いい夫婦の日
結婚10年目。毎年結婚記念日に私から送っていた手紙は子どもが産まれて余裕がなくなり、その代わり夫がケーキと私の好きな匂いのハンドクリームを毎年贈ってくれるようになった。夫が毎年様々なボディケアのお店を回って、甘い香りを嗅ぎながら選んでいると思うと微笑ましくて、これまでに貰った容器を捨てられずにいる。
私が纏う甘い匂いは、夫が私のために選んだ優しさの匂いだ。手を取り、いい匂いだ、と鼻を近づける夫にいまだどきりと心臓が高鳴っている。
さて、いい夫婦の日はどうだろう。結婚記念日と近いからか、特に何かをするというわけでもないけれど、いつもより少し良いものを子どもたちが寝静まった後、ふたりで食べたり飲んだりしようと選んでみたり、いつもより帰りをそわそわと待ってみたり、している。それは夫も一緒のようで、いつもより少し良いお土産と、いつもより早い帰宅に、ただいまのキスが物語っている。
子どもたちはぐっすりと眠っている。
日中の騒がしさが嘘のようにシンとした家で、消太くんと私は晩酌の時間。常夜灯よりも少し明るいリビングの間接照明がお互いの輪郭をふんわりと映す。お揃いのふわふわで手触りの良いルームウェアに、私はベージュのロングカーディガンを羽織る。
今年の結婚記念日に貰ったアーモンドの香りのハンドクリームを塗った手で、チーズを消太くんの口元に持っていくと、私の手を取って、甘い、と言う。そして、そのままスパークリングワインを一口。
「食べないの?美味しいよ」
「ん、いただくよ」
少し疲れた顔で柔らかく細まる瞳に、相変わらずかっこいいなあ、なんて思ったりして。
消太くんが帰ってきた時に「これ土産、あとで一緒に食べよう」と言って渡された紙袋の中身は生チョコで、私が用意したチーズケーキのようにクリーミーなチーズと、相性抜群だった。今年はワインもいいなって思ってたの伝わってたのかな。
「今日は私も飲みたいな」
「弱いんだからやめとけ」
「えぇ〜」
「ほら、あーん」
あーん、と開けた口にほろ苦いココアパウダーとほんのり甘いビターな生チョコが入ってくる。とろりと溶けたチョコにスパークリングワインが混ざるとより美味しそうなんだけどなあ。
「生チョコ美味しい。やっぱり、ちょっと飲む」
「おまえ酔うとめんどくさいからな」
「めんどくさいとか言わないで」
「はいはい。酔うとキス魔になる可愛い奥さんに食べられそうになるから大変なんだよ」
消太くんは、そう言って笑いながらも、まあ、おまえが飲むの俺の前くらいだしな、とグラスに少し、注いでくれた。
「今日いい夫婦の日だね」
「知ってるよ、だから早く帰ってきた」
「ふふ、ありがと」
横に座った消太くんの腕に頬を寄せる。ふわふわの生地と消太くんのあたたかさが気持ちいい。久しぶりのアルコールに心もふわふわする。
「もう酔ったのか?」
「んー、」
「寝るのにはまだ早いぞ」
「もしかしてちゅーするの待ってる?」
「そのつもりで飲ませたからな」
「消太くんのえっちー」
こんな時じゃないとおまえからしてくれないだろ、と私から誘うのを待っている。私たち結婚10年目だよ?お付き合いも合わせると15年になるのに、まだこんな可愛さを見せてくるなんてずるい。
夫婦だし、たまに喧嘩もするけれど、変わらないようで変わっていくあなたとこの先もずっと一緒に過ごせるのを、家族になれた事をしあわせだなあ、と思いながら、薄い唇にそっと唇を重ねる。俺の選んだ甘い匂いをさせて誘われるのたまらないな、と言って、今度は消太くんから。唇が離れて、目が合えばまた重ねて、これじゃどっちがキス魔かわからない。
「
〇〇、好きだよ」
「私も、消太くん大好き」
「向こうの部屋、行こうか」
ゆっくり頷いた私の手を取って、書斎へ。ドキドキしているのはお酒のせいか、夫の甘い誘いのせいか。
「かわいいな」
「やだ」
「いや、かわいいよ。出会った時からずっと」
いつまでも新婚のような、とまでは言わないし、いい夫婦でいるために特別何もしていないけれど、たまには恋人同士のような夜があってもいいよね。
静かにドアが閉められ、カチャリと鍵がかかった。
write 2023/11/22