ミントの香りは
いい天気だな、と窓の向こうに広がる空を眺めていた。空色、というのがしっくりくる、画用紙のような空だった。
頬杖をついた少し低い目線の先、丸テーブルの上に置いたペパーミントの鉢に手を伸ばす。鮮やかな緑に触れれば、すうっとする涼しげな匂いが鼻に抜ける。
最初は虫除け用に買ったのだが、食用に使えることを知って、葉を摘んではアイスに乗せてみたり、ミントソーダやミントティーを時折楽しんでいた。マットな質感の丸い鉢に植えられたミントは私の部屋との相性がいいのか、もりもりと生い茂り、元気に揺れている。
腹に落ちる清涼感に、うっとり目を閉じた。明日は月曜日、仕事だ。のんびりしよう。
次の日も、朝はややひんやりとしたが、いい天気だった。
朝会でのそりと私の隣に立った相澤先生は朝に弱いらしく、まだ電源はオフ気味で、もさりと黒い塊のよう。瞼も重そうだ。昨夜、緊急の招集でもあったのだろうか。ヒーロー科担任であり、プロヒーローでもある先生方の多忙さは、普通科で普通教科の教員である私には計り知れない。
昨日の昼、穏やかさに思わず目を閉じた自分が少し恥ずかしく思い、静かに深く息を吸い込んだ時だった。ミントの香りがした。すん、と鼻を鳴らせば、部屋の風景が脳裏に浮かぶ。
指先に触れたミントが、ふるりと揺れる。
「……あの、においますか。俺」
掠れた小声が申し訳なさそうに、私の頭へ降ってきた。
「い、いえ、ミントの匂いがして」
視線だけを相澤先生のポケットに突っ込まれた手へ移して、私も小声で返す。
「そう」
「失礼しました」
「……いえ」
朝会中の私語は、香りも相まって、どきりとした。初夏の朝に吹くひやりとした風、爽やかさの中にも梅雨を待つしっとりと重さのある空に、ミントの匂い。ライムを搾ったソーダ水に沈むミントが氷と一緒にくるくると回っているようだった。
「これ、ですかね。さっきの」
朝会後、デスクへ戻った私に相澤先生が銀色の紙に包まれた小粒のガムを差し出した。手のひらに乗ったそれに鼻を近づけると、ほのかにミントの匂いがした。一瞬、すう、と鼻腔に広がったが腹には落ちず、胸に留まる。どきりとした。
「ちょ、っと。これ差し上げますから」
「あ! ああ! すみません、つい」
相澤先生の手のひらから顔を離し、随分と上にある彼の顔へ向ければ、くいと上げられた捕縛布からかろうじて見える充血した三白眼が動揺で見開かれていた。思わず赤面する。
「つい、って。あなたがそういうを顔して、俺はどうしたらいいんですか」
「どう、しましょう。いや、普通で! 普段通りでお願いします」
葉を摘んだあと、指先を嗅ぐのが好きだ。だからというわけでもないのだが、さっき感じた何かを確かめるつもり、だったのだろうか。職場で、学校で、私は朝から同僚相手に何をやっているのだ。
「俺はもう無理ですけど」
「相澤先生ってガム食べるんですね」
「無理だって言ってるそばからいつも通りですか」
不服そうな顔で「眠気覚ましですよ」と答えた彼は、コトリとガムを私のデスクへ置いた。その表情はどう見ても同僚がする顔ではなかった。一際どくんと心臓が鳴る。
「私、ミント好きなんですよ、家で育ててるんです。相澤先生、いい匂いですね」
「あなたはまたそうやって。人の気も知らないで」
「すみません。私も今、知ったところですから」
熱い頬に僅かに触れた相澤先生の感触が残っている。胸に留まった、ミントの先に感じた彼の匂いも。始まりそうな予感を濃いものにするかのように微笑んで去る相澤先生の背中を眺めていた。
それらは私の中でくるくる回って、一つの感情になっていく。今夜はきっと濃い目のモヒートだと、心の中でそう決めた。
write 2024/6/4