良いお年を
今思えば、あれは告白だったのでは、と仕事納めの帰り道、電車のホームにある広告がくるりと回転して、ふと頭に浮かんだ。
どこかのお店の、年末の挨拶的な広告だった。なぜこれとあれが繋がったのか、揺れる電車の窓から見える黒い空を眺めながら考える。
最寄り駅に着くアナウンスでシナプスが繋がり、馬鹿な私が窓に映った。
数年前の春。ラジオ局に勤める私は、別の番組から移動した。
新しく担当になったのは『Present MICのぷちゃへんざレディオ』。深夜帯のしかも長時間番組を担当するのは初めてで、慣れるのに随分かかってしまった。けれど、あの頃は、なんて笑い話として話せるようになり、少しは前進したのだと幾らかホッとしたのはつい先日の忘年会でのこと。
❄︎
「毎年言ってるような気ィすっけど、
〇〇サンが来てからピリッとして、なんつーの新しい風吹いた感あってさ。今年も楽しかったなーって」
ラジオパーソナリティでDJのマイクさんが、ウッドデッキの広いベランダで風に当たっていた私の隣にふらりとやって来た。彼はヒーローと教師を兼業しつつも金曜の深夜、遠くの、或いは近くの誰かのために毎週電波に声をのせている。かくいう私も、彼に助けてもらってばかりだ。
「ありがとうございます。でもマイクさんのおかげです。いつも気にかけてくださって」
イヤイヤ謙遜することねえって、まアそういう謙虚なところも好きヨ、とからりと言う。
「全然敬語抜けねーのな、同い年だろ? つーか仲良くなったと思ってたの俺だけ?」
「いや、もうクセで、つい」
ハハ、とオーバーリアクションで笑うマイクさんは普段通りで、何度かごはんに誘ってもらったり仕事終わりに送ってもらったりしたけれど、その時に見る笑顔と同じだった。
移動したばかりで馴染んでいない私にまで気を配って、気さくに話しかけてくれた。ちゃんと力を発揮できるようになったのも、はやくそうなりたいと頑張れたのも、マイクさんの存在が大きい。底抜けに明るい彼に現場は常に笑いが絶えず、ズバリと指摘しても、圧があるわけでも嫌な空気になることもない。それは彼の人柄の良さと人望あってこそ。そう思っているのは私だけでなく、チーム全員が思っている。だからこんなにも楽しい忘年会が毎年開かれているのだ。
そのためにも、いつからか芽吹き、しっかりと育ってしまっているこの気持ちはこのまま私の中にいてもらいたいのだけれど。
「
〇〇サン、それお酒?」
「いえ、今日はもう一次会で失礼するのでノンアルコールです」
「てことは電車?」
「はい」
俺も今日は車置いてきてんの、と言うマイクさんが持つグラスの中もノンアルコールで、ヒーローはこんな時でもお酒飲めないのかと、彼の心休まる時間を思う。
「俺も電車で帰ろっかなー、明日も学校だし。一緒イイ?」
「ええ、構いませんけどマイクさんって電車乗るんですか? というか乗っても、」
「ダイジョーブよ、髪下ろして私服着てりゃ案外バレねえの」
ヒーロー時の跳ね上げた髪型のジェスチャーの後、コレもあるしな、とジャケットの内ポケットから赤いハーフリムのクラシックなメガネをチラリと見せる。そこはサングラスじゃないのかと聞くと、夜にグラサンしてる方が逆にアヤシイでしょ、と笑われた。それもそうか、と私も笑った。
咲ききってしまった気持ちはいつか溢れてしまうのだろうか。いつか、とは。
マイクさんの言った通り、電車内は座れない程度に混んでいたけれど、スマホや本に視線を落とす人、イヤホンをして目を閉じている人がほとんどで気付く人はいなかった。
「こっからだと
〇〇サン、あと三駅か」
「ええ、マイ、」
「shh、さすがにそれはアウトだゼ」
シー、と立てたマイクさんの長い指が、私の鼻先にちょんと当たった。
ひんやりしていると感じたのは私が熱いからだろうか。顔赤くなっていないといいけれど。
こんなにも抑えた声が出せるのかと驚くくらい小さな声で、私にだけ聞こえるよう耳元で「ひざしって呼んで」と言った。
軽く触れてしまうほどに近い距離。声も、初めて聞く彼の名前も、透明なレンズの向こう側にある綺麗な緑色の瞳も、何もかもにドクンと心臓が鳴る。
知らないひとのようだった。
いつか、は今日なのかもしれないと思った。
「……ひざし、さん」
「ん? 心配しなくても送るって」
そうじゃなくて、と言いたかったけれど、名前を呼んでしまった後に続く言葉は何であっても彼の優しさを否定してしまう気がして何も言えなかった。その無言を肯定と受け取った彼は、ニ、と白い歯を見せて笑う。普段のマイクさんだった。
送ってもらうなんて、と慌てて言うと、いいのいいの、と言った。そして、ちょうど着いた電車のドアが開く時、私の手首を掴んで電車を降りた。すぐに離されてしまった彼の手は、冷えていなかった。
ただ私が火照っていた。きっと顔も赤い。なぜノンアルコールだと言ってしまったのだろう、恥ずかしい。
勘違いしてはだめだ、と言い聞かせながらキュッと瞼を一瞬瞑った。
半歩先を行く彼の背中を追う私は、仕事仲間の顔をしていない。どうか気付かれていませんように。
「キレイだな」
駅前の落葉樹には葉に代わり、金色のイルミネーションが飾られている。
見上げた彼の口から、ほうと白い息が流れて黒い空に消えた。
彼が振り返るまでに気持ちを戻さなくては。
深く息を吸って、そうですね、と答える。鼻がツンとした。
「こんな小さな駅でもイルミネーションがあると帰ってきた時、ちょっと嬉しくなるんですよね。マイクさんの、」
「戻ってんジャン。呼んでよ、名前」
振り返って私の顔を覗き込んだマイクさんに慌てて、電車内だったからでは、と聞くと、俺が
〇〇チャンに呼んで欲しいの、と言った。
「あ、えと、し、仕事の時うっかり呼んでしまってはいけませんから」
「なにソレ、ドキドキすんジャン」
「もう、揶揄わないでくださいよ!」
「俺はチョー本気ヨ」
❄︎
一人で見てもイルミネーションは綺麗。
明るいうちはコードが木に絡まっているだけなのに薄暗くなった時、この粒たちは何色に輝くのかと思うとやっぱりそれも綺麗だと思えるから不思議だ。
あの時の私はただただ自分のことで精一杯で、彼の好意、ましてやそれゆえの優しさに気付く余裕なんてあるはずもなく。彼の心休まる時間を、と思っていたのに私が傷つけてどうするんだ。私の赤い顔を見てかわいいと柔らかく笑った、初めて見る彼の顔をじわりじわりと思い出していた。
「私ってほんとバカだなあ」
駅前の街路樹が金色に光る下、彼が笑った同じ場所で立ち止まる。
「……好きです、ひざしさん。なんて」
「ソレ木。俺はこっちヨ、
〇〇チャン」
聞き慣れた声のする方へ振り返ると、彼が立っていた。
「え、なんでここに」
今日仕事納めだって聞いて、電話も何度かしたんだけど出ねえってことは電車かなとか、考えてたら足が動いてた、とはにかみながら言う。
「それに、良いお年を、って言ってねえなと思って」
「私も、です。あの日いっぱいいっぱいで言いそびれてしまいまして。あと、ひざしさんの気持ちに今気付きまして」
彼の首に巻かれた白いマフラーが薄らと金色に染まっている。これ以上は顔が上げられない。
「恥ずかしながら、勘違いしちゃダメだとか思ってしまい」
アーと弱々しく叫ぶ声が降ってきて、イルミネーションでキラキラと輝く金髪が揺れる。
「遠回しとか、らしくねえことしたからかー、ちゃんと好きって言えばよかったゼ! まさか木が先に聞くなんてなー。さっき言ったコトも口実。ただ
〇〇チャンに会いたかっただけ。全然格好つかねエ。あーもう好き。
〇〇チャン、好き。大好き。一度口にしたら抑えらんねえわ」
ゆっくり顔を上げれば、耳まで赤くなったひざしさんがクルクルと表情を変えていた。
私だって、あの日溢れないようにと抑えた気持ちを伝えたい。謝りもしたいし、感謝だって伝えたい。私にとってどんなに大きな存在か、伝えられるのならば、余すことなく全て。
「あの、私もひざしさんのことが、」
「ココではダーメ」
「え、」
俺しか聞こえないところで言って、と甘い声が優しく響く。
良いお年を、はふたりのこれからを想う言葉に変わる。
年始の挨拶だって、もっと近いものに。
write 2024/12/31