お留守番
まだ重たい瞼を薄ら開くと部屋が明るく、朝なのだとぼんやりと理解する。
ベッドを弄り隣にいるはずの彼女の体温を探すが見当たらない。あの柔らくあたたかい身体を抱きしめて二度寝でもしようと思っていたのに。子どものように不貞腐れ枕を抱えうつ伏せになり、また瞼を閉じてみる。
……寝れん。
もそもそと起き上がりベッド横に落ちたスウェットの下を履く。Tシャツを拾い、着ながら寝室を出た。音は…脱衣所からか。
ガラッと引き戸を開けると彼女が他所行きの準備をしていた。服装的に仕事だろうか。
「あ、消太さん、おはよう」
「
〇〇、おはよ。どこか行くのか?」
夜中に仕事の連絡が来ていたらしく、急ぎで先方に赴かなくてはいけないらしい。お休みなのにごめんね、と申し訳なさそうに謝る。
「ホントにごめんね、もう行かなきゃ。夕方には帰れると思うんだけど、また連絡するね!」
「いってらっしゃい、気をつけてな」
いってきます、とぎゅっと軽くハグをすれば、慌ただしく出ていった。
ガチャリと閉まったドアを見つめ、ふぅ、と残された寂しさにため息を吐く。あたたかかった家がしんとする。
玄関のドアを見ていたって彼女が帰ってくるわけでもなし、さて、と自分に言い聞かせるよう声を出し、身体を動かした。
とりあえずコーヒーでも飲むか。
キッチンへ行きお湯を沸かす。豆を挽く…のは面倒なのでインスタントにした。
濃い目に入れたブラックを啜りつつ、リビングで充電していた携帯に目を通す。
彼女からメッセージが来ていた。
『ご飯用意できずにごめんね!パンは棚の2段目、ご飯は冷凍庫にストックあるからね!他にも冷蔵庫とかパントリーに色々あるからお腹空いたらちゃんと食べてね』
…俺は子どもか。飯くらい自分で何とかできるわ、と思いながら手のコーヒーを見る。…昼はちゃんと食べよう。
『了解』
とだけ返信した。
他は特に連絡もなくソファに座りニュースを一通り見て、空になったマグカップを食洗機に入れる。
そういやこの家に長い時間ひとりになるのは初めてだな、とふと思う。彼女も忙しいのに綺麗に掃除され、温かいご飯に清潔な服、気持ちのよい寝具が当たり前のようにある。
わたしの方が家にいるし自由な時間もあるから、と苦もなく担ってくれている。本当に感謝しかない。
便利な時短家電は取り入れてはいるし、休みの日は俺も家事をやっているがそれでも、だ。今日くらいは、と腰を上げ、まずは洗濯するかと脱衣所へ向かった。
すでに洗濯はしてあり、乾燥された服や靴下などが入っていた。部屋干しの分もキチンと等間隔にサンルームに干してある。急いでたのにすげえな。関心しつつ洗濯機からカゴに移し、クローゼットのある部屋へ持っていく。んじゃシーツでも洗うか、と寝室へ行き、寝具からシーツを剥ぎ取っていく。これも洗っていいんだっけか?タグの洗濯表示マークを確認しながら洗えることがわかるとパッドも剥ぎ取る。
洗濯機に押し込み、乾燥までのボタンを押す。2時間54分と時間が表示され「そんなかかんのか」と洗濯機に独り言を言い、先程の洗濯を畳むために部屋に戻る。
ほとんどが俺のインナーか靴下で、適当に畳む。しまっている引き出しを開けると、綺麗に畳まれピシッと並んでいる。自分の畳み方の雑さに苦笑いしつつ、まあ着るのは俺だしなとまた適当に突っ込む。もちろん彼女のは丁寧に畳んで入れた。
ひと通り洗濯物が終わり、各部屋の扉を開けロボット掃除機を起動する。
ふたりで住むには無駄に広い家を隅々まで拭き掃除までしてくれる掃除機はありがたい。
他にやることは、と見て回るもどこも綺麗で午前中のうちにやることがなくなる。
買い物…は彼女がいないとわからん、洗濯はまだだろ、シーツ付けんのはもうちょい乾燥させてからにして、洗い物はさっき食洗機に入れたし、風呂掃除もした。コスチュームは泥汚れが酷いから学校で洗うことにしてるし、急ぎの仕事もねえし。
やる事がなくなってソファに寝転んだ。その下をロボット掃除機がウィーンと音を立てながら通っていく。
柔らかく入る日差しについ、うとうとしていた。
ピコンと通知音が鳴り、音の鳴った方に手を伸ばす。
『お昼ご飯は食べた?17時には家に着くと思います!夕飯何がいい?リクエストがあれば帰りに買ってくるよ』
もう昼か、いつの間にか寝てた。夕飯か。俺が作ったら彼女は喜んでくれるだろうか。
『お疲れ。昼飯は今から食べる。夕飯は俺が作るよ』
『やったー!!!ありがとう!消太さんのご飯楽しみ!午後も頑張れるよぉ。終わったらまた連絡します!』
返信はや。んでテンション高い文面だな。喜ぶ彼女の笑顔を想像し口元が緩む。
…腹減ったな。
米は冷凍だったな、と冷凍庫を開けラップに包まれた塊を一つ取り出しレンジで解凍する。冷蔵庫を開け納豆と卵を出す。
どんぶりに納豆を入れ数回混ぜると卵も割り入れ、また混ぜる。そこに解凍された米を入れる。
見た目は良くないがまあ自分が食べる分なので腹が満たされればいい。
お茶を注いだコップとどんぶりをダイニングテーブルに置き、座って食べる。
以前、キッチンで立ち食いしていたらお行儀悪いと叱られたからだ。ここでさっと食えばいちいち座ったり立ったりしなくていいだろ、と言ったが、家でくらいゆっくりしよ、と諭された。最初こそ違和感もあったが彼女の雰囲気や丁寧に暮らそうとする姿をみると家は帰る場所であり癒される空間なのだとわかった。考えや信念を曲げるとかではなく、そういう自分もいてもいいか、と彼女の隣ではそう思える自分がいるっていう話だ。
味はいいが見た目はまあまあな納豆ご飯をかき込む。咀嚼しながら夕飯何作るかと考えていると、遠くでピーピーと音が鳴った。洗濯終わったか。お茶で流し込み、空いた食器を軽く濯ぐと食洗機へ入れる。夜分の余裕はありそうだな、とスイッチは入れず扉を閉めた。
洗濯機からほかほかのシーツ類を取り出して畳み、洗い替えは寝室の収納にあったはず、と畳んだものを持って寝室へ向かった。
新しいものを出し、洗ったものをしまう。意外と重労働なシーツの付け替えに悪戦苦闘し、なんとか完成する。
ベッドがでかいと俺でもきついな。ちっせえのにいつも大変だっただろう。今度から俺がやることにしよう。
まだ14時か。17時に帰ってきて先に風呂だろ、んで色々やって18時くらいに飯か。用意するには早いが何作るか決めとくか…の前にトイレ。
キッチンへ行き、冷蔵庫やパントリーを覗きながら献立を考える。んな凝ったもんも品数も作れんから、麺か米。丼よりもパスタとかの方が喜ぶか。困ったときのレシピアプリ。一緒に暮らし始めた頃、俺の食の好みがわからんからと共有で登録したやつだ。今ではどれも俺好みに少しアレンジされている、らしい。
うーん、パスタ、パスタねえ。ん、これは前に作ってもらって美味かったやつ。確かエビが入ってたらもっと好きって言ってたな。これにエビ入れたやつってなんて言うんだ?てかエビあるか?…冷凍のやつがあった。あとは生クリーム、玉ねぎ、トマト缶…すげえな、なんでもある。俺の家じゃないみたいだ。サラダ用の野菜もあるし、買い足さなくてもよさそうだな。帰ってくる少し前に始めたらいいか。献立も決まったし本格的にやることなくなったな。
あ、干してあった洗濯乾いたか。
サンルームに行くと、すっかり乾いていて全て取り込む。外着はハンガーに掛けてそれぞれのクローゼットにしまって、俺のパンツはこう畳んであるだろ。…待て彼女の下着はどう畳むんだ?断じてのぞきではないからな、と言い訳をしつつ、下着の入っている引き出しを開け、並んでいるブラの裏を指でちらりと確認した。身につけているときはさほど大きさも気にならないが単体で見るとでかいな…じゃない!邪念を払い、同じように畳んでしまう。パンツは…布の面積狭っ、よくこんなんで隠れるな。…じゃなくて!改めて見る手のひらサイズの布を、ささっと畳んでしまう。
ふぅ、なんか一番疲れたな。
部屋を出て自室へ向かった。月曜の授業の資料でも目通すか、とカバンからプリントの束を取ると床に置き、集中できるよう片手腕立て伏せをしながら資料を確認する。半分ほど目を通した頃、反対の手を着く。だいぶ身体が温まってきた。自室にトレーニング用の器具はなく、かといってわざわざマンション内のジムに行くのも億劫だな、と手軽な腹筋を始める。
特に数を数えているわけでもなく、疲れるまでやるのが流れではあるが。
「はぁ、流石に疲れたな」
汗をTシャツの裾で拭き、時間は、と携帯を見ると16時。連絡はないが、シャワー浴びて用意することにした。
風呂から上がり、身体と髪を拭く。準備しておいた部屋着に着替え、洗面台で髪を乾かす。濡れたままだとまた彼女に叱られるからだ。もぉ!と怒る姿も可愛いが、今日は疲れているだろうから素直に乾かすことにする。乾かし終わると後ろでひとつに結ぶ。
ポケットで携帯がピコンと鳴った。
『やっと終わったよー!今××駅だから20分くらいで着くと思います!』
『お疲れ。気をつけて帰ってこいよ』
『はーい!消太さんのご飯!!楽しみ!!ご飯なんだろうなー、楽しみだなー』
「ははは、どんだけ楽しみなんだよ」
メッセージの文面が彼女の声で再生されつい声が出る。
キッチンへ行くとエプロンを付け、サラダの用意から始める。といってもレタスをちぎって、このベビーリーフ?という葉っぱと洗い水気を切って皿に盛るだけ。あとミニトマトも洗って入れよう。ラップをかけて冷蔵庫へ入れる。ドレッシングは冷蔵庫にあったからそれにする。
そろそろ風呂溜めるか。キッチン横の給湯パネルを押し、湯船にお湯を張る。
使う材料の確認と下拵えのため携帯のアプリで朝見ていたレシピを開く。
先に冷凍のエビを水に浸けて解凍。玉ねぎは微塵切り、トマト缶は出した、生クリーム、ニンニクチューブは冷蔵庫にある、オリーブ油と塩胡椒、コンソメはここ、よし。
パスタ麺は前に彼女が便利グッズだと教えてくれたレンジで簡単に湯がけるやつを使う。一人100g?いつもどのくらいだ?んー300でいいか。容器に3束パスタを入れておく。
あとは彼女が帰ってきて風呂に入ってる間に作ろう。
ガチャリと鍵が開く音がして、ただいまーと声が聞こえ、玄関へ向かう。
「おかえり、お疲れさん」
「ただいまー、消太さんエプロン姿も素敵ですね」
「はいはい、風呂沸いてるよ。先入っておいで」
「ありがとう!あ、これ急に呼び出してごめんってプリンいただいたんだー、デザートに食べよ!」
「ああ、冷蔵庫入れておくよ」
「ありがとー」
彼女はプリンの入った箱を渡すと、仕事部屋に荷物を置き、いってきまーすと脱衣所へ行く。疲れて帰ってくるかと思ったが、元気そうでよかった。
さて、続きやるか。
レシピ通りに下準備したものを調理していく。
パスタ麺も容器に水を入れレンジにセットした。ソースはこんなもんか?と味見をする。ん、なかなか上手くできたんじゃないか?前食べたのと近い味がする、気がする。盛り付けは後にして、いつも彼女が用意するようテーブルにマットを敷き、フォークやコップを並べる。サラダも冷蔵庫から取り出し、ラップを外してドレッシングをかけておく。
部屋着に着替えた彼女が部屋に入ってきた。
「ふわぁ、いい匂いする!トマトクリームパスタかな?」
「正解。匂いでわかるのすげえな。もう少しでできるからお茶でも飲んで待ってな」
「わーい」
彼女はダイニングテーブルの自分の席に着き、お茶をちびちび飲みながらカウンターからにこにこと俺を見ている。
「…そう見られると緊張するんだが」
「ええ、料理してる消太さん見たいもん」
「…恥ずかしいな」
まあ、彼女が嬉しそうならいいか。
「お待たせ」
パスタを盛った皿を彼女と自分の席に置く。
「わあ、美味しそう!エビも入ってる!この前言ったこと覚えててくれたの?」
「ああ」
「覚えててくれたんだぁ、嬉しいなあ」
「さ、冷めないうちに食おう」
「うん!いただきます!」
「いただきます」
彼女がひとくち、口に入れる。
「んー!美味しい!すっごく美味しいよ、消太さん!」
よかった、喜んでくれたみたいだ。
頬に手を当て、ぎゅーと目を閉じ全身で美味しいを表現している。そんな彼女の姿に安心し、自分も食べ始めた。
「ん、美味い」
「でしょー?なくなっていくのが勿体無いよー!あ、写真撮ればよかったなあ」
「喜んでもらえて俺も嬉しいよ」
好きなものを好きな人が作ってくれるって嬉しいねー幸せー、と言いながら食べる彼女を見て、いつも俺が食べている姿を嬉しそうに眺めている彼女の気持ちがわかってしまった。これは確かに嬉しいし満たされる。
「ふぅ、美味しかったあ。ごちそうさまでした!」
「こちらこそいつも美味い飯ありがとう」
いえいえ!わたし消太さんがたくさん食べてるの見るの好きだから、と俺がさっき思った事と同じような事を言う。
「食器、俺が下げるよ、
〇〇は座ってて」
「いいの?」
「ん、いいの」
ありがとう、じゃあデザート用意するね、コーヒーいる?と立ちあがろうとする彼女を頭を撫で、「いいから座ってろ」と言えば、「はあい」と直に座り直した。むずがゆそうに唇をもごもごさせている。可愛い。
「コーヒーはカフェインレスにするか?」
「うん、そうするー」
はい、どうぞ、とコーヒーを渡す。
自分のところにも同じものを置き、箱からいただきもののプリンを出す。
彼女が言うには午前中には売り切れてしまうという有名なところのものらしい。彼女もそう聞いただけで味は知らないようなので、ふたりともとりあえず食べてみることにした。
「お、おいしい…」
「うまい。というかプリン自体久しぶりに食ったな」
後からかけるカラメルで2度、3度楽しめるようで、中に入っていた説明書を間に置き、まじまじと見ながら食べ進める。
「また違うおいしさ」
「だな」
「なんか実験みたいなプリンだね」
「食べるのに手間かかるな」
「わかる。でも楽しいね」
「確かにな」
「あ、そういえば洗濯物ありがとう!帰ったらしようと思ってたのに」
「どういたしまして。今日は俺が家にいたからな。こちらこそいつも家を綺麗に保ってくれてありがとう」
えへへ、と笑う彼女にまた幸せを感じつつ、プリンを頬張る。
そういえばさ、と今日あったお互いの出来事をコーヒーが冷めるまで話した。
write 2023/5/24