忘れないで、春
卒業式の日に告白の予約をした。告白ではなく予約なのは先生にとって、生徒でなくなるというだけでは意味がないような気がしたから。
私が一年の時、雄英高校に新任としてきた相澤先生はプロヒーローで聞き慣れないアングラヒーローをやっているという噂があった。近寄り難く、時間にも生徒にも自分にも厳しい人で、反発するクラスメイトもいた。見込みが無ければ除籍され、先生の教育方針に沿えば復籍される生徒もいた。このやり方が良いのか悪いのかは入学したばかりの一年の私にはわからなかったが、先輩方からの「今年の一年は可哀想だな」という一言で今までの雄英ヒーロー科のやり方ではないのだと悟った。だからと言って比較するものがないため、ひたすらにがむしゃらにヒーローを目指し、先生が何を伝えたいのかを汲み取る毎日だった。
厳しいと言えど、生徒のことは良く見てくれているし、課題点を克服したりいい動きができればしっかり褒めてくれるし、一人ひとりの悩みにも真摯に向き合ってくれる先生で、知れば知るほど先生が好きになって、最初こそ反発していたクラスメイトも前期中盤には先生にすっかり懐いていた。
二年生も先生が担任だといいなと伝えたら「俺は一年生しか担任持たないよ」と言われた。
がっかりはしたけどなんとなく納得して「損な役回りだね」と言うと「俺の事はどうでもいいんだよ」と首に巻いた捕縛布で口元を隠しながら言う先生に寂しさを感じてしまって「A組はみんな先生のこと大好きだからね」と言うと「はいはい」と流されてしまった。
なんでそんな寂しそうな笑い方するんだろう。
今まで先生だったのに、急にそんな顔するから、みんなの言う大好きから逸れてしまった。
二年、三年ではたまに実技の授業時の敵役や試験官として来てくれるくらいで、あとは廊下ですれ違ったり、職員室で見かけたり、転がった寝袋を見つけたり。
想いは募るばかりで、でもみんなから逸れた想いは隠さなければいけない気がして、ましてや先生には絶対に気づかれてはいけないと、そしてそれは三年間、隠し通せたと思っていた。
「先生!相澤先生!インターン先でサイドキックの内定、正式に決定したよ!」
「おめでとう。チャートにも載るほど有名事務所じゃなかったか?」
「そう!二年の体育祭見てたらしくって、気に留めてくれていたみたい。三年の体育祭後にインターン行ってね、めちゃ鍛えてもらった!」
「そうか。頑張ってたもんな。もう卒業か、早いな」
「先生初めての担任の生徒だもんね、感慨深い?」
そりゃあまあ、と先生は長い前髪に隠れた鼻をぽりぽりと指で掻く。
「明後日の卒業式、泣いちゃう?」
「泣かないよ。しっかり見送らせてもらう」
わたしが着実にヒーローに近づいたように、二年間で先生は先生になったみたいだった。あの寂しそうな笑顔もあれ以来見ていない。
「卒業生、退場」
ヒーロー科の卒業生はコスチュームを着て式に出るのが雄英の習わしで、この日のために念入りに洗濯したコスチュームとピカピカに磨いた装備に卒業生の花と証書の入っている筒がミスマッチで大人と子どもが混ざったようなどっちつかずの中途半端な、色んなものの合間にいる気がした。
ひと通りクラスメイトとの写真を撮り終え、寄せ書きなんかもして帰るのが勿体無くてぐだぐだと過ごしていた。すると春を告げる大きな風が吹いて思わず目を閉じる。
すごい風だったね、なんて話しながら目を開けると、人集りの向こうに相澤先生が見えた。
友人たちに「ちょっと言ってくる」と伝えると「頑張れ!」と応援された。気づかれてないはずなんだけどな。
「相澤先生!」
「ん? ああ、卒業おめでとう」
「ありがとう! 先生のおかげで卒業できたよ」
「別に俺のおかげじゃないだろ、おまえの努力の結果だよ」
「また先生はそういうこと言う」
いつも気怠そうな瞳がどういうことだ?と見開いている。
「私の最初の担任が相澤先生でよかった、って言ってるの」
固まっちゃったけど、聞いてる?
「先生がいたからヒーローになれたんだから、そういうこと言わないで。たくさん教えてもらったこと、一緒に考えて悩んでくれたこと忘れないよ」
だからさ、
「ねえ、先生? 私がヒーローとして活躍して自信がついたとき、また先生のところ来てもいい?」
ん? 先生?
「先生、泣いてる?」
「違う、目開きすぎただけだ」
そう言う先生の目には溢れそうなくらい涙が溜まっていたのに「目が乾く」と差した目薬で誤魔化されてしまった。
「先生、さっきの聞いてた?」
「え?」
「もう! 立派なヒーローになって、先生に告白しに来るねって言ったの! 忘れないでね」
「今のは告白じゃないのか?」
「違う! 予約! じゃあね!!」
泣き顔も、さっきの不敵な笑い方も先生じゃなかった。
早く先生の隣に立てるような立派なヒーローになって、この先生なのにたまに先生でなくなる危うい人に言いにこなければ。
その時はもう彼も立派な先生になっているのかもしれないけど。
それだったら心配しなくてもいいんだけど、私が早く言いたいだけ。
三年間で積りに積もったこの想いを、これから積もっていく想いを。
write 2023/6