指先の美しさは何かを表すと言うけれど
爪のお手入れをするために道具を揃えたのはわたし。
めんどくさがりなわたしは、揃えるだけで満足して、自分では使ったことのないそれを鼻歌を歌いながら手慣れた様子でテーブルに並べていくのは彼。
ネイルを塗りかえている時に、「俺にもやらせて」と塗りづらかった利き手の方をお願いしたところ、気に入ってしまったみたいで、それ以来わたしの爪のお手入れは彼の担当になったのだ。
今日は週に一度のネイルを塗り替える、長めの『お手入れの時間』の日。
わたしはこの日をドキドキともソワソワともウズウズとも、なんとも言い表すことのできない気持ちで迎える。
「ちょい長さ整えるか」
「ひーくんにお手入れしてもらうようになってから爪元気なんだよ、折れないの」
「そりゃあ毎日丁寧にオイルとハンドクリーム塗り込んでるからナ」
マメだし器用だし、手を動かしながらも軽快なトークは途切れることはない。
伸びていた爪は、あっという間に綺麗なラウンド型に、ぴょこっとでていたささくれも、ぺったりとくっついていた甘皮もスッキリなくなって、手入れの行き届いた美意識の高い指先になっていた。
「わあ、いつも思うけど、これだけでも十分綺麗。ほんとひーくん、器用だね」
指をぴこぴこさせ、いろんな角度から指先を見る。そして、向かいに居る彼にお礼を言うと、
「その笑顔が見てえのヨ、俺は」
と、片肘で頬杖をついて、口角を上げて、にんまりと笑った。
大きな目が柔らかく細められ、優しいのにかっこいい彼の表情に、わたしも顔が緩む。
「えへへ、へへへ」
「なになに?照れちゃったの?
〇〇ちゃんかわいい〜」
「恥ずかしいから見ないで!」
「そう言われたら見たくなっちゃうもんですヨ」
細く長い指がわたしの指にするりと絡んで、隠していた顔をちらりと覗く。
彼の仕草にドキッとして、これはいつまで経っても慣れることはないだろうなあ、と喉のくぼみがきゅっとなった。
「さーて、今回は何色で塗りますか?」
「どうしようかな、ローズピンクかグレージュで悩んでるの」
「いいねぇ。俺こっちのパールっぽくキラキラしてんの好き。ローズピンクは俺とデートする時に塗ろうな」
この落ち着いたピンクは仕事の服より、俺と一緒にいる時におしゃれしてくれる可愛い
〇〇ちゃんに合うと思うぜ。仕事中指先まで可愛かったら俺、離れてる間落ち着かねえヨ。いや、でもこの色っぺー色塗ってる
〇〇ちゃんもオフィスカジュアルな服と相まって、色気ダダ漏れちゃうんじゃねえの?どうしよ、うーん、ホントこの色似合うわ。うん、可愛い。可愛いし、指先からも色気出てる。え、これ仕事中ダイジョウブ?
塗りながらもずうっと喋っている彼の、相槌を打ちづらい言葉ににやけたり、時折もれるマヌケな、んふ、という笑い声で答えていた。
「大丈夫だよ。前に飲み会の席でね、いつも爪綺麗ですねって言われて」
「へえ、それ初耳。で?言われて?」
わ、笑顔なのに圧がすごい…。
「彼に手入れしてもらってるって、答えた、よ?ちなみに女の子だよ?」
「んなの関係ねえよ。どこで誰が聞いてるかわかんねえからな」
満点の返しで安心したぜ、とわたしの頭を撫でた。
乾くまで
〇〇ちゃんはそのままゆっくりしてて、と言ってこれまたテキパキと片付けていき、そのままキッチンへ行ってアイスティーを淹れてきてくれた。二人がお気に入りのバターたっぷりのクッキーが3枚、金で縁取られたガラスの豆皿に盛られていて、アイスティーと一緒に木製のトレーに乗っている。
ありがとう、と言ってグラスに手を伸ばそうとすると、まだ乾いてないかもしれないだろ?と彼がグラスを持ってストローをわたしの方へ向ける。
まっすぐ見つめる彼に緊張しながら、こくんと小さく一口飲む。
「もう、自分で飲めるのに」
「いいって、俺がやりたいの」
そう言って柔らかく微笑むと、クッキーを半分に割って、あーん、と口元へ持ってくる。むず痒くて恥ずかしくてなかなか口を開けれないでいるわたしに、ん、ともう一度微笑んで、バターのまろやかな香りのするクッキーを唇に当てた。その甘さ欲しさに、うっとりと口を開き、受け入れた。ほろほろと溶けていくクッキーは想像通り甘くて優しい。いや、それ以上でとろけてしまいそうだった。
一週間に一度の長めの『お手入れの時間』はいつもそう。
毎日の『お手入れの時間』でさえ、わたしの好きな、彼の長いしなやかな指にやわやわと触られて、それだけでもときめいてしまうのに、週に一度のこの時間はティータイムまでがセットになっていて、「乾くまでがお手入れ時間」と甘やかされている。だからわたしは、この日が来るのを待ち遠しかったり、同時に照れや、恥ずかしさで逃げ出したくなったりするのだ。
「…美味しい」
「な、これでもかってくらいバターがじゅわってなって贅沢だよなア」
「ん、甘かった、です」
自分で食べれるよ、と言ってみたけれど、
「しっかり乾くまでがお手入れの時間」
と、やっぱり彼はいつものセリフを言って、クッキーを口へ運んだ。
綺麗に整えられ、丁寧に塗られた爪を眺める。
「もう乾いたかな」
「いやまだだからもうちょいこのまま」
「触って確かめてもいい?」
「ダメ」
「だめなの?」
「ダーメ」
まだ『お手入れの時間』は終わりそうにない。
write 2023/8/28