ふくおかロマンチックプロポーズ
私は今、地元である福岡へ向かっている。
雄英へ赴任して以来、約5年ぶりの地元だ。
理由はインターン訪問。A組、B組の生徒の活動を現地へ赴き確認するためだ。未来のヒーロー育成機関として、今後もお世話になる事務所への挨拶回りも兼ねている。
土地勘があり、業務的にやや余裕のある私が選ばれたのは納得なのだが、隣にいるA組担任の相澤先生には疑問しかない。
遡ること数時間前。支給された切符を確認し、指定席へ座った朝6時の新幹線内。一息つき、カフェラテのストローを挿した時だった。
「おはよう」
現れたのはスーツ姿の相澤先生。少し大きめのビジネスバッグを肩に掛け、コーヒー片手に立っていた。挨拶を返せば、バッグを頭上の荷物置きへ入れ、隣に座った。
「おはよ。ねえ、一緒に行くなんて聞いてない」
「校長、言ってなかったか? 急遽決まったんだ」
「それにしたって、消太が九州まで行くって。よくオッケーしたね」
「まあね」
ジャケットのボタンを外しながら背もたれに寄りかかる彼を、驚きと高揚した気持ちで見ていた。
同僚の相澤消太は私の恋人だ。私の何が気に入ったのか、彼からの猛アタックの末、半ば折れるような形で付き合い始め、2年ほど経つ。最初こそ押しが強く得体の知れない彼に圧倒されていたが、今ではこの突然訪れた二人での出張を、にやにやと顔が緩むほどに彼のことが好きになっている。
「嬉しそうだな」
「だって一泊だよ? 出張とはいえ、消太と遠出して一泊なんて初めてなんだもん」
「まあ、そうだな」
消太が一緒ならば新幹線ではなく、飛行機だっただろうに。更には、連絡はビデオ通話があれば充分だと言ってる合理主義者が、何故にわざわざ時間をかけて福岡へ? 浮つく心を抑えつつ、幾度か彼に質問したが、やれ校長の命令だの、やれ挨拶は大事だの、普段の消太ならば言わないような返答ばかりで、腑に落ちなかった。
そんな私に「先は長いんだ、気楽にいこう」なんてコーヒーを啜っていた。
福岡での挨拶回りは、天神や博多にある連携先の事務所数ヶ所と、常闇くんがお世話になっているホークス事務所へ伺う予定だった。が、流石は最速の男ホークス。博多駅へ着き、タクシー乗り場へ向かおうとしている私たちの前へ降り立ち、常闇くんの活動様子の報告から、こちらが伺うはずだった事務所への封筒を「この辺一体は俺が見てるんで大体オッケーすよ。雄英生は優秀ですから」と言って羽で飛ばし、私たちがこれから数時間かけて行うはずだった仕事をものの数分で終わらせた。呆気に取られている間に、私の手には連携先の事務所から返答用紙が次々と赤い羽に乗って戻ってくる。それも全て戻りきる前にホークスは、「お仕事はほどほどに〜!」と言いながら飛んでいってしまった。
「ねえ、相澤先生、まだ11時前ですよ」
「驚いた。はやすぎたな」
「ほどほどに〜、って今日と明日の仕事終わっちゃったんですけど」
話をしている間に残りの返答も返ってきて、福岡へ着いて10分も経たない間に全日程の仕事が終わった。なんという速さ。ますます消太がここにいる意味がわからなくなってしまった。このままとんぼ返りになるのかな、明日雄英へ帰るまで一緒だと思っていたのに。
「さて、行くか」
「やっぱり帰るしかないよね」
「何言ってるんだ、チェックインしに行くんだよ。スーツのままじゃ動きづらい」
「へ? スーツ脱いじゃうの? かっこいいのに。じゃなくて、帰らないの?」
「帰るのももったいないだろ。休日返上で来てるんだ、遊んだってバチは当たらん」
消太は、ふう、と息を吐き、ネクタイを緩めボタンを一つ外した。
「信じられない。てっきり仕事が終わったなら居る意味ないって帰るのかと思った。というかちょっと怒ってるかなって」
「怒る? 仕事が早く終わるのは喜ばしいことだろ」
ははは、と浮かれ気味に笑った彼は先頭のタクシーへ乗る合図を送った。
「え、ホテルならタクシーじゃなくて歩きでいいじゃない、すぐそこのビジホでしょ?」
「いや、変更になったんだ。これも聞いてなかったか?」
聞いてない。
消太が同行ということも、こんなに早く仕事が終わることも、ホテルが変更になったことも。
行き先は消太が運転手さんへ携帯を見せていてわからなかった。運転手さんも寡黙な方なのか行き先も告げず、こくりと頷いて丁寧に運転を始めた。都心部を離れて何処へ行くのかと思いつつも、車窓から懐かしい風景を眺めては消太へ「あそこ見て」と学生時代の思い出話をした。
こっち方面はもうドームやタワーしかないのに、と思った矢先、タクシーがホテルのエントランスへと入っていく。
「ね、ほんとに合ってる?」
「合ってるよ」
ヒルトン福岡って、出張で泊まっていいホテルではない、よね。私、ランチビュッフェしか行ったことないんですけど。流石に部屋は別だろうとフロントへ行けば、俺がやる、とソファで待つことに。そして案内されるままエレベーターへ乗り込むとカゴはぐんぐん上がっていき、上階へ。消太が手にしているカギは一つ、ということは同室ということ。しかもそこは博多湾を一望できるオーシャンビューなスイートルームだった。
聞いてない、どころか一体どうなってるの?
「ね、消太?」
「ん? 休みだからいいだろ」
「わけわかんない」
そうだった、消太は強引に丸め込むのが上手いんだった。
それでも恋人とスイートルームにいるからって甘い雰囲気にならないのが消太らしい。スーツを脱ぎ、見慣れた私服に着替えた彼は、持ってきたノートパソコンで仕事を始めた。休みだからと言ったのは誰よ、と思いつつ私も報告のメールとホークスから受け取った連携先の返答をまとめる作業へ入ったが、しかしそれも1時間もかからずに終わってしまった。
それは消太も同じだったようで、閉じたパソコンをバッグへしまうと、「いつまでスーツ着てるんだ?」と言って私の後ろへ立ち、仕事中に使っているバレッタを外して私の髪を解いた。なんだか今日は振り回されてばかりで付き合い始めの頃を思い出す。
着替えた私は軽く化粧も整え、髪型も変えた。消太も先ほどまでの雑に束ねた髪型から、スーツを着ていた時と同じハーフアップに結び直していた。
「お待たせ。さっきは言う暇なく仕事始めちゃったけど、ここすごく眺めいいね」
窓の外を見ていた彼の隣に立つ。
「だな」
「夜景も綺麗なんだろうけど、あの辺り実際に歩くのも楽しいよ」
窓の向こうに建ち並ぶビル群を指差す。
「前はこの辺りに住んでたんだよな」
「うん、雄英に赴任するまでね」
昼食、夕食は隣接された商業施設で済ませた。比較的新しい施設は、フードコートや内部のレストランも福岡名物ばかりで、消太の胃も楽しませることができた。私は食べたかったソフトクリーム店が機械調整により臨時休業中でがっかりしたが、「ここで買ってもいいんじゃないか」と消太が提案し、選ぶ頃には気持ちも持ち直していた。なぜなら福岡に住んでいた頃も近所のスーパーでアイスを買い、夜道を歩きながら食べていたからだ。図らずとも消太と同じことが出来て、嬉しかった。
「福岡タワーもね、季節とかイベントでイルミネーションが変わるんだよ」
「へぇ」
ホテルの前を通り、橋を渡ればオフィス街へと入る。上から見た時はにょきにょきと自由に生えているように見えたビルも、地上を歩けば整然と建ち並んでいて背筋が伸びる。吹く風は磨き上げられたガラス窓を撫で温度を落としたのか、涼しく凛としていた。懐かしい。私はこの場所の夜の空気感が好きだった。
「静かで良いところだな」
「ね。消太とここを歩けるなんて思ってなかったよ」
タワー付近まで着き、三角柱の面に映し出されたイルミネーションが見えてきた。チラチラと動く光の粒が模様を作り出す。
「これは部屋から見た方が綺麗かな、ふふ、近いとわかんないね」
「いや、充分綺麗だよ。この鋭角な感じ好きだな」
「消太がここにいるの変な感じ」
「おまえはそればっかだな」
だって、と話す私に消太は笑って、握るように繋いでいた手を解くことなく指を器用にするりと絡ませ、恋人繋ぎに変えた。熱い指先が手の甲を撫でる。くすぐったかった。こんなに浮かれた彼を見るのは初めてかもしれない。遠く離れた場所へ来て、初めて見る景色に、名物料理を食べれば消太も人並みにテンション上がるんだな、と彼の新たな一面に口角が上がる。
「おまえが歩いた道を、見ていた景色を見れて嬉しいんだよ、俺は」
「へ、あ、そ、そんなこと言う人だったっけ。照れる」
「多少なりと浮かれては、いる。そういうもんだろ」
タワーの横を通り過ぎ、海岸通りへ出る。先ほどまでの凛とした風と違って、海の向こうから吹く風は少し丸みを帯びており、二人の頬を優しく撫でた。歩道から続く階段を登れば、ビーチの先にライトアップされたチャペルが見える。
「わあ、ここも変わらない! きれー!」
私は消太の手を引っ張って展望台の柵へ駆け寄り、懐かしい景色に目を輝かせた。テンションが上がっていたのは私もだった。
「小さい頃家族で来た時、ちょうど結婚式があっててね、幼かった私にはそれが結婚式とはわからなくて。あそこに行ったらお姫様になれるって思ったの。綺麗なドレス着たお姫様が幸せそうにお城に入っていくの。私も行きたいって駄々こねたなあ」
興奮気味に早口で話す私の話を、消太は相槌を打つこともなく静かに聞いていた。幼い頃の話とはいえ、お姫様、だなんて言ってなんだか少し恥ずかしかった。
「なるか、お姫様」
潮の香りがする夜風が二人の間を吹き抜けた。
時が止まったように風が止み、波の音が大きく聞こえる。乱れた髪を整え、彼の顔を見上げればいつになく真剣な顔をしていて、冗談ではないことを悟る。形のいい眉をぐっと下げた男らしい顔は、そういえば告白してくれた時もこんな表情をしていた、と過去の思い出がうるさくなった心臓と共鳴する。
「……え?」
だからか遅れて溢れ出た言葉は、あの時と同じで。
「結婚しよう」
けれど彼から紡がれた言葉は、あの時と違くて。
いつの間にか離されていた彼の手には白いリングケース。ベルベットがしっとりと街灯を照らし返していた。消太の掌がそれを包み込み、ゆっくりと開く。女性ならば誰もが憧れるプロポーズのシチュエーションが目の前で映画のワンシーンのように流れている。チラチラと光るタワーのイルミネーションが指環に映り込んで、とても綺麗だった。
「……は、い……」
「末長くよろしく」
消太は私の左手の指先にそっと触れ、慎重に薬指へきらめく指環を通す。彼の指先も僅かに震えていた。
「こちらこそ末長くよろしくお願いします。嬉しい、すごく綺麗。すごく嬉しい、ありがとう、消太」
顔の高さまで掲げれば、品よく台座におさまるダイヤは、より光を集めて輝いた。
彼の顔はとても穏やかで、プロポーズの言葉よりも綺麗な指環よりも、その表情がなによりも心に響いて涙が滲んだ。重くとも軽やかともとれないその響きは、なんと言い表せばいいのかわからないほどの初めての感情だった。
ホテルへの帰り道、磯の香りを纏い、ほんのりべたつく肌を触れ合わせながらシンとしたオフィス街を歩く。
「ねえ、消太、この出張って」
「さあ、どうだろうな。いいだろ、こういうのも」
「うん、一生の思い出」
「ちなみに明日は、ホテルでおまえの両親と食事の予定だから」
「……え? 一体どこから」
「さてね。楽しみだな、明日」
「まったく聞いてないことだらけだよ、もう」
私はこれからも彼に転がされながら生きていくのだろうと、それも悪くない、覚悟の上だ、と意外とロマンチストな彼、消太の手を引いて歩いた。
write 2024/6/22