今年の夏が終わりそう
帰る家、と言うものならば幾つかあるが、羽を休める意味ではここしかない。
部屋の明かりが漏れてカーテンの淡い黄色が甘ったるいベランダに降りたてば、「まーたベランダから。玄関はあっちですよ」と彼女が出迎える。
「飛んでたらその甘い色に惹かれるんですもん」
「ふふ、おかえり」
「ただいま」
会うたびに交わすやり取りは面倒くさくなることなく、愛しさが増していく。夏はこれに「そのヒロス、暑くないと?」が加わって、「暑いに決まっとるやろ〜風呂ぉ〜」までがセット。そして今、それも終わってひんやりとした床へ直に寝そべり、涼んでいる。あっという間に季節は変わるからと夏も冬もラグを敷かない彼女の潔さに、俺は心地良さを知った。
「ねえ、年々、花火大会も夏祭りも減っとらん?」
近所の花火大会も仕事中に終わっとったし、夏祭り行けんかったねえ、と彼女がころんと仰向けになった。
去年一緒に見た花火はシークレット開催で、突発的なものだったらしく、今年は開催されなかった。SNSでも話題となり盛り上がりはしたが、改善点が多かったようだ。他の祭りや花火大会も然り。世知辛い。
「あー、まあ色々あるっぽい」
「だよねえ。8月1日の名物もなくなったしさあ。福岡の夏の代名詞も屋台っていう屋台は並ばないしね。地元のお祭りもなくなっとったし」
あのずらーっと並んどる屋台にわくわくしたいのにねぇ、と彼女はぶうぶうと唇を尖らせた。その地元の祭りに行ってみたかった、と言えば、私もぉ、と尖らせた唇をへの字に変えた。
「あ! あ〜」
「なになに、どした?」
あ、で起きて、あ〜、でパタンと力無く突っ伏した彼女と床のわずかな隙間を覗く。ピアスが当たってカチと音がした。年上とは感じさせない無邪気さと可愛らしい仕草に癒される。思い出したけどさあ、と伸びた華奢な手が、風呂上がりでぺたんと垂れたままの前髪を撫でた。そのままもてあそびながら話を続ける。
「9月にあるやん、あれ、神社の」
「ん、ああ、あれ。あれねえ」
「気軽に行ってみよーってやつじゃないよね」
「そうね、あれはちょっと。多分俺も見回りや警備にあたるやろうし、どっちみち」
だからって他の人と、なんて言えないでいると、「私は啓悟くんと一緒にお祭りに行きたいの」と言って、くしゃりと頭を撫でた。愛しい人を見る蕩けるような瞳。ドラマや映画で観た演技のそれでも、人はこんなにも柔らかい表情ができるのかと驚いたほどだったが、目の前の彼女はそれを俺に向けている。惜しげもなく。
夏前に雄英の先生、常闇くんの担任の相澤先生がプロポーズをするらしく、彼女さんと彼女さんの地元である福岡を訪れた。
アングラヒーローで気難しそうでストイックそうで女に興味のなさそうな人が、各所に根回ししまくって彼女へプロポーズするなんて。気になりつつ会ってみれば、先生もそういう顔で彼女さんを見ていた。心から相手とそうなりたいと願っているのだとわかるほどに。僅かにあてられて、そわつき、少しでも助けになればとつい余計なお世話をしてしまった。
俺はどうやろ。彼女にできとるやろうか。意識してやるものではないとわかってはいるが、返せているのか不安になる。初めて名前で呼ぶのも、手を繋ぐのも、彼女からだった。ハグも、それ以上も。悩む隙を与えんというかなんというか。
「けーごくん? 私はね、あのばかデカいバラ串をね、冷えとるのか冷えとらんのかわからんけどなんでか美味しく感じる缶ビールで流し込むってのを啓悟くんとやりたかっただけだよ」
ぷっはー! ってね、とジェスチャー付きでそう言って、やり残したのはまたいつかやればいいんだよ、と続けた。夏は来年もやってくるし、と。
ほら、そういうとこ。
「今やろ。今がいい。ウーバーしましょ」
「今?」
「俺、あなたが好き。もちろん来年も大事にしたい。やけど今もあなたが笑っていられる俺でいたい、と思ったんやけど」
「私も啓悟くんが好きよ。私だって啓悟くんが笑ってるのがいいし、しあわせにしたいし、一緒にしあわせになりたいって思っとるよ」
優しい顔。その瞳に映っている俺はどうかと覗き込めば、キスをされた。触れるだけの軽いやつ。そして親指が、眉を撫でた。
――私が好きなのは、啓悟くんだよ。
長いことヒーローホークスでいた俺に、彼女がかけてくれた言葉。
――その下がったふわふわの眉って私しか見れんとやろ?
確か彼女はそう続けた。そっか。そうやん、やっぱ悩まんでよかったとに。なんばしよっとやろ俺。
「ねえねえ、いつものやきとり屋さん、しまっちゃうよ」
「……ほんっと、あなたにはマジで敵わん」
「ん? なんのこと?」
「今度はちゃんと、俺から言いますからね」
「豚バラ食べよう、って?」
そう、今年の夏も終わりそうだから、一緒に食べようって。
もしかしたらその前に言ってしまうかもしれんけど。
write 2024/8/28