ウワサの先にはご注意を
私は自他共に認める影の薄い養護教諭です。
雄英高校はヒーロー科の名門であり、ビルボードチャート上位は雄英出身であるという、そんなヒーローたちを輩出しているこの学校で、保健室の先生として働いているのです。
え、私のことを見た事がないですって?
ちゃんと居ますよ、リカバリーガール先生が大怪我した緑谷くんに強烈な『チユ〜〜〜!』をしている時だとか、相澤先生がグルグル巻きにされた包帯をイヤイヤ取り替えられている時だとか、轟くんが炎の個性を最大限に使い意識を失って運ばれてきた時だとか、ほら部屋の隅にいるでしょう? 見えました?
いいんです、大丈夫です。最初に申しました通り、自他共に認める影の薄さですから。いえ、個性ではないです。元々、生まれ持った性質です。別に認識されてないわけではないですよ。多分。
リカバリーガール先生は学校のみならず、ヒーローや学外活動中の学生が病院へ搬送されれば治癒されに行きますし、事故や災害時も救護場所を訪問されたりと、大変お忙しい方なのです。ですので、その留守を私が責任持って預かっているわけです。
「こんにちは〜失礼します、あれ? 鍵空いてるし、在席中のフダかかってたんだけどな〜」
「こんにちは! 私はここに居りますよ」
「おわっ! 先生居たんですね、急に出てきたらびっくりしますよ〜! さっきの授業で怪我をしてしまいまして、」
ずっとここに座ってましたけどね。今更こんなことで傷ついたりはしないんです。得をしてることも多いですから。
存在の認識が薄い私ですから、ソコに居たとしてもバレないんです。
仕事一筋、超合理主義者の相澤先生の私生活が気になっていたとしても、ソコに居ることができるんです。決してストーカーやノゾキのようなものではないですよ。私が居る場所で皆さん勝手にお話し始めるんですから。
相澤先生を目で追うようになったのは、最初は好奇心からでした。
私も雄英出身ではありますが、学年は被らずとも先輩方の学生時代のウワサは歴史のように語り継がれていますから、もちろん相澤先生の話も少なからず2、3はありました。好奇心と申しましたのも、初めてお会いしたのは私が雄英高校に赴任してきた時で、聞いていたウワサの内容とは全くの別人だったからです。
雨の日、捨てられた仔猫を拾えず、代わりに傘を置いてきた、雨も滴るなんとやらな繊細な心を持つお方。
これがウワサの一つ。さてどうでしょう。私でなくとも興味をそそられませんか。
相澤先生と同期のプレゼント・マイク先生は、在学時配信されていらした個人のウェブラジオのリスナーやフォロワーが卒業までに何十万人達成したとかで、聞いて納得なウワサだと思うのです。オールマイト先生やミッドナイト先生、エンデヴァーさんに手芸同好会の先輩方だって皆さんが何かのインタビュー記事で読まれたりしたものと変わらないのです。
そしてここでもう一つ、教室や人目のつかないところで静かに読書をする姿が美しく、拝めたらラッキー。
まずウワサが少ないという点もありますが、何一つウワサと現在が結びつかない先輩は初めてで、好奇心、興味がいつの間にやら突き進み、気になる存在として現在の相澤先生の情報収集を行っていたわけです。
個性と鍛え抜かれた体術、捕縛布をはじめ、他サポートアイテムとの見事な連携は瞬時に敵の戦力を削ぎ、その的確な判断力は全くもって仔猫を助けられないと悩むようには見えません。それに、多くの敵へ単身突っ込んでいく屈強な心は全生徒を守り抜きました。美少年の面影は伸び放題の髪と髭、寝不足による濃いクマでわからず、読書されてるお姿は一度も見たことはありません。
「はい、処置が完了しましたよ。ヒーロー科の生徒さんに怪我をするなとは無理な話ですが、自分を守ることも大事ですからね。気をつけてくださいね」
「はい! さっき先生にも言われたばかりで、次から気をつけます! ありがとうございました!」
生徒が保健室のドアを閉め、あと少しで次の授業開始の予鈴が鳴るな、と時計を見上げた時、またドアが開き足音がしました。先ほどの生徒の来室理由と処置内容を記録するためパソコンに目を移し、そのまま「もう少しで予鈴なりますよ、どうしましたか?」と声をかけました。いくら私の存在が薄いからって、こっそりベッドで寝られるのはいけませんからね。
「次に授業は入ってないので大丈夫です」
先に声をかけたのが良かったのか、保健室へ入ってきた方が私を認識したのは初めてでした。自分の影の薄さに隠れて、自ら姿をアピールするということを忘れておりました。目から鱗。
今度からそうしてみましょう、と意気揚々とデスクチェアをくるりと三十度ほど回転させると、ポケットに手を突っ込んだいつもの風貌の相澤先生がおられました。
「あら、相澤先生。お疲れさまです。怪我ですか? 仮眠ですか? 予備の目薬切らしましたか?」
「お疲れさまです。生徒の手当てありがとうございました」
「いえいえ、生徒のからだとこころを守り助けるためにここにいますから」
そうでしたね、と相澤先生は低いけれど静かな声で言って、捕縛布を外すと診察のために置いている丸椅子へ腰掛けられました。背の高い先生と同じ目線になることはそうないので、ドキリとしました。いけません、仕事中です。気を引き締めなおします。
「先生もお怪我ですか?」
「あー、いや、まあ、はい。先ほどの授業で個性を使いまして少し違和感が、」
「まあまあ、復帰されるの早かったのではないですか。大怪我のあとはしっかりお休みすることも大事ですよ。しかしどうしましょう、本当はリカバリーガール先生に診てもらったほうが良いと思うのですが、今日のお戻りは遅いみたいで」
「えっと、ばあさんに診てもらうほど大袈裟なものではないです。引き攣れがあったくらいで」
そう言った相澤先生は目線をそらし、右目下の傷を小指で掻いてしまわれました。はやとちりでしたか、恥ずかしいです。って、傷口を触ってはいけません!
「え、」
咄嗟に両手で先生の右手を掴んでしまいました。職務です。他意はないです。
「あ、き、傷口を触ってはいけないと思いまして。乾燥しているのかもしれません。確認するので前髪上げてもらってもよろしいですか?」
次は許可なく触りません。髪をかき上げ、伏し目がちに下を向く相澤先生の右目下の傷痕を、「少し触れます」と言って触診しました。全体的に少しカサついた肌に、洗顔やお風呂上がりに化粧水など塗られてますか、と質問をすれば、何も、と答える先生へとりあえず傷痕へも塗ることができる保湿剤をお渡ししました。
「お顔の保湿も忘れず、ここは皮膚が薄くなっているので、こちらを使ってしっかりめにお願いします」
「わかりました。ありがとうございます」
「お大事になさってくださいね」
無事診察も終わり、ホッとしました。ですが、先生は帰る様子もなく、下を向いたまま、まだ手の平で保湿剤の入った容器を転がしています。どうされたのでしょう。お帰りになったあと、先ほど前髪をかき上げた時の先生の綺麗だったお顔を反芻したいと思っていた私は、内心そわそわしておりました。まさにあの時、美少年の面影を見たのです。
「他に気になるところありますか? それとも仮眠されていきますか?」
「いえ、恥ずかしい話、化粧水というものを使ったこともなければ買ったこともなく、どれが良いのかと」
「ああ、勧めておきながら不親切でした、すみません。今は男性用化粧品も充実しておりますから、肌タイプや体質にあったものを選ぶことが出来ますよ。先生は全体的に乾燥されてるのでさっぱり系よりしっとり系の方が、でもこちらは好みによりますものね」
うーん、と私が腕を組み悩みながら話している前で相澤先生もコロコロと容器を手の平で転がしつつ話を聞いておられました。普段は微動だにしない、と言いますか、無駄のない先生しかお見かけしておりませんでしたので、落ち着きのない様子が気になります。
「先生、何かお悩みでもあるのですか? 私でもお聞きすることはできるのですが、少々力不足でして、カウンセラーの先生にお繋ぎしましょうか」
揉んでいた手がピタリと止み、鋭いけれど愛情深そうなしっかりと人の本心へと届く瞳がこちらを向きました。覗き込むように首を傾げておりましたから意外と近く、その瞳の力強さに私の下心まで見透かされてしまいそうだと、慌てて、けれどゆっくりと視線をそらしてしまいました。目が泳いだと言うのが正しいかもしれません。
「そういう風に見えましたか」
「先生の行動は無駄のないもののように感じておりましたので、手遊びされる様子に何かあるのではないのかと」
「ふふ、よく見てますね」
それはどういう意味でしょう。というか笑いました? 目の端に映った柔らかく笑うお姿はあどけない感じもあって、先ほどの美少年の面影にふわりと重なり、ときめいてしまいました。私ったらまた、いけません、仕事中です。
「目、そらしてもいいんですか? 俺、目の前にいますよ」
「な、なんのことでしょうか」
「いつも見てるでしょう、俺のこと」
「し、しごとですっ!!」
仕事なわけあるか、とまた笑う相澤先生はやはり少年のようでした。ええと、落ち着かない様子だったのは私の視線確かめるため? 怒っている素振りはなく、始終穏やかに眉を下げられている優しい眼に見つめられ、ゆるやかにじんわりと穴があきそうです。そこから下心が出できそうなのですが、どうしましょう。というより、仕事なわけ、と言うのはもう下心見えてるのでは? いや、私の存在に気づいていらっしゃるということはもう見えていらっしゃるということで、ということは、どういうこと?
「そんなに目泳がせて、目回りますよ。ああ、あと、付き合ってくれませんか」
「は、え?」
「化粧水、買いに行くの」
「ああ、ああ! はい、もちろんお供します!」
なんて心臓に悪い。
「それと、これ下心ですから」
「わかってます、下心ですね、わかります。私ももう隠せなくって焦ってます、?」
何が起きてます?
「だめ、あなた可笑しすぎ、腹痛い」
一体、何が起こっているのでしょうか。
相澤先生はひとしきり笑った後、「じゃあまた仕事終わりに」と言って、捕縛布を首に巻き、出ていかれました。
放課後、自主練で怪我をしたという生徒のもとへ駆け回り、部活で怪我をしたという生徒の話を聞いては保健室へ戻るのを繰り返し、事務処理をなんとか終わった頃にはもう就業時間を随分過ぎておりました。午後にはお戻りになる予定だったリカバリーガール先生はまた別の病院へ行かれるとかで、重なる日はいろいろと重なるものです。こればかりは仕方がありません。
相澤先生の去り際の言葉を思い出し、申し訳なく思いながらパソコンをシャットダウンし、保健室の戸締りを終え、最後にドアの鍵を締めました。職員室へ鍵を戻しに、然程離れていない静かな廊下を歩くと、ぺたりぺたりと日中は賑やかで聞こえない自分の足音が聞こえます。
カラカラ、とドアが開く音も聞こえます。なんて静かなんでしょう。控えめに出た、お疲れ様です、もシンとした空気にさらさらと消えていきました。
他の先生方はおらず、職員室には相澤先生だけでした。待たせてしまった、とそうっと近づくと、大きな手が、長い指が文庫本を器用に挟んで、親指がぺらりとページを捲っているところでした。頬杖をついたほうへ体がわずかに傾いて、長すぎる前髪の隙間からすうっと高い綺麗な鼻筋が見えています。気づかれていないようでしたので、お顔を拝見したい、と覗き込めば、文字を追う伏し目がちの色気ある眼がありました。次の段へ移ろう時、短めの睫毛も揺れて、瞬きさえもため息が出るほどでした。
『静かに読書をする姿が美しく、拝めたらラッキー』
納得のウワサです。これを残してくださった先輩方、ありがとうございます。その通りでした。
「……うつくしい……らっきー」
「また可笑しなこと言ってる」
本を閉じ、デスクの引き出しにしまうと、「行きますか」と立ち上がり「腹が減りましたね」とおっしゃいました。先生もお腹空くのですね、まだまだ観察しがいがありそうです。相澤先生に私の影の薄さは通用しないみたいなので堂々とするしかありませんね。
近所のドラッグストアへお供する際、途中夕食をご一緒したのですが、その際も鼻息荒く相澤先生を見つめてしまい、その夜の帰り、「俺の言ったこと理解してないようですね」と詰め寄られてしまったのはまた別のお話です。おそらくこのままお話してしまうと、私の心臓がもちそうにないからです。明日からどうしましょう。おしまい。
write 2024/7/29