透明のクリームソーダ
モダンジャスが静かに流れる古風な内装の喫茶店。
こういった洒落た店へ来るのにも随分慣れた。
最初は苦手意識からメニューにさっと目を通してホットコーヒー一択。そしてそのコーヒーも冷める前には飲み干し、時間を持て余したものだ。
今では彼女がセットのケーキをどれにしようと悩もうが、どのパフェにしようと悩もうがいくらでも待てるし、「消太さんはどれがいい?」と聞いてきても、どれでもいいよ、という適当な返事はせず、彼女が好みそうなものの中から俺も好きなものを選ぶ。その時の「私もそれもいいなって思ってたの」とほくほく笑う彼女はとても可愛らしく、それを見たさに言っているといっても過言ではない。それでも決まらない時は、「俺の分もおまえが好きなものにして、二つ食べたらいいよ」なんて余裕ぶったセリフを言って、彼女の喜ぶ姿に満足している。
それなのに今日は悩む事なく、「これにする」と即決だった。少し気抜けして、黒い皮張りの座り心地の良い椅子に背中を預けた。
「めずらしいな」
「SNSで見てこれにしようって決めてたの」
メニューを指差しながら彼女がそう言って、うふふと笑った。
「透明のクリームソーダ?」
「うん、すっごくキレイなの」
クリームソーダといえば鮮やかな緑と人工的な甘さが頭に浮かぶ。透明というのは味が全く想像つかない。
俺はコーヒーと、レアチーズタルトを頼んだ。彼女が冷えた時の口直し用だ。
しばらく経って運ばれてきたクリームソーダは、本当に透明だった。
バランスよく入れられた氷が中で光を屈折させ、同じ透明でもそこにあるのだと存在を醸し出していた。その合間を縫うようにパチパチと上がる炭酸の気泡。よく見るとグラスの底に淡い色があって、二層になっていた。帽子のように乗せられた丸いバニラアイスとその横に添えられたさくらんぼは俺の知っているクリームソーダなのに、目の前にあるものは繊細で知らない食べ物だった。
「わあ、キレイだね」
「綺麗だな」
本当に綺麗だった。彼女と一緒だと知らなかった美しいものや景色を見ることができる。
「飲まないのか」
「もう少しするとね、アイスが溶けてまた違ったキレイさになるんだって」
大きな瞳にクリームソーダを映して、長い睫毛をうっとりと伏せた。
選ぶ時のいつもの可愛らしい彼女が見れなくて残念に思っていたが、これはこれでいいもんだ。彼女が笑顔であれば、アイスが溶けようが、炭酸が抜けようがいつまでも眺めていられる。
まだかまだかと見つめる彼女へレアチーズタルトをひとくち差し出すと、ぱくっと食べた。クリームソーダばかりを映していた瞳が俺を映して、言葉にするより前に表情で「おいしい」と伝えてくる。可愛らしい唇を隠した指先の赤い艶やかな爪がさくらんぼのようだ。
「消太さんのケーキ美味しい!また私の好きなもの選んだでしょ」
「いや、好みが似てきただけだよ」
俺がそう言うと、彼女は、へへ、と小さく笑って、口の端についたタルトのカケラを指先で拭った。
店内のBGMと他の客の話し声にふたりの声も馴染んで、恥ずかしげもなく会えなかった間の話をした。火曜日のお昼に食べたパスタが美味しかったこと、新しいリップを買って今日つけてみたこと、最近見かけた猫のこと、昨日電話で話したとりとめのない笑い話。
爪に塗られた赤を、さくらんぼのようだと言うと、正解と言って、「クリームソーダ食べに行くから」と微笑んだ。言ってよかった、そう思ってその丁寧に塗られた爪を指の腹で撫でた。
シーリングファンのゆるやかなぬるい風に、バニラアイスの表面が滑らかになってくる。
「そろそろかな」
彼女がそう言って、グラスの水滴を拭った。
アイスがソーダの中へ溶け落ちて、もやもやと薄い雲のようになっていた。
「おぉ、これもまたキレイですねぇ」
「ああ」
穏やかな春の昼間かと思うほどゆっくりと広がる雲を眺めた後、柄の長い銀色のスプーンをグラスの中に入れ、ひと混ぜする。カランカランと氷とグラスの軽い音がして、中の透明に色が付く。淡い桃色だった。
「このクリームソーダ、最初は透明なのに、色が変わるの。これが見たかったんだぁ。キレイな色」
「忘れられないくらい綺麗だな」
「でしょ?私も、消太さんと一緒に見れて嬉しい。この色ね、恋の色って言われてて、好きなひとと一緒に見るとしあわせになれるって言われてるんだって。あと、恋が叶うとか」
「ま、確かに飲まずに待つなんてよほどの関係性がないと無理だろうから理にかなってるんじゃないか」
「そうなんだけど、そうじゃない〜!」
彼女は、嬉しそうな困ったような怒ったような複雑な顔をしながら、うーんと唸って、クリームソーダを飲んだ。何味なのか、と聞くと「ももあじ」と言って、俺の方にストローの飲み口を向けた。酸味のある甘さがアイスでまろやかになっていて、それは恋と言うには少々甘過ぎるような気もした。
その甘ったるさを口の中に残して、恋の色を嬉しそうに飲む彼女を眺める。冷めたコーヒーを飲み干すのはもう少し経ってからにしようと思う。
write 2024/1/22 相互さん企画