燃ゆる、秋
「B区間、封鎖しました!目標の敵、目視2。狙い通りこちらに向かっています」
『了解、A区間も封鎖完了。作戦開始まであと五秒!』
──3、2、1……
憧れのプロヒーローのサイドキック入りをして早数年。最初はむず痒かった、毎日のパトロールや、小さな事でも声をかけたり手を差し出すと返ってくる「ありがとう」の言葉や「がんばれー!」とヒーロー名を叫ぶ小さな子どもたちの声援にも慣れた頃。作戦のリーダーにも選抜されるようになって、ヒーローとして充実した日々を過ごしていた。
ヒーローになりたい、と夢を見て雄英高校の門を潜り、密な三年間を過ごせたことが今の私を作る上でとても大切な核となっている。切磋琢磨する仲間たちの姿を見て、負けてられないと奮い立ち、時には協力して共に自主練に励んだりしていた。そして、一年時の担任だった相澤先生の存在も大きい。
不器用なのに真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎて裏目に、というか自ら損な役に回るような、本当に生徒の事を大事に思っている人が、たまに先生の顔をしなくなるから目が離せなくて、逸らせなくて、早くあの人の隣に立てるような立派なヒーローになりたいと思っていた。
「しっかり見送らせてもらう」と言った先生の、卒業式後見せた涙に、言い逃げるように吐いた告白の予約。もう何年も経つし、先生も大人だし恋人や、もしかしたら結婚していたり…なんて想像もしてしまうこともあったが、とりあえずは自分の都合の良いように考えて日々のヒーロー業を頑張っている。今日よりも明日の自分の方がきっと目指すヒーロー像に近づいてると思うから。
「はぁ、寒…。今日は冷えるなあ」
つい先日まで汗ばむような日が続いたかと思えば、幾度か台風が通り、その暑ささえも巻き取って、いつの間にか空は低く彩度をも落としていった。冬仕様に変更したとはいえ、動きやすさを重視したヒーローコスチュームは少し肌寒い。
オレンジ、黒、紫で飾られた街並みも、それを過ぎると、煌びやかなイルミネーションに夜には人々が足を止めて写真を撮ったり、寄り添って歩いたりする姿が見られるようになった。
街に人が多くなるとそれだけ事件数は増えるため、パトロール回数も必然と増える。
「あ、○○○○だ!頑張ってくださーい!」
寒さにくしゃみが出そうになっているところを数人の暖くて柔らかそうなニットを着ている女の子のグループに声を掛けられる。
「ありがとう!もう暗いから気をつけてね!」
はーい!なんてキャッキャと返事をして、楽しそうにイルミネーションを見上げながら歩いて行った。
「相澤先生も歌えばよかったのに〜」
──相澤先生。久しぶりに聞く懐かしい響きに思わず声のする方に目をやる。
「クラス全員20曲メドレーどうだった?」
「先生って普段音楽聴くの?」
「見て!イルミネーション綺麗!」
相澤先生と呼ばれた人は私の知ってる相澤先生で、周りの子たちは今年の一年生だろうか、楽しそうに心底懐いて安心しきったような顔をして「先生、先生」と呼んでいる。
何かのパーティーの後なのだろうか、先生は腕にたくさんの箱や紙袋を抱えている。
生徒たちと話す先生の顔は先生で、とても優しい顔をしている。髪は私の知ってる時より伸びているような気もするし、同じくらいの長さだったような気もする。
すると、気づいた生徒たちが、
「○○○○!事務所この辺りだったっけ?会えて嬉しい!」
「雄英の先輩ですよね!活躍いつも拝見してます!」
「サインしてください!!」
と駆け寄ってくる。
「ありがとう」と言うと「こら、仕事の邪魔をしたら駄目だろう」と一番後ろからゆっくりと先生が近づいてくる。
「ファンサービスも仕事の一つですよ。先生、ご無沙汰してます」
数年ぶりとは思えない、自分でも驚くくらい普通に、何ならいつもより穏やかに声が出た。
「そうだったな」
ふっ、と柔らかく笑うそれは初めて見る表情で、知らない間にそんな顔もできるようになったんだなと嬉しいような寂しいような複雑な気持ちになった。
後輩たちにファンサービスをすると「ありがとうございました!頑張ってください!」「お仕事中失礼しました!」と元気よく去っていく。手を振る可愛い子たちを見送ると、横にはまだ相澤先生が残っていた。
「今年の一年生ですか?」
「そうだよ。元気だけが取り柄の問題児ばかりだがな」
「そう言って。一緒に出かけるくらい慕われているじゃないですか」
どうだろうね、と言いながら抱えた荷物を持ち直す。
「先生、それは?」
ああ、これは、と言いかけた時「せんせーい!早くー!」と輝く街路樹の数本先で生徒たちが手を振っている。
「あ、生徒さんたち待ってますね」
もっと話していたいけど、名残り惜しいけど。生徒たちから先生に視線を戻すと名前を呼ばれる。
そしてもう一度、ゆっくり名前を呼ぶと、
「俺は忘れてないからな」
あとこれは誕生日プレゼント、と言って振り返り、先生を待つ生徒たちの元へ歩いていった。
「え、あ、誕生日おめでとうございます!」
歩く先生の背中にそう言うと、振り返る事なく、紙袋を下げた腕を上げ、掌をひらりとさせると生徒たちと合流し人混みに消えていった。
名前を呼ばれた時、久しぶりに見つめた先生の目にはあの時の危うさなんかなくて、全てが腑に落ちたような、目的がしっかりと定まった表情になっていて。それはそれで心配しなくていいと当時思っていたけど、違う意味で心配してしまうくらい彼は大人になっていた。もう少しもう少し、と伸ばしていた日々を焦らせるには十分だった。
あの春「忘れないで」と言った私に、数年ぶりに会った彼は「忘れてない」と返す。
パチパチと弾ける炭酸みたいな爽やかだった恋が、静かにゆらゆらと燃え出すのがわかった。
あんなに冷えていた頬は、吹き抜く風が心地いいと思うほど熱を持っていた。
write 2023/6