九話 色を失った季節の下で
『やっぱり返すね』
彼女の部屋にある俺の私物をどうするかと連絡が来たのに対し、『捨てといて』と返事をした。鳴らない携帯に慣れ始めた頃、返事がきた。彼女らしいな、と思いながらもできればあのまま鳴らなければよかったのにと思う自分もいた。
久しぶりに会うために待ち合わせたのは、よく散歩をしていた近所の公園だった。
落葉した背の高い木々が心許なく、無彩色の空へと伸びている。
「待たせたな」
見通しのいい遊歩道の低木に挟まれるように置いてある木製のベンチに彼女は座っていた。ううん、と短い返事をして、冷気で赤くなった頬と鼻先を雪のように白いマフラーで隠した。
「私、待つの好きなの。それにね、待ち合わせ時間前なのよ、消太さん」
彼女は以前も同じことを何度か言っていた。
待ち合わせ場所へ行く間も待ってる間も消太さんのことを考えて、消太さんもきっと今ごろ私のことを考えているのかなあって思うとしあわせでしょう?とまわりの空気がふわりと温かくなるような柔らかい笑顔で言ったのを覚えている。
「俺も
〇〇の待つ場所へ行く時間が好きだよ。今日くらいは待っていたかったがな。寒かっただろ、鼻まで赤いぞ」
別れたというのに、思い出した過去が口を滑らせた。
時間通りに着いても、10分前に着いてもいつも彼女はそこにいた。最後くらいは、と思って20分前に着いたのだが、きっと彼女も同じ考えだったのだろうと思うことにする。
彼女は、本当に?恥ずかしいからあまり見ないで、と言って微笑んだ。そして膝に置いていた紙袋をぎゅっと掴む。
「部屋にあった消太さんの服とか持ってきたよ」
「ああ、ありがとう」
冷たい風が吹き抜けるたびに透明度が上がって腹が立つ。はあと吐いた湿った息も、一瞬だけ熱を持って、白くなっては消えていき、あれだけ鮮やかだった景色が嘘のように色を失うこの季節に縛りつけられそうになる。
「消太さん?」
彼女は、返事だけをしてなかなか荷物を受け取らない俺の顔を覗き込んだ。
「少し歩こっか」
マフラーと同じ色のコートを着た彼女が立ち上がって、歩き出す。
今日は一段と寒いね、と低い空を見上げ、手のひらに、はあと息を吐いた。やはり彼女の白い息も溶けて消える。
俺は、その後ろをゆっくりと着いていく。
「私ね、消太さんには生きていてほしいの」
だからね、持っておくことも捨てることもできなかったの、と振り返った彼女が紙袋を持った手を差し出す。
「わかってるよ。俺も同じだから」
「大丈夫。私はどこかで生きているから。大丈夫だよ、消太さん。私が強くなるためにどうか私を忘れて」
「……ああ」
「最後まで勝手でごめんね、ごめんなさい」
彼女は、瞬きをした。淡く揺れる長い睫毛が濡れる。頬に涙は伝わない。飴色の遊歩道に染みをつけたのは、俺の涙だった。
彼女がまとめてくれた紙袋は帰ってそのままゴミ袋へ突っ込んだ。
「こんな風に捨ててしまえたら」と心にもない言葉が何もない部屋の暗闇に溶けて消えていく。
ふと最後の、彼女の後ろ姿が瞼の裏に浮かぶ。
――これが正しい道なんだろ、わかってるさ。
捨てることもすぐに忘れてしまえるものでもないのならば、無理やりにでも蓋をして、彼女がいなければ意味がないと押し殺した感情も一緒に、奥底へ沈める。
『どうか私を忘れて』
ここには元から何も無かった、初めから何も無かったんだ。
次の日、雄英高校のある街へ引っ越した。
俺は、俺自身を騙して生きていく。