お掃除ロボットと私と彼のはなし
家のお掃除ロボットは、私みたいだ。
うちに来てしばらく経つけど、名前はまだつけていない。仮に、ろぼみ、としよう。
ろぼみは、マップ作成時からちょっとひと癖あった。
アプリの画面通りの指示に従って設定しているのに、なかなかその通りになってくれなくて、一週間ほどはおとなしく充電スポットにいるだけだった。その間、充電スポットにいる、ろぼみを横目に、元々使っていたコード式の掃除機で掃除した。
これには、ろぼみを買ってくれた彼も、苦笑いして、「早めに設定しような」と言った。
きっと、ろぼみは恥ずかしがり屋なんだろうと思った。初めてのところに来て、知らない家を走り回るなんて、そんなこと出来ない、って思ってるのかもしれない。
うちにきて一週間くらい経つ。もう大丈夫だろうか。
週末に、彼とまたマップ作成を試みた。
上手くいった!しっかり家の間取り通りのマップができて、それぞれの区画にアルファベットが振られ、色分けもされている!
「やった!できた!」
「すげえな、間取り通りだ」
シューン、と廊下を真っ直ぐに帰ってくる、ろぼみは、ちょっと誇らしげに見えた。
それからしばらくは、マップ通りに掃除をしてくれて、夜寝る前に起動するから、朝にはサラサラの床を堪能できた。拭き掃除機能も付いていたから、尚更感動した。
「消太くん、床が!サラサラ!毎日!すごい」
「こんなに便利なら早く買えばよかったな」
「ね、掃除機当番で喧嘩しなくてすんだのにね」
「それは、…すまん」
ロボット掃除機を買うことになったのは、彼が当番を忘れ、挙げ句の果てに、「埃やゴミがちょっとあったくらい」と言って、「ちょっとしかないのは私が代わりに掃除しているからです」と、些細な喧嘩をしたからだった。どちらも得をしない言い合いもなくなって、毎朝気持ちの良い床を、裸足で歩ける幸せに、二人喜んでいた。
それも束の間、あんなに頑張って作成したマップを、ろぼみは斜めにしてしまった。
なにを言ってるのか、と思うかもしれないが、本当にアプリに表示される間取りのマップが、45度ほど回転していたのだ。以前掃除したマップを 読み込んだりしてみたが、思い出してはくれなかった。斜めになったマップで動くろぼみは、充電スポットに帰れず、クルクルと回っていた。
その日は、彼の帰りが遅かったため、一人で絶望した。
そして、彼に、その斜めになったマップのスクリーンショットを送り、『こんななっちゃった』とメッセージを送った。
『家、斜めになってるぞ』と、そのまんまなメッセージが返ってきた。
なんだか説明するのも面倒で『そうなの』とだけ返した。ろぼみも、めんどくさくなっちゃったのかな、と思った。
その週末、また一からマップ作成をして、元通りにした。
廊下と繋がる部屋には、越えられる許容範囲の段差があった。以前は登ったり降りたりして、部屋と廊下を掃除してくれていたのに、たまに『段差で動けなくなっています』と言うようになった。
その度に救出し、またスタートボタンを押した。段々と音の鳴り方で、「あ、今引っかかってるな」というのがわかってくるようになった。
「段差、行ける時と行けない時があるんだよねえ」
「ロボット掃除機なのに意思を感じるな」
「ちょっとずつ、本性出してきたみたいな?」
「初めて会った頃の、お前みたいじゃないか」
「えぇ、そうかなあ」
そうかなあ、と言いつつ、彼と出会ったときは嫌われないように、フられないように、彼の好みの女性にならなければ、と頑張っていた。けれど、それも、元々めんどくさがりな私は、「ま、いいや、なんとかなるだろ」と徐々に無理に頑張るのをやめたのだった。彼も、「俺の前まで無理することはないよ」と言ってくれた。見抜かれていたのだ。
ろぼみは、そんな風に少しずつ、本性、のようなものを出してきた。
ある日は、掃除終了後、充電スポットに帰らず、家中をグルグルと散歩した。
ある日は、廊下と寝室の掃除をお願いしたのに、寝室だけ掃除して、帰っていった。
ある日は、掃除コースを端折ったりした。通った跡の履歴が残るのでバレバレである。
なんだか、本当に私みたいだな、と思うようになってきた。
歯磨きをしながら、廊下を通る、ろぼみを見ていた。
その日も充電スポットへ真っ直ぐ帰らず、クルクルと回ったり、廊下を行ったり来たりしていた。
「どうしたの、家、あっちだよ?」
とうとう私は、ろぼみに話しかけた。
ゆっくりと、シューンと音をたてながら走るろぼみは、またくるりと回って、充電スポットの方へと向かっていった。
「ロボット掃除機と話してたのか?」
ひょこりと部屋から出てきた彼が、そう言って、私は、「うん、なんだか私みたいだなって思えてきた」と言った。
「ペットは飼い主に似るって言うしな」
「ペットでもないし、買ったのは消太くんでしょ?」
「はは、そうだった」
からっと笑った彼は、ぽんぽんと私の頭を撫でて、「かわいい、かわいい」と言った。
「ロボット掃除機が?」とムキになって聞けば、「お前に決まってるだろ」と言って、機嫌を取るように、後ろからギュッと抱きしめた。鎖骨辺りがむず痒かったので、彼の腕を柔く噛んだ。
また別の週末、ろぼみのメンテナンスをして、綺麗に拭きあげ、ぴかぴかにした。
お手入れ部分や、備品の消耗度がなんだか寿命みたいで、ドキドキしたからだ。タスクを全て完了させ、すべて100%にした。
充電スポットとは離れた部屋でやっていたので、綺麗にした後、アプリで『充電』のボタンを押した。ウィーンといつもより軽やかな音をたてて、戻っていく。
「お、綺麗にしてもらったか。よかったな、ロボ子」
廊下ですれ違った彼が、話しかけていた。
「ロボ子って、名前?」
「ああ、お前に似てるって話聞いて、愛着が湧いてな」
「それにしたって、ロボ子って」
「お前はなんて呼んでたんだよ」
「…ろぼみ」
彼は、顔をくしゃっとさせ、豪快に口を開けて、あはは、と笑って、「似たようなもんじゃないか」と言って、また笑った。お腹を抱えて笑う彼を見たのは、これが三度目だったので、嬉しくなって、私も笑った。
一度目は、一緒に住む前、二人してデートの日を間違えて、お互いに「約束って明日だったっけ?」と送り合った瞬間に会った時。
二度目は、私の寝癖がひどいと笑う彼を洗面台まで引っ張って、「消太くんだってひどいからね」と一緒に映った二人が同じ寝癖だった時。
似ていないようで似ている、でも似ていない私たちの、同じ、が重なった時、彼は柔く下がった目尻に涙を溜めて、嬉しそうに笑うのだ。
「ネーミングセンスなさすぎだね、私たち」
「いや、もう、ろぼみがお前らしくって、逆にいいよ」
「ロボ子だって、十分消太くんぽいよ。あ、ここで名前変えれるんだって」
アプリを開いて、設定のマークを押して、『名前を変更する』をタップする。
無機質だった『ロボット1』を消して、ろぼみ(仮)は、『ろぼみ』と命名された。
「ろぼみ…っく、あはは、ちょっと、まって」
「なんでまだそんなにツボってるの」
「これから、掃除が完了したら『ろぼみが』って通知来るんだろ?それ想像した」
「確かに、『ろぼみが段差で動けなくなっています』ってきたら切ない感じになるね」
「すぐに助けにいかないとだな」
「すぐに助けにいかなきゃだね」
その日の夜、ろぼみは、なんのトラブルもなく、指定した部屋をしっかり掃除した後、迷うことなく真っ直ぐに、家である充電スポットへ帰った。ろぼみは、きっと私たちの会話を聞いて安心したのだろうと思うことにする。
二人の携帯に、『ろぼみが掃除を完了しました』と通知が来て、ベッドに寝転ぶ私たちはそれを見て、ふふふ、と笑って、ギュッと抱き合って眠った。
明日の朝もサラサラの床を気持ちよく歩けることを、二人じゃれあって、綺麗な床にごろんと寝転がれることを楽しみに、眠った。
write 2023/8/6