勝ちとか負けとか
雨の音がする。
「……チッ」
この時期のこの時間はもう日が昇りかけていているのに、今日はどんよりと部屋が暗い。
気温が上がって調子出てきたと思ったらコレだ。ぬるくて湿っぽくて嫌ンなる。天気一つでこんな気分になる自分も嫌ンなる。
スマホに表示された天気予報の『雨・100パーセント・最高気温22度』の通知を親指でスワイプ。卒業してもなお、毎日アホのように届く切島と上鳴からのラインの通知も親指でスワイプ。新着ニュースも気になる記事だけを読んで後は一括消去。
「クソが」
雨だと気晴らしに走る事もできねエ。
ハア、とため息を吐いて後ろ手にベッドへとスマホを投げ、仕方なく支度を始める。
雄英を卒業し、対敵戦闘を主としたヒーロー事務所へ就職し、3年が経った。その事務所の同ビル内にあるサイドキック用の居住階に住んでいる。何に重きを置くかによってほうしんは決まるが、ここではエマージェンシーコール対策になる。
「お! おはよー、かっちゃん」
「かっちゃんはヤメロ。事務所ではヒーロー名で呼べ」
「ええ、学生時代のインタビューのときに、一瞬デクが呼んでたじゃん? 私も呼びたい〜」
「呼んでねえわ、センパイの幻聴だわ」
斜めむかいの自席のパソコンの電源をつけながら彼女は「この間もチャージズマがさドッキリ番組出てて、ほんとダイナマの同期って人気ヒーローばっかだよね」と腑抜けた声でぽやぽやと話す。スマホにぶら下がった兎か猫かわからないマスコットが、デスクの端からプランと揺れ落ちた。他の男の名前も呼ぶな、と言いたいところだが、それもクソだ。コイツはアイツらを見ているわけではないし、もちろん俺も見ていない。
彼女は共有ルームやロッカールームで一通り挨拶は済ませたであろう同僚のサイドキックが次々入ってきては、話かけに行く。始業時間開始の5分前、慌てて着席した彼女の横顔をパソコンのモニターの隙間から視界に入れる。
一つ上とはいえ、先輩なんだからそろそろ落ち着けとも想うが、事務所のムードメーカー的な存在の彼女は、いい意味で空気が和らぐ。戦闘メインの武闘派が揃うヒーローの中で実力はトップクラスで、持ち前の明るさと親しみやすさもあるため子どもから大人まで人気がある。俺にないものを持っているヤツだ。
「おはよう」
と、入ってくるこのヒーロー事務所のトップを、シャンと伸びた姿勢が追う。花、飛んでンぞ。いや、光? ま、どっちでもいい。あれだろ、無駄にデカい目も同じようにキラキラさせてンだろ。それがどういう意味なのかは俺でもわかる。わかりやすすぎて、クソだな。それを見てるだけの俺も相当だ。
──昼休み
「ダイナマ! 今日半日パトロールだったね、何事もなく平和でなにより。報告書はもう書いた? 午後からチームアップらしいよ。同じグループだね、よろしくー」
隣の席のヤツの椅子を寄せて座る。グイッと乗り出して覗き込んだでっけえ目が俺を見ていた。ただそこへ映ったことに、ぼうっとしてしまった。
「ダイナマ? おーい、ばくごー?」
「ア? ンなもん即終わらせたったわ。細けー事務処理怠ったら敵ぶっ殺しに行けんだろうが」
「コラコラ、ヒーローがぶっ殺すとか言っちゃダメだって、んで私先輩。せ、ん、ぱ、い」
「チッ、うるせエわ、です」
雨の音がうるさい。
「ね、私、パトロール後の報告書はいいんだけど、あの微妙に事件か喧嘩かわかんない時の報告書の書き方がイマイチわかんなくてさ。教えてよ、ダメ?」
「センパイじゃなかったのかよ。他にも適任いンだろが。たくさんのナカマはどうしたんですか、センパイ」
「爆豪、教え方上手いから。意外と丁寧だし、割と面倒見いいし、視野広いじゃん? 口悪いけど、ぷぷっ」
「誰かサンと重ねてんじゃねエの」
オイ、今キラキラさせんじゃねえよ。それ、SSR確定演出みてえでイライラすンだわ。ンな事もやもや考えてんのもイライラする。
燻る掌を握り締め、爪で掻いた。
「……まアいいわ。22時に共有ルーム」
「わかった! ありがとー!」
雨の音も、他のヤツの話をする声も、うるさい。黙って俺を見とけや。
──サイドキック居住階の共有ルーム
「え、文才もあんの? わかりやすっ。これを短時間で? なんでも出来んのね、さすが雄英出身だね」
「そりゃどうも」
「……昼休みから、どことなーく素直デスネ」
「アア゛? もう見せんぞ」
ごめんごめん、と笑いながらちっせえ手を合わせる。だが、治りかけの傷や古傷もある、テーピングの巻かれた、努力している手。
いつから彼女に惚れてたかなんて知らねえ。気付けば目で追ってたし、嬉そうにしてれば俺も嬉しかったし、彼女が勝てば内心ガッツポーズをしたりもした。怪我した時に声をかければ、「ダイナマが女子の心配してる」とまわりもマスコミも騒いだから見てわかるやつはそれ以来やめた。つまんねー野郎なんて自分が一番わかってる。それにクソかっこわりいってことも。
「ね、お昼の、誰かさんと重ねてるって何?」
今蒸し返すンか。ま、言ったの俺か。やるからには勝ちてえ、けど勝ち方がわかんねえ。
「……惚れてンだろ、うちのトップ」
「へ? トップって社長? 私が?」
何で? と言いたそうなポカンとしたアホな顔をしている。ンだよ、じゃああれは何だっていうんだ。
アホ顔が、含み笑いに変わって、「ははーん」と腕を組む。
「強いて言うならば、逆、ですかね」
「ハア?」
「コワイ、の種類は違えど、爆豪も大人になればあんな感じなのかな〜とか?」
「ア? 髭くらい剃るわ!! 清潔感は大事だろが!!」
そゆとこじゃないって、とクスクス笑う彼女のまわりはキラキラしていた。こっちを見ていたのには気付いたものの、これは勝ちでいい、のか? わっかんねえ。
「おい、そこ。夜勤以外はそろそろ消灯時間だぞ」
ガチャリ、とドアが開き、聞き慣れた低い声が聞こえた。
「あ! 社長! はーい!」
パタパタとスリッパを軽快に鳴らしながら、トップへと彼女は駆け寄る。あんな事言っといて、さっきまで俺を見てキラキラさせてたのに、だ。おもしろくねえ。おもしろくねえが、モヤついた気分はどこかへいっていた。
「クッソが! お前なあ、わかりにきーンだよ! こっち見とけ! もうちっと俺に惚れとけや!!」
「爆豪うるさいぞ。それに女の子にそんな言い方はちょっといただけないな…」
「大丈夫ですよ、あれ照れてるだけだから。かわいいでしょ」
ちらりと俺を見た彼女がトップを見上げ、声量を下げて言う。かわいいのはお前だろ、トップもこんな時までまともな大人の気遣いヤメロや。
「かわいかねーわ!!」
「あれをかわいいと言えるなんて、きみもまあ、なんと言うか。早く寝なさいね」
そう言うと自販機で水を買った後、エレベーターへと向かっていった。彼女は「社長の私服見れてラッキー」なんて言って、パソコンを置いていたテーブルへと戻ってくる。私服って普段とそんな変わんねえじゃねえか。ラッキーもクソもあるか。
「……ん? ばくごー?」
俯いた俺に気付いた彼女が覗き込んでくる。サラサラの髪が揺れて、でっかい目がまた、やっと、俺だけを映す。
「くそ、こっち見んじゃねー」
「あはは、真っ赤じゃん! かっちゃんかわい」
「……かつきって呼べや」
「いひひ、勝己」
「ンだよ」
俺が照れくさくなって凄んでも、嬉しそうに変な笑い声を上げてニンマリと笑っている。褒められたり勝ったときの顔だ。
「教えてくれてありがと! じゃ、また明日! 勝己、好きだよ!」
「チッ、今言うなや。俺から言わんと勝ちにならんだろが」
「へへへ、早い者勝ちだよ〜」
足取り軽く、ふわふわと花を飛ばしながら自室へと帰っていく彼女の後ろ姿を見送る。
振り返った彼女が「おやすみ!」と叫んで、背後から気配なく現れた夜勤の先輩に文字通りビクンと垂直に飛び跳ね、それが可笑しくて笑った。彼女も笑って、「共有スペースではしずかに」と凄え怖い顔で注意されたが「なかよくて何より」と喫煙ブースへ入っていった。
暗い窓に目を凝らせば、もう雨は止んでいて、濡れた窓に反射した自分が映っていた。生まれて初めて、勝ち負けがどうでもいいと思えたことに驚いて、笑った。
write 2024/4/23 イベントセリフお題「もうちっと俺に惚れとけや」より