一話 本屋にて
雄英のある最寄り駅から二駅離れた大型書店の国内小説作家の陳列に俺はいた。
その端の棚には、一番上の本を取ろうと背伸びをしている女性がいる。
ふうと息を吐き、伸ばした腕を下げ、目当ての本を顔を上げて眺めている。
再び背伸びをしながら指先で少しずつ取る姿が危なっかしく、ヒーローの本分か、俺は声をかけた。
「これですか」
「え?………はい」
ありがとうございます、と本を受け取り、頭を下げ礼を言う女性が「こんな所でもヒーローされるんですね」と言って微笑んだ。
今日は休みでコスチュームは着ていない。以前拠点としていた街からも離れている。一般市民に顔が知られるほど露出していないし、生徒のご家族の方でもなさそうだ。ヒーローと知られるのも憚られる。顔見知りかとも考えたが、ここは無難に対応しておくことにした。
「このくらい誰でも…」
「そう、ですね」
もう一度丁寧に礼を言って去っていった。その姿を横目で見ながら、会話の端々に見せた、少し寂しそうに瞼を伏せて笑う顔を思い返していた。俺は、あの淡く揺れる睫毛を見たことがある。
落葉樹の細い枝が無彩色の空へ伸びている。
音も匂いもからだの至る所に刺さってくる風。
赤くなった頬、マフラーに埋まった長い髪、話し声と白い息、そして伏せられた瞼。その揺れる睫毛は湿っていて――俺は、全てを思い出す前に動き出していた。
同じフロアを見渡してもおらず、一階へ行くと女性が店の出入り口へと向かっているところだった。持っていた本をレジに通し、急いで後を追う。何故忘れてしまっていたんだろう。あんなにも綺麗で鮮烈な日々を。一度思い出すと、蛇口を捻ったように次々と記憶が流れ落ちてくる。
「あの、すみません。待ってください」
追いつく頃には、空洞だった場所に、在るべきものがそこにすっぽりとおさまるかのように、彼女との記憶で満たされていた。同時に、触りづらい位置へと戻る感情の存在に、胸が軋む。
「秋の契り、という言葉を知っていますか」
振り返った女性が、今言おうとした言葉を、俺を見上げて言う。
「なんでそれを。偶然…」
「なんてあるわけないと、あなたが一番知っているでしょう」
そうだった、この女性は、彼女は、未来が視えるんだった。自分とその時一緒にいた人の未来が視えるという個性だ。好きな刻を視れるわけではなく、発動した時と同じ季節しか視られない。数分先の事か、はたまた数年先の事かはわからない不安定なものらしい。俺はそう聞いていた。
「そうだったな。久しぶり、元気だったか」
「ええ。相澤くんは?」
「元気だよ」
よかった、と彼女は微笑んだ。
懐かしむように笑う彼女の前で俺は、切ないような苦いような、水分を多く含んだ果実を握りつぶすような感覚に、胸が苦しくなった。
「『湖の先に浮かぶ』でしょう?」
俺が手に持っている袋に視線を落とすとそう言って、首を傾げる。
「そんなことまで視えてたのか」
まさか、さっき本取ってくれた時に相澤くんが持ってる本を見ただけよ、と言って歩き出した。俺は、その後ろを彼女の歩幅に合わせて歩く。