そうだけども、あなたね、相澤くん以外は家帰ってるわよ?」
「合理主義者もほどほどにしとけヨ」
「じゃあ今帰らせてくれよ……」
ため息をつく俺に構うことなく、香山さんと山田はあれこれ話し始める。突飛な発言しかしない二人が組み合わさったアドバイスなんてろくなもんじゃない。
「まだ時間早いし、
◇◇ちゃんの家訪ねるのは?」
ほらな。ほぼほぼ水のようになってしまったウーロン茶を飲み干した。
「完全に不審者じゃないですか」
「不審者じゃないわよ、私相澤くんより面識あるのよ? 今なら人気者のマイクも付けちゃう」
山田も、イェーイ、じゃねえよ。酔っ払いどもめ。
「はぁ、もうわかりましたよ。次会った時連絡先聞きます。これで納得ですか」
「よく言ったわ、相澤くん!」
「ファイトだゼ、相澤!」
「もし学校に
◇◇ちゃんが来たら、校内放送で呼ぶから」
「それはやめてくれ」
居酒屋の前で二人と別れ、家へ帰るため駅方面へ歩く。
俺が連絡先を聞くと言った途端、あっさりと引き下がった二人に、それを言わせるために絡んできていたのかと気づき、早く言えばよかったと後悔した。飲みに行くから、という理由で無理やり切り上げさせられた仕事は学校に置いてきた。だからと言って、学校へ戻る気にもならない。携帯で時間を確認する。まだ20時を過ぎたところだった。
福猫堂さんは確か、駅付近だったはず。彼女の仕事の終業時間を知らないため、ここを通ったとしても会う確率は低いとわかってはいたが、歩く速度を落とした。
似たような格好の人は何人か見かけたものの、結局会うことはなく、駅を過ぎ、いつものコンビニへ寄った。ここでも彼女の姿を探したが、俺くらいのサラリーマンと、手を繋いで買い物をするカップルしかいなかった。
見かけることくらいできるだろうか、と歩いた駅付近。コンビニへ着く頃には、会いたい、に変わっていた。それは先ほどあんな話をしたからか、久しく入れたアルコールがそうさせているのかはわからなかったが、彼女の連絡先も知らない俺は、偶然しか会う術がなかった。
コンビニを出て、二つ目の角を曲がれば彼女の住むアパートのある通りだ。家へ帰らない間に通りの草花は、名前も知らない色の濃い花になっていて、暗闇の中でも鮮やかに咲いていた。アパートの2階、黒猫のよるさんが佇む出窓を視界に映す。電気がついていた。
◇◇さんは帰ってきているのだろう。
彼女がそこに居ると思うと、気持ちが緩んだ。と同時に、自分は近くに住んでいるのに会うこともできない、だが、
◇◇さんの近くには営業の彼を含め好意を寄せる人がいるということに、今更ながら香山さんたちに言われた言葉が現実味を帯びてきて焦りが生まれた。始めこそ俺に好意を寄せていてくれていたとしても、2ヶ月も会えない男のことなんて忘れているかもしれない。だとすれば、この会えなかった二ヶ月ほどの間に誰かと交際し始めているかもしれない。営業の彼と話している時の彼女は、関係性も物理的な距離も近く、それを許しているようにも見えた。
忙しすぎたというものあるが、彼女が俺に向けた笑顔に安心して、「またね」と言っておきながら何もしなかった。朝見かけると言ったのだから、億劫がらずちゃんと家へ帰っていれば、よるさんを見る時に顔を合わせることくらいできたかもしれない。
恋を自覚できたまではよかったが、つくづく色恋に向いていない自分自身に盛大なため息をついた。そして、さてどうしたもんか、と腕を組んで天を仰いだ。
夜空もすっかり秋の配置になっていた。