遅れたバレンタイン
隣のマイク先生には負けるけれど、それでも相当な数の贈り物。気軽に渡していく子や、友だち同士でまとめて渡す子たち、照れながら渡す子もいた。生徒たちからの信頼や愛情のカタチ。ほのかな恋心もあったりして。
バレンタインだった昨日だけでは持ち帰れなかったようでまだ机の下には山盛り入った大きな紙袋が二つ並んでいる。しかも丁寧に『相澤』と名前付き付箋まで貼ってある。
なぜ私が相澤先生のバレンタイン事情に詳しいのか、それは昨日一日中相澤先生を見ていたし、今日は渡しそびれたチョコをこの中に紛れ込ませようと誰よりも早く職員室へ来たから。純粋な生徒たちの気持ちに大人の本気を隠してしまおうだなんて我ながらなんとも卑怯な手。
相澤先生が給湯室へ向かう、コピー機の前に立つ、デスクに一人、廊下の隅で寝袋に入っている、いくらでも渡せそうなタイミングはあったのに、キラキラした生徒たちの気持ちを見てしまうと、このチョコが途端に重たいなにかに見えてしまって渡せなかった。
だって本気も本気の本命チョコなのだから重たいのは当たり前か。それでも、と山盛りの紙袋へ入れた。
■□■
「先生、チョコ〜!」
「はい、ありがとね」
「イレ先、これA組女子から」
「どうも」
「相澤先生、受け取ってください」
「ん、ありがと」
空き時間や休み時間に次々やってくる女子生徒。廊下ですれ違いざまに話しかけてくる女子生徒。新任時こそ戸惑いもしたが、数年経てば慣れてくるというもので、だがこの量はさすがに毎年厳しいものがある。
「イレイザー今年もスゲーな!俺には負けるケド」
「勝ち負けじゃねえだろ」
「そうだけどヨ、学生の頃からしたら考えられねー量じゃね?」
「本気なやつなんか一個もないだろ」
「ンだよ、本気のやつが欲しいのか?生徒に手出したらアウトだゼ、イレイザー」
「冗談でも言うな」
そう、この中に俺が欲しい本気は入ってはいない。まだ、と言うべきか。無邪気に渡してくる子たちが眩しいといったところか。大人になれば色んな感情が邪魔をすることは多々ある。経験からの予測か、それが色恋となれば尚更、拗れるのもわかる。かくいう俺も彼女の視線には気づいてはいるものの、話しかけることもせず、いつもより隙を作るくらいで、それでもタイミングは合わずに退勤時間となってしまった。
次の日は当たり前に普通の日で、浮ついた空気も落ち着いていた。
「はあ、結局貰えなかったな」
なんだよ、貰えなかったって。学生じゃあるまいし。
どさりと置いた紙袋が昨日持ち帰った紙袋と並ぶ。
ことん、と一番上に乗っていた手のひらサイズの小さな箱が転がって慌てて拾うと、その箱のリボンの隙間に手紙が挟まっていた。二つ折りの簡易的なものだった。手紙付きなんて受け取ったか?
捲ると見慣れた筆跡で「好きです」とだけ書かれていた。
「マジかよ」
小さな箱も開けてみれば、一粒のチョコが大事そうにそこにいて、ずいぶん重たい一粒だな、と口の中へ入れた。
■□■
バレンタイン以来早起きが板についてしまった。
職員室にはまだ私だけで、手持ち無沙汰にデスクの引き出しを整頓してみたり、給湯室のポットにお湯を沸かしに行ったり、窓際の鉢植えにお水をあげたり、花瓶の水換えをしたり、それでもまだまだ就業時間には遠く、他になにかすることはときょろきょろ見渡していると、職員室の出入り口のドアが開いた。
ぬ、と入ってきたのは相澤先生で、ビクッと肩が飛び跳ねる。
「お、おはようございます。今日は早いんですね」
無言でつかつかと向かってくる相澤先生の圧がすごい。私の横に立つと、低い声で「おはようございます」と言った。
恐る恐る見上げながらもう一度挨拶する。この角度じゃ捕縛布と長い前髪で顔が見えない。
「えっと、私なにかミスでもしました、か?」
「いえ、これ。あなたの字ですよね」
確かにこれは私の字だけど、なんで私の字知ってるの。というか手紙読んでる。相澤先生ちゃんとファンレター読む派だったんだ、意外。ファンレターじゃないけど。
「あなたの字、ですよね」
「……はい」
「はあ」
ため息、なんのため息ですか。書類ミスしたときよりこわい。
「バレンタイン、待ってたんですよ」
注意や指導するときの声色を想像していた私は、思ってもいなかった呆れたような安堵したような声色に何度も瞬きをした。
「待ってた?」
「ええ。ここになんて書いてありますか」
「……好きです」
「俺もあなたが好きです」
だから期待して待ってた、と言う相澤先生の隙間からわずかに見える頬は少し赤くて、「見ないでください」と捕縛布で鼻先まで隠した。
あの中でどうやって見つけたのかと聞くと、「隠れてなんかいませんでしたよ」と相澤先生は言った。
「私、卑怯な手使いました」
「それはお互い様です」
と言って、「重たくて本気のやつが欲しかったんです、あなたから」とふわりと微笑んだ。
直接渡せばよかったなと思ったけれど、見つけてもらえたのが嬉しくて私も一緒に笑った。
「俺と付き合ってください」という職員室には似つかわしくない言葉が響いて、私の恋が実りを告げた。
write 2024/2/15