サニーアフターレイン
夜まで帰って来ないし、しかも全寮制になってからは殆ど帰って来なくなって、開けるのはオフの日のみになったカーテンを、当然今日も開けることなく、ソファの肘掛けに寄りかかり、コーヒー片手に携帯をスクロールする。
こだわって揃えた家具も今や持ち主の事を忘れているかの様に余所余所しくそこにいる。それでも、まあ使われても良いけど、という風に見えるのは、週に数回、空気の入れ替えと掃除をしに来てくれている彼女のおかげだろう、と家主不在の家を一生懸命掃除している彼女の面影を浮かべながらリビングのローテーブルに置かれた手紙を手に取る。
『お疲れ様。そろそろ帰ってくる頃かと思って、キレイにしておきました!』
ちょーっと一人になりたかったり、仕事で遅くなったり、疲れた時は寮ではなく、こっちに帰ってくるのを『そろそろ』と察し、置き手紙という可愛らしいことをしてくる、愛しのハニー、
〇〇に会えたのはもう一ヶ月も前だ。
お互い仕事が忙しく、休みも合わず、その上今、彼女は出張中。
「俺の充電もそろそろ切れそうだぜ」
少しでも彼女の温もりを感じるため、手紙を折り畳んで内ポケットに入れる。
玄関のドアを開ければ、外に出るまで気付かないほど静かな雨が降っていて、「今年も天の川なんか拝めねえよなあ」と、ふうと吹けば消えそうな薄い雲を見上げる。
天の川。そう、今日は俺のバースデーなワケよ。七夕が誕生日なんてロマンチックだろ?
さらさらと降る優しい雨は、夕方まで続いた。
帰る頃には、雄英リスナーから貰った手紙やらプレゼントで、デスク横に置いていた、どデカいダンボール箱はいっぱいになっていた。直接受け取ったものもあったが、俺が不在の間もこのダンボール箱がポスト代わりになっていたようで、居合わせた先生たちから「これは何々科の生徒から」と戻る度教えてもらった。
「めちゃ嬉しいんだけど!どうやって持って帰っかなァ」
「おい、マイク。あっちにもあるからな」
「へ?」
隣のデスクに座っているイレイザーが、あっち、と指す親指の方を向けば、足元にあるダンボール箱と同じようなものが三箱並んでいて、雄英宛に送られてきたものらしく、「あれでも食品系は遠慮してもらったってよ」と言った。
「ワーオ!それでもこの量か、俺愛されてんね」
さすがに家には持って帰れなさそうだ。学校で貰った分は寮の自室に持って帰ろう。と思っていると、
「今日は家帰れ。これは俺がお前の部屋に持っていっとくから」とイレイザーが言う。
「どしたのよ、誕生日くらい寮でワイワイしたいんだケド。ハニーはまだ仕事で出張中らしいしよ。サミシーから祝ってくれよ、イレイザァ」
「あれだ、ラジオ局からも荷物届くかもしれないだろ」
「んー?そういえば昼連絡来てたな。一回受け取りに帰るか」
「戻ってきたら祝えよ!」と言うと、「誕生日おめでとう」と返ってきた。戻ってきたら、と言ったのにせっかちなヤツ。
粉砂糖を溢したかのような薄い雲は、誰かが吹き飛ばしたのかなくなっていて、雨の残した湿度が頬にべっとりと纏わりつく。
それも許せる気になるのは、このキレーな夕焼けを見れたからだ。西の空の幾重かになった雲は赤や橙に染まっているのに、まだ頭の上は薄い水色のような紫のような、ぼんやりとした色がグラデーションになっていて、ラッピングに使われていたサテン生地のリボンのようだった。
ここまで空が澄んでいるのなら、もしかするとガキの頃から「ホントに天の川なんかあるのかよ」なんて思っていたものが見れるかもしれないと少しだけ心が躍った。
家に着くと、前もって連絡していたラジオ局の一番付き合いの長いスタッフが、ダンボール箱いっぱいに入った手紙を四箱持ってきてくれて、ふうふう言いながら一緒に運んだ。
「これでもまだ一部ですからね、マイクさんの楽屋、ここに引っ越してくるんかってくらいダンボールだらけですから」
「マジで?嬉しいね。俺それ次来た時入れそ?」
「いや、無理ですね」
「ウソォ!これでも前回の放送の時、メールでも嬉しいからって言ったんだけどネ」
「メールもやばいくらい来てますよ。サーバー落ちなくてよかったです」
「いやいや、ホント俺、愛されてる」
「当たり前でしょう!では、整理できた頃、次の持って来ますね!良いお誕生日をお過ごしください」
「サンキューな!」
スタッフをエントランス前で見送り、ロビーを数歩進んだところでポストを見忘れていた事を思い出す。昨日帰ったばかりだからそんな溜まってねーだろうなー、なんて考えながらロック錠のボタンを押し、中を確認すると緩衝材付きの茶封筒が入っていた。
今朝見た、丁寧でちょっと神経質そうな字が並んでいる。
「
〇〇から?」
封筒を裏返せば、カチャカチャと音が鳴って、彼女の字で住所と名前が書いてある。出張先から帰れない彼女からのプレゼントだろうか。
「それならいつになってもいいから直接渡して欲しかったぜ、ハニー」
これまで彼女に不満を出したことなんてなかったが、一ヶ月も会えず、触れられないのはさすがに堪える。しかも誕生日だぜ。いい歳したおっさんが何言ってるんだと自分でも思うが、そんくらい
〇〇不足になってるってコトで許してくれ。
玄関先に積まれたダンボール箱に、「サンキュー、リスナーたち。後でゆっくり読ませてもらいます」と声を掛け、空き部屋に移動させる。
玄関に戻って、靴箱上に置いていた
〇〇からの封筒を手に取り、開ける。
「カセットテープ…」
今日日カセットテープて!どこまで俺のツボを押さえてんのよ、
〇〇は。
透明なグレーのシンプルなカセットに貼ってあるラベルには『ひざしへ』と書いてある。
今すぐと逸る気持ちを落ち着かせ、コスチュームから部屋着に着替える。コスチュームの内ポケットに入れていた置き手紙を取り出し、カセットテープと一緒に手に持つ。
特注でリフォームした防音室に入れば、キーンと耳鳴がして、重たいハンドルを締める。
カシャン、カチャカチャ。カチ、カタカタ、ガチャン。
機材にカセットテープを入れる作業音が無音の部屋に心地よく響く。
ヘッドフォンを着けて、あとはこの再生のスイッチを押すだけ。
「バースデーソングとかかな、可愛いことするぜ」
──カチッ。
しばらくジーっという無音の再生音が鳴って、軽やかなウインドアンサンブルの曲が流れ始める。クラリネットのエッジの効いたピュ〜イという音が消える頃、
『ハッピーバースデー、ひざし!あなただけに送る
〇〇によるお誕生日ラジオ!!』
とエコーの掛かったタイトルコールが流れる。
ラジオ風か。磁気テープに乗った彼女の声もまた良いな。デスクに頬杖をつき、目を閉じて聞き入る。
『改めて、お誕生日おめでとう。ひざしがこれを聞く時は、こんにちはかな?こんばんはかな?最近、陽も長くなって、時刻はとっくに夜なのに、空は明るくて不思議な感覚になるよね。そんな夏の夕方と夜の間が、ひざしみたいだなぁ、って私は好きです。』
あ、今、絶対目伏せた。好きって言う度、長い睫毛で綺麗な瞳、隠しちゃうんだよなあ。
『ふふ。抽象的だね。でもひざしには伝わると思って。え?わからない?しょうがないなあ。でも長くなっちゃうから、また今度ね。』
今朝降っていた雨のような声。
『今日は七夕だね、予報では生憎の、って感じかな?でもね、多分、晴れるんじゃないかなあ。』
直接肌に触れるまでわからない。いつの間にか濡れていて、しっとりと重くなる。そんな優しいのに離れない声。
『どう?晴れたかな?』
「晴れたよ。何でわかったんだ?」
『何でわかったか、って思ったでしょ?ふふ。』
「え、?」
『素直な反応ありがとう。ここで、お誕生日のひざしに一曲プレゼントします。』
当たっても外れても、まあ見事当たったんだケド、嬉しそうに笑う彼女は一人で喋っているのを照れているのか、いつもより控えめでそれも可愛らしいと、その笑顔を想像した。
小さく、よいしょ。と言ってギターの弦に触れる音がする。趣味の多い彼女の、好きなものの一つ、アコースティックギター。どうやら生演奏らしい。
ふぅ。と一息吐いた後、Cメジャーから始まる、耳馴染みのよいイントロが流れる。元々の曲はもう少しゆっくり目だった気がするが、それは滑らかなカノン進行に乗った彼女の歌声が僅かに震えているからだと、それすらも愛おしく思った。
──ガチャン。
ここで片面十分のA面が終わった。
またカチャカチャとカセットを裏返し、セットする。
──カチッ。
『聞いてくれてありがとう。へへ、照れますね。楽しいことが好きなひざしは何だったら喜んでくれるかな、って、好きなもの詰め込んじゃった。』
「ホント良くわかってんね、こんな可愛いことして。早く会いてえよ」
『あ、今、会いたいって思った?それは好きなものの中に私も入ってるってことかな。嬉しいな。私も早く会いたいな。きっと七夕だもん、会えるよ。だからもう少しだけ、お誕生日ラジオにお付き合いください。』
そんな切ねえ声で言うなよ。と溢れた俺の声も相当だったと思う。
『ところで、ひざしは今年の七夕、短冊書いた?私は、近所のスーパーでご自由にお書きくださいって置いてあったから、その場に居た子どもたちに混ざって書いたよ。上の方がお空に近いから上がいいよ、って教えてもらってね。教えてくれた子の短冊、お礼にすごく背伸びして上に飾ったんだ。ひざしならてっぺんに飾れそうだなあって思っちゃった。』
そういや去年デートで行った、港街のショッピングモール近くにあったタワー内の笹飾りは豪勢だったな、と思い出す。大きな笹竹が二本あって、丁寧に切り込まれた紙飾りや、たくさんの願いや思いが込められた色とりどりの短冊が吊り下げられていた。
上にばかり短冊が下がっていたのはその為か。タワー内にあるからもうすでにチートのような気もするが。
あれからもう一年経つのか。早えな。
『そろそろ時間だって。本当はひざしに愛を囁こうかと思ったんだけどね、ブースには一人だけど、向こう側にはお手伝いしてくれてる人がいるから恥ずかしくて、え?言えって?無理無理!めちゃめちゃカンペ出されてる!えー、んん、やっぱり会った時に言うね。あはは、今度は残念ってカンペ出てる。』
…カンペと会話してるし、最後でちょっと楽しくなってるジャン。
『外は暗くなったかな。夏の澄んだ夜空に流れる天の川をひざしと見れたらいいなと思ってます。これを聞き終わったら、ベランダに出てみてね。最後まで聞いてくれてありがとう。お相手はあなたの恋人、
〇〇でした!そして、お手伝いしてくれたのは、ラジオ局でひざしが一番仲の良いスタッフさんと、相澤さんでした!バイバイ!』
またオープニングで流れた曲が流れる。
──ガチャン。
再生のスイッチが上がり、B面が終わった。
あの二人も協力してくれてたのか。だから家に帰ろってか、なるほどな。
機材からカセットテープを取り出すと、ケースへしまい、ヘッドフォンを取る。
「ベランダに出てって言ってたな」
重いハンドルを上げ廊下に出れば、さっきまでなかった誕生日の飾り付けがしてある。リビングにも黄色や緑を貴重とした風船や紙テープで部屋が飾られていて、今日開けていないはずのリビングからベランダに続く窓のカーテンが開いている。
レースカーテンが風でふわりと靡いた。
「え、まさか」
防音室でヘッドフォンを付け、
〇〇の声を聞き入っていたからか、全く気が付かなかった。
緩い風が入ってくるレースカーテンに潜り、十センチほど開いた窓に手をかけ、開ける。ベランダ用のサンダルを履いて、一歩出るとそこにはずっと会いたかった、声を聴いて尚更会いたいと願った彼女がいた。
「
〇〇!?」
「ひざし、お誕生日おめでとう」
そう言うと、俺の背中に手を回し、ぎゅうっと抱きついてくる。
「え、何で、仕事は?まだ帰る日じゃ…。や、めちゃ嬉しいんだけどよ」
「凄く頑張って、急いで終わらせてきたの。私だって、大好きなひざしの誕生日お祝いできないの悲しいんだからね」
驚きと心配が先に出て、腕の行き場に困っている俺を見上げ、少し悲しそうに眉を下げた彼女がそう言うと、「そっか、そうだよな」と、ゆっくり腕を下ろし、彼女の背中に腕を回す。
「サンキューな。最高のプレゼントだぜ」
背中を這う、
〇〇の小さな手のひらが、またぎゅっと俺を抱きしめ、腕の中で「ん」と短い返事をする。
「カセットのラジオ、聞いた。めちゃくちゃ嬉しかったよ。ありがとう」
「ふふ。少しね、恥ずかしかったけど、ひざし、私の声好きでしょ?だから、」
ああ、好き。テープに乗った声も良かったけど、やっぱりこの鼓膜を撫でる、さらさらと降る優しい雨のような声は、俺の耳で直に聞きたい。
もっと近くで、と顔を寄せれば、うなじまで赤くした彼女の首元にキスをする。
「ぁ、ひざし、汗かいてるから、」
「ん?これはこれでうまいよ」
やだ。とそっぽを向いた
〇〇が、「まだプレゼントあるのに」とむくれた声で言い、「あっち」と指差す方を見れば、氷が並々と入ったシャンパンクーラーに刺さるボトルと、グラスがテーブルに置かれている。
回した腕をするりと離すと、「こっち来て」と呼ぶ。
離れるのは寂しかったが、一瞬で機嫌を直した彼女の浮かれた声に素直に従った。
「これ、あの時の」
「そう!去年、タワー近くでご飯食べた時、美味しいね、また飲みたいねって言ってたから、同じのをご用意しました!」
「嬉しいサプライズばっかで、俺ついてけねえよ」
「うふふ、だったら作戦成功だね」
「ちゃんと冷えてるといいけど」と一生懸命開ける姿は可愛らしく、でも危なっかしくて手伝おうとしたが、「私がやる」と言い張るので見守ることにした。
何度目かの「うーん」と力む声で、ポンッと景気の良い音がして、ふぅ。と汗を拭う
〇〇に小さな拍手を送った。
シュワシュワと爽やかな音を立てて注がれたシャンパンは、リビングからの淡い明かりと夜を半々に映し、本来の色よりも深みを増していて幻想的だった。
「炭酸の泡が星みたいで綺麗だね」
「俺もそう思ってたところ」
目の前に掲げてその星がパチパチ鳴る音を聞いて、「誕生日おめでとう」という
〇〇の言葉の後、チンとグラスを軽く合わせると、一口含んだ。
「美味しいね」
「な。去年より美味い気がする。感動分かな」
「あとね、これは私も賭みたいな感じだったんだけど、せーので空見てみよ」
「天の川か」
こくんと彼女が頷き、「せーの」と言って二人夜空を見上げる。
そこには、都会育ちで自然とは縁のない俺にとって「ホントに天の川なんかあるのかよ」とプラネタリウムや写真でしか見たことのない光景が広がっていた。数え切れないほど瞬く星々が、川のように緩やかに曲線を描き、目の前をゆるゆる流れていた。その周りに一際大きく輝く星があって、あれが夏の大三角、所謂、織姫と彦星か、とぼんやりそんな事を考えていた。圧倒されていたのだ。
「凄い。本当に見れるなんて」
「俺、初めて見るわ。そういや賭って言ってたな。一緒に見れたらいいな、っても言ってたし」
「去年の短冊と、今年の短冊、同じお願い事書いたの」
「どんな内容?って聞いてもいい?」
こくんと頷き、「大切な人と一緒に天の川が見れますようにって書いたの」と言った。何でも、彼女が小さい頃、家族で見た天の川が綺麗で感動したから、俺ともいつか見たかったそうだ。
「
〇〇」
「なあに?」
「抱きしめたい」
「ん。いいよ」
飲みかけのシャンパンをテーブルに置いて、一度目を合わせると、先よりもきつく抱きしめる。苦しいよ。と笑う彼女の声は嬉しそうで、あまりにも幸せで鎖骨辺りが軋んだ。
「
〇〇、好き。大好き。愛してるよ」
「私も。ひざし大好き、愛してる」
愛を囁きあえば、どちらともなく腕を緩め、唇を合わせる。柔らかく触れるだけのキスだったが、愛しさを伝え、受け取るには十分だった。だが、やっぱり、好きと言った彼女の瞳は軽く伏せられていて…今日はお願いしても許されるよな。
「なあ、
〇〇」
「なあに?」
「俺の目を見て、好きって言って」
そう、その綺麗な瞳をこっちに向けて。照れてもいいから、逸らさないで。
長い睫毛がふわっと動いて、揺れる瞳が俺の目を捕らえる。
「…好き。ひざしのことが好きだよ」
「はー、可愛い。俺の彼女めーっちゃ可愛い!」
「ちょっと!しー!声おっきい!」
慌てて俺の唇に人差し指を当てる
〇〇の手を掴んで、またキスをする。一度目より深く口付けた唇はシャンパンの甘さとアルコールがふわりと香って頭がくらりとした。
一ヶ月ほどではあったが、やっと会えた喜びはさながら織姫と彦星のようで、彼女をきつく抱きしめる。
シャンパンクーラーの氷がカランと音を立てて、「飲むの忘れてたね」なんてグラスを手に取って、目が合えばキスをして、ベランダの手摺に置いた彼女の手に手を重ね、またキスをして、夜の晴れた空に流れる天の川を二人暫くの間、眺めていた。
write 2023/7/1〜7 🎤誕連載