両片想いの二人が文房具コーナーデートする話
普段と変わらず、いつものペンでいつものように書いて、バラついた数枚の資料をトントンと机で平す。彼女から声をかけられたのは、会議も無事終わり、ふうと一息ついたそんな時だった。
「相澤先生、そのペンどこのメーカーですか?」
「え?ああ、これは×××というところのものです」
まさか使っているペンを聞かれるなんて思ってもいなかった俺は、瞬時に『いつものペン』についての情報を脳内からかき集める。
「相澤先生の事だからすごく書き心地のいいもの使ってるんだろうなあと思ってお聞きしたんですけど、」
「そうですね、今はこれを気に入って使ってます」
途中で掠れることなくスルスルと書け、急いでいたり、汗ばんだ手で擦っても滲まないこのペンと出会ったときは感動したものだ。シンプルな見た目も、ノックしたときのカチッという少し高めの軽い音と親指に伝わる振動も気に入っている。
「やっぱり。こだわりありそうだなあって思っていたんです!私、文房具好きなんですけど、好きすぎて黒ペン迷子になっていて」
今使ってるのが無くなりそうだったから思い切って聞いてみてよかった、と手に持っている、至って普通の黒いノック式のペンを顔の横で振った。
黒ペン迷子というのが気になりはしたが、会話を続ける。
「今使ってるのがなくなりそう」と言われたのがこれが他の人ならば、「ストックあるんで、いりますか?」とデスクの引き出しから渡すだけなのだが、そう言わなかったのは彼女に好意があるからだ。どうにかこうにか会話を続けたいと持ち合わせていない文房具の知識でこのペンの良さを伝え、あわよくば一緒に買い物へ行ければと、必死な俺の姿に、向かいに座ってた山田の顔は「スマートじゃねえな」という呆れた表情をしている。
んなの知るか。
「わ、そんなに書き心地のいいペン試してみたいなあ。もしよかったらなんですが、同じもの使ってもいいですか?」
「もちろんです」
「ありがとうございます!許可もいただいたし、さっそく、今日買いに行こうかなあ」
「俺ももう今使ってるヤツきれそうなので、
〇〇先生がよければですが、ご一緒してもいいですか?」
ぜひ!楽しみです、とワントーン上がった和やかな声に、心の中で、よしとガッツポーズをして、「俺もです」と答え、一部始終を半ば面白半分に聞いていた同期に、ふふんと鼻を鳴らした。
仕事が終わって一度寮へ戻り、着替えてから駅と併設されている商業施設の文房具が充実しているフロアへ来た。ここへは、仕事が早く終わった日や休日によく来ているらしい。
向かう途中も、彼女の自室のデスクに置いているペンスタンドや、集めているというシールなどがきちんと整頓された宝箱のような引き出しの写真を見せてもらった。
物欲も収集癖もない俺にとって、未知の世界だったが、「シールやテープを集めてるなんて子どもっぽいですよね」と、少し困ったように笑う彼女は仕事中には見られない顔をしていて、うっかり頬が緩まないよう下唇を噛んだ。
フロアの入り口に置いてある小さめのカゴを迷いなく取る彼女の目はキラキラとしていて、可愛らしい唇はにこにこと口角が上がっていた。そして、迷いなくフロア内を歩く。そんな彼女に倣って、俺もカゴを取り、後ろをついていく。
黒インクのペンだけでもこれだけあるのかと、正直びっくりした。ずらりと同じようなペンが並んでいて、この中から「さあ選べ」と言われても正直どれがいいのか俺にはわからない。きっと適当に無難なものを選んで終わりだ。わからなくても迷子なのに、好きだと余計に迷子になるのもなんとなくわかる気がした。
俺が使っているペンは、陳列棚の正面に置いてあってすぐに見つかった。
「俺のはこれの0.5ミリのやつですね」
「これですね!相澤先生も、どうぞ」
ふふ、お揃いですね、と照れるように笑って俺にも同じものを渡してくる。
どきりとした。
お揃い、というワードにグッときたのは人生で初めてかもしれない。
「わあ、リフィルも充実していて、カスタマイズできるものも捨てがたいですね!相澤先生オススメだし、学校用に買っちゃおうかなあ」
「そんなのもあるんですか?」
しゃがんで色を選ぶ彼女の横に同じように身を屈める。
「この空のホルダーに、好きな色を入れて好みのペンができるんですよ!」
「へえ、便利ですね」
「赤とか青とかよく使うでしょう?シャープペンやペン先の細さも色々あって、これ一本あれば急いでいるときとか…に……」
意気揚々と話す彼女のランランと輝く目がこちらを向いて、ぱちりと視線が合う。
「ん?」
「あ、ええと、熱くなりすぎたかな、と。グイグイ来られても困りますよね」
ほんのり赤に染まった頬を両手で隠しながら眉を下げる。
「いえ、
〇〇先生の話好きですよ。オススメや使っている物とか教えてもらえると嬉しいです」
「本当ですか?よかったぁ」
「この五本選べるやつ、俺も欲しいです。赤、青、黒の他、
〇〇先生だったら何色選びますか?」
同じリフィルを手に取って、思った以上に近かった彼女の横顔を覗く。ぱちぱちと長い睫毛が動くと瞼に塗られた化粧の粉が、店内の清潔そうな白い照明に反射してキラキラとしている。仕事中にはそんなもの付いてなかったから、俺と買い物に行く前に化粧直しをしてくれたのだろうかと自惚れる。
「え、私ですか?」
うーん、と五秒ほど悩んで、「この中だったらブルーブラック、ブラウン、バイオレットですかね。メモ取る時、色が可愛いとわくわくしちゃうんですよね」と言った。
「へえ、自分じゃ選ばない色だ。このブルーブラック、良い色ですね。バイオレットも良い。これにします」
試し書きの用紙に、テスターで書いて色を見る。これが彼女の好きな色か。このような色と可愛らしい付箋でメモをもらったことを思い出す。右上がりで、とめはねはらいが気持ちの良い、声に出して読みたいと感じる字だった。
「ふふふ、先生の描くねこちゃん、かわいい」
「あ、つい」
「相澤先生の少し丸い字もかわいらしくて、好きですよ」
「そう、ですか」
「ホルダーも、中の色もお揃いになっちゃいましたね」
「そう、ですね」
自分の描いた、猫のような絵に目を落としながら、ふいにうるさく鳴り出した心臓を、静かに深く息を吐いて宥めた。
「他にも見てまわりますか?」
「いいんですか?では、マーカーペンのところが見たいです」
彼女は気持ち遠慮がちに言って、ほくほくと隣の陳列棚へ移動する。
マーカーといえば、蛍光色しか知らない俺は、またここでもびっくりした。
「今どき、マーカーって蛍光色じゃないんですね」
「オシャレな色多いですよね。学生の時、こんなのがあれば勉強捗っただろうなあ」
あ、でも可愛いすぎて、逆に集中できないかな、などと話ながら、欲しかったという新色を次々と躊躇いなくカゴに入れていく。
文房具にも季節限定があることを、初めて知った。
「マーカーってライン引くだけではなくて、イラストかいたり、ちょっとした見出しとか、文字を装飾したりするのにも使えて楽しいんですよ」
彼女はそう言って、メーカーのサイトや、飾り文字なんかを書いているSNSを自身の携帯で見せてくる。
「なるほど、色が綺麗だから、ちょっと書くだけでも様になりますね」
「わかりますか!?この絶妙なくすみ具合とか、パステル感がたまらないんですよ!」
伝わって嬉しい!とはしゃぐ彼女はとても楽しそうで、本当に好きなのだな、と見ているこちらも思わず頬が緩む。この表情が見れるなら、何時間でもここにいたいし、話を聞いていたい。いやもっと大きめの店舗に連れていって、浮かれる姿を見てみたいとまで思ってしまった。
次の休日、誘ったら彼女はどんな顔をするだろうか。
「相澤先生も文房具の魅力、わかってくれましたか!」
と、今と同じようにはしゃいでくれるだろうか。
「わ!先生の捕縛布っぽい色と、ゴーグルっぽい色ありましたよ!ついつい探しちゃうんですよねぇ」
「え、それはどういう…」
「相澤先生、こちらも見てみてください!これペン先がスタンプみたいに丸いんですよ!」
「…何故ですか?」
「ふふ、何故なんでしょうね。でも可愛いので見ててくださいね」
どちらかと言えば、俺はさっきの「つい探してしまう」の理由を知りたい。
そんなことはお構いなしに、「こうやって、丸いペン先をポンと押すでしょ、そして、反対の細い方で耳とひげを書き足せば…」と言いながらテスターで試し書きの用紙に書いていく。
「猫、ですね。しかも簡単だ」
「耳を変えれば、うさぎとかくまも簡単にかけるんですよ!果物とかお花もポンと押すだけで簡単にかけて楽しいんです」
「エリちゃんに良いですね、これ。水性ペンのようにも使えるし、絵が苦手な俺でも付き合えそうだ」
「こちらは、この十二色セットがオススメです!」
「
〇〇先生、商売上手ですね。では、これはエリちゃんへのお土産にします」
「エリちゃん喜びますよ!一緒にお絵かきしましょうね」
彼女は度々、集めているという綺麗な柄の折り紙やシールを持参し、エリちゃんと作品を作っては職員や遊びに来る生徒たちに配ったり、寮内を飾ったりしていた。
「先程の俺っぽい色と言っていたマーカーもいいですか?」
「え?あ、はい!先生はしっかり話聞かれてるから油断できませんね」
「どういう意味でしょう?」
「はい、相澤先生っぽい色のはこれと、これです」
グレーと黄色のマーカーを、どうぞと渡す。
グッズを出したこともなければ、自分の色に意識したことのない俺の、彼女がつい探してしまうという、俺っぽい色が嬉しくて手元に置いておきたいと思ったのだ。これは、自室のデスクのペン立てに入れておこう。
「どういう意味か」と言う質問には、「ふふふ」と可愛らしくかわされてしまった。
「ね、ね、相澤先生、これ持ってみてください!」
「え、ちっさ、子ども用ですか?」
ころんと太く短い、かわいらしいペンを渡す。
俺の手には短すぎて、親指の付け根に当たらず、どう頑張っても持ちづらいものだった。
「うふふ、手帳用です。やっぱり相澤先生には小さいですよね、ミニチュアみたい。可愛い」
俺の手のひらに乗せたペンを、ひょいと摘んで、「私にはぴったりです」と握ってみせる。
「かわいい」
「え?」
「え?」
浮かんだ言葉が口から息を吐くかのように出た。
ぼふっと顔を赤らめる彼女に、自分の言った言葉を思い出し、ぶわと内側から熱くなるのがわかった。
「あ、ああ!勘違いすみません!ペンが、ですよね!うぁ、恥ずかしー。ただ先生が可愛いペンを持ったらどんな感じかなと、そういうちょっとした出来心だったんです」
「勘違いじゃないです、
〇〇先生が可愛いと言う意味で言いました」
彼女は、もう一段階ぼふんと赤くなって、俺も耳まで熱くてきっと赤くなっているだろうと、隠すように耳横の髪を整えた。
「ほら、向こうも見るんでしょう?」
赤らんだ顔で潤んだ目を泳がせて、はい、と返事をする彼女の手を取って歩き出す。
店舗限定の表紙が描かれたノートを選び、またエリちゃん用にと描き心地の良いスケッチブックと、少し高級な水彩色鉛筆を一緒に探した。
気付けば買ってしまうという、ミントグリーンやレモンイエローの色が含まれたテープやシールを、ぽいぽい入れたかと思えば、「どちらにしよう」と真剣な顔で見比べたりして、「相澤先生ならどちらにしますか」なんて聞くものだから俺も、「うーん」と一緒に暫く悩んだ。普段『時間は有限』と謳っている俺でも、穏やかで平和なこの時間は、必要なものだと感じた。
カゴいっぱいになった文房具は、当然ずしりと重く、「持ちますよ」と何度か手を伸ばしたが、「この重さを感じながら帰るのが好きなんです」と頑なに最後まで持たせてもらえなかった。そこがまた彼女らしくて、いいと思った。
――帰り道。
「黙って同じもの使えばいいのに、何故わざわざ聞いたんですか?」
「昨日まで違うものを使ってたのに、同じものを持っていたら、あっ、てなりませんか?」
それは暗に俺が彼女を見過ぎているのを気付いてのことだろうか。それとも話かける口実だろうか。もし同じものを持っていたとして、声をかけて欲しいという意味だろうか。どれにしても、上手くかわされている状況ではどう捉えていいのか測りかねる。
赤くなった顔も最初は勘違いからくるものだった。俺が誰にでも「かわいい」と言い、誰とでも手を繋ぐというヤツだと思われるのも癪だ。
「聞かれる方が俺は気になってしまいますけどね」
「そっち派でしたか」と彼女は、戯けて子どものように、ひひひと笑った。
「
〇〇先生、俺の気持ち、気付いているでしょう?」
「さて、どうでしょう?あ、帰ったらねこちゃん、私にも描いてくれますか?」
近づいたかと思えばするりとかわす彼女の掴みどころのない言葉が、くるりと振り返った時にふわりと翻るスカートの柔らかい布ようで、意地が悪いと伸ばした指が焦る。
手を後ろで組み、荷物をぱたんぱたんとさせながら俺の数歩先を歩く彼女の纏う柔らかい布の色は、彼女がつい探してしまうと言ったペンと同じ色だった。
write 2023/7/28