あの夏の日の記憶と
あの日はどこかの国のデザイナーとファストファッション店がコラボした、水色の平面構成が心地よいノースリーブのワンピースを着ていた。
キャップに、ごつめのスニーカーを履いて、高二の修学旅行の時に買ってもらった少し子供っぽいキャリーケースを片手に時刻表も確認せず、ちょうどよく来た目の前の電車へ飛び乗った。
ガタンゴトンと揺れる五両編成の電車は、一車両に一人乗っているかいないかというくらいの空き具合で、貸し切り状態だったのを覚えている。真夏の平日、しかもお昼過ぎの電車はこんなにも空いているのかと流れる長閑な風景を眺めながらそう思ったことも。
なかなか閉まらないドアに、聴いていた音楽の音量を下げれば、乗り換え電車の時刻をアナウンスしていた。25分の待ち時間。時刻表も見ずに飛び乗るからだ。乗っていた他の乗客はこの駅へ着くまでに降りたようで、乗り換え地点で降りたのは私だけ。よくある田舎の普通の駅。腰掛けたホームのベンチは色褪せていて、表面は劣化でざらつき、かろうじて読めるスポンサーの剥げかけたシールが長い時間ここに居ることを物語っていた。
1時間ほどキンキンの車内で冷やされた体は、目の前に広がる真っ青な空と白い雲にじわりじわりと熱を思い出す。よく見たような、けれどよく知らない駅はそういう時間帯なのか、フェンス向こうに見える駅前も誰もいなかった。取り残された25分間は、元気よく鳴いている蝉たちをそばに感じつつ、ぼうっと空を眺め、当時聴いていたアーティストのアルバムをリピート再生していた。軽く口ずさみもした気がする。若かったのだ。
よくこんなにも昔のことを鮮明に覚えているな、と私自身も驚いている。別に常にこの記憶と一緒にいたわけではなく、あの時着ていた服のデザイナーが10年振りにコラボすると話題になったからだとか、コンビニで流れた有線があの時聴いていたアルバムの一曲だったとか、今年初めて入道雲を見たからだとか、そういうことの積み重ねが記憶の蓋を開けたのだ。
あの日、遠距離恋愛中の彼の家へ着いた時、ドアを開けた彼は何と言っただろうか。「久しぶり」「髪伸びた?」「暑かっただろ」「可愛くなったな」どれもそんな気がするし違う気もする。そこは覚えてないのかよ、と彼からつっこまれそうだけれど。
「ふふふ、可愛くなったな、はないな」
「独り言で笑うとはすけべだな」
隣に座っていた消太がノートパソコンから顔を上げ、私が持っていた携帯のネットニュースのページを覗き見ながら言った。
「違うよ、消太のこと考えてただけ。ほらこれあの日着てた服と同じデザイナーさんのやつ」
「あの日?」
「私が短大2年の夏休み、消太の家に押しかけた日」
「ああ、あの日ね。俺も休みだって言ったら、来るって連絡来てさ」
懐かしむように柔らかく笑う消太に、私もつられて頬が緩む。そうそう、と返せば、「全然来ねえなと思って外出ようとした時、汗だくなおまえが立ってるから」とまた優しい声で言った。
あの時の彼はプロヒーロー駆け出しで、意外と言えば怒られる気がするから言わないけれど、覚えていたのはやはり意外だった。彼の記憶も合わさり、また脳内であの日が再生される。当時消太が住んでいたアパートのインターホンの音符マークが可愛かった。この可愛いマークを押せば彼が出てくると思うと可笑しくて、押せないでいると消太が出てきたのだ。「うわ、びっくりした」って。
「あはは、やっぱり可愛くなったな、じゃなかった」
「え、なに」
「私見た瞬間、消太が言った言葉〜。せめて久しぶりとか聞きたかったなーって」
「いや、気配なかったし。その後、久しぶりとか、元気だったかとか言っただろ」
「ふふ、言ったかも。消太、昔から私の気配感じるの苦手だよね」
「もう当たり前すぎてわかんねえんだよ」
照れくさそうに髪をワシワシと掻きながら言って、パタンとノートパソコンを閉じ、横へ置いた。
「ほら、そろそろ花火上がる時間だろ」
「ん、ほんとだ! ビール用意するね!」
あの日と同じようにベランダで肩を寄せ合い、花火を見る。
無鉄砲に電車に飛び乗ったわけは、どうしても消太と花火が見たかったからだ。若かった私は、彼の休みの日が花火大会だと知り、奇跡だ、運命だ、と心が躍って、いてもたってもいれなくなったのだ。子供っぽいキャリーケースにはお泊まりセットはそこそこに、新調したての、今思えば少し子供っぽい浴衣が詰め込まれていた。
もうピンクの浴衣は着れないけれど、きっと今日のこともいつかまた思い出す。一緒に選んだ朝顔柄の浴衣に、あの頃とこれからが詰まっていく。
「あの日は、」と笑いあえるほどに。
write 2024/7/13