衝動、こぼれる、青空
受験勉強に疲れた私は、冷房の効いたリビングでぼんやりと外を眺めながらバニラ味の棒アイスを食べていた。
「
〇〇〜、それ食べ終わったらお隣の相澤さん家に回覧板持って行ってくれない?」
「え〜、外暑そう〜」
どこまでも高く青い空に、それを追いかけるように昇る入道雲が、いかにも夏だと言っていて、さらにミーンミーン、ジーワジーワと鳴く蝉が、外は暑いよと叫んでいた。
食べ終わったアイスの棒を噛んでペコペコさせながらどう理由つけておつかいを阻止しようかと考えていると、「昨日、消太くん下宿先から帰ってきたみたいよ」とさらっと付け加えた。
「ウソ!?それならそうと早く言ってよ、お母さんっ!」
『消太くん』の一言で、さっきまで考えていた、今から勉強の続きやるから、とか、もう少し涼しくなってから、とか、もう少しで帰ってくる弟に頼めば、とかが一瞬で消え去って、母が手に持っていた回覧板を奪うように取って、代わりに「コレ捨てといて!」とアイスの棒を渡した。
玄関の姿見で前髪をちょいちょいと指で摘んで直す。
乗らない受験勉強の気分を少しでも上げようと、お気に入りの白いワンピースを着ていたから着替える時間が短縮された。シワなってないかな、と左右にくるりくるりと翻して確認する。
雑誌で一目惚れして買ってもらったサンダルを履いて、また姿見で確認。笑顔を添えて。
いいんじゃない?私、可愛い!よし!
「いってきます!!」
隣の家の相澤さん家には、私の一つ上で、今年名門のヒーロー科へ入学した、幼馴染の消太くんがいる。
家の門を出れば、石壁に咲くノウゼンカズラの絨毯をぴょんと飛び越え、『相澤』と書かれた表札を一度見て胸が高鳴る。消太くんが中学を卒業するまで毎日のように押していた呼び鈴を押す人差し指が緊張で震える。
「はい」
「隣の家の
〇〇です」
「
〇〇?なんだよ、かしこまって」
ちょっと待ってろ、と言った消太くんの声は、数ヶ月前に聞いた時よりも少し低くなっていた。
ガチャ、と玄関のドアが開いて、いつものように白い手が見えた。が、その手には絆創膏やテーピングが巻いてあって、痛々しさに目が離せないでいると、「ああ、これ?もう治りかけてるし、大した怪我じゃないよ」と手を閉じ開きしながら言った。
「ヒーロー科大変?」
「まあ、そうだな。だけどやっとスタート地点に立てたんだ。頑張るよ」
そう言った消太くんの顔は、大人っぽくて、高鳴っていた胸が、さらにドクンと大きく脈を打った。
「あの、これ回覧板」
「ありがとう。家上がる?麦茶くらいなら出せるけど」
「ううん、勉強の途中だったから、」
「そうか、今年受験だもんな」
じゃあ送るよ、と数歩しか離れていない家まで送ると言う彼は、いつだって優しい、私の知ってる消太くんで、数ヶ月会わなかった間に私の知らない人になってしまったようだと思っていた私はちょっとだけ安心した。
けれど、焦る。騒つく。知らないところで大人になっていく彼を思うと、この気持ちを早く伝えたいという衝動に駆られる。夏の暑さが、濃く青い空が、もう少しで雨を降らせそうな入道雲が、言ってしまえ。と頭を鈍らせる。
「消太くん」
一歩先を歩く彼を、呼び止める。
「ん?」と振り返って向き合う消太くんは、背も少し伸びていて、私に影を落とす。
「あのね、私も雄英、受けようと思うの。経営科だけど」
「そうか。
〇〇の成績なら大丈夫なんじゃないか」
「でね、もし受かったら、受かったらなんだけど、彼女にしてもらえませんか」
まだ告げるつもりのなかった、溢れ、溢れた想いに視線を落とす。黒いアスファルトにノウゼンカズラの橙が眩しく、目を細めていると、またぽとりと橙が一つ足元に降ってきた。
は、と気付き、顔を上げると同じように耳まで赤くした消太くんが、顔を隠すように首に手を回していた。
「ん、いいよ。でも、俺それまで待てるかな」
遠くで、ぽろっと白い稲妻がこぼれるのが見えた。間もなく夕立が来る。
write 2023/7/8 ワンライ