7月、クライアウト
あの日、全てが終わり、そして始まった空を忘れはしない。
皆の胸中を表すかのような黒く分厚い雲は終わりと共に消え去り、そこには信念の拳が高らかと突き上げられていた。
急速に進んだ復興作業で避難生活を強いられていた人々は徐々に元の生活へと戻り始めていた。
だが失ったものは多く、全てが元通りとはいかない。今やそれをヒーローのせいだと、誰かのせいだと詰る人などいない。齢16の少年少女らがそれを教えてくれたからだ。大人として不甲斐ないが、この子たちだったからこそ伝わり、心動かされたのだと思う。
避難生活中、お互い寄り添い助け合うことで、自ら〝何かをしたい〟と申し出る人も増えた。それは地元の方々も多く、避難が解除された今も交流は続いていた。季節外れの卒業式も終わり、雄英高校敷地内の改築が進むなか、生徒と親しくなった方々が良ければ一緒にと声をかけてくれたのは、七夕の灯籠飛ばし。例年では毎年7月に海岸沿いの広場で開催されている祭りだ。このような時勢だし今年は時期をずらしても、とのことだったが、生徒たちは「例年通り行うことに意味があると思う」と自分たちに出来る精一杯を提案した。
俺もそれは賛成だと思うぜ。"Make hay while the sun shines."って言うだろ?
忙しいほうが気は紛れる。ただそれに進むだけだからだ。しかしそれらが終わった時、何が残るのだろうか。
ニンゲン、ふと気が抜けた時が一番こえーんだぜ。
この祭りが誰かの支えや拠り所になるように、皆そう思っていた。
希望は見えるところに置いておくべきだろ。それにな! 祭りといえば俺、俺といえば祭り、司会がいるってンなら適任は俺しかいねージャン! これからの平和を願うのに辛気臭せー空気なんてゴメンだぜ。とは言いつつも、俺にだって心残りの一つや二つ、三つ、四つ、まあ両手で数えるくらいはある。俺だってすぐ前を向けるわけじゃねえの。
雄英生のド派手な演出もあり、開会式は盛り上がった。
巨大クラッカーに、紙吹雪やら銀テープ、暑さを凌ぐミストシャワーはライティングを乱反射し、ミラーボールのようだった。やっぱりこういう個性の使い方っていいよな、とDJブースでひっそり目頭を熱くさせた。だってさ、誰も傷つかねえし、痛い思いもしねえだろ。最近めっぽう涙腺弱くなってんな。歳のせいか、ってまだピチピチの30代だっつーの。
開会式の余韻を残し笑顔で溢れる会場は、屋台から漂ういい匂いに包まれていた。そんな中、各々が紙の灯籠へ願いを書きしたためている。
「ひざ……あ、山田くんは何を書いたの?」
「ん? まア、月並みなヤツ」
蛇腔戦を前に別れた彼女が灯籠を大事そうに抱え、話しかけてきた。白地に濃藍の花が涼しげな浴衣姿だった。すげー似合ってる。ちゃんと顔を見るのも数ヶ月ぶり、か。雄英内ですれ違いはしたが話せる雰囲気ではなかったし、戻ってきてからも連絡はしなかった。何度か携帯を握ったが、その度にため息と共にポケットへ捩じ込んでいた。
本格化してきた戦いに、別れを告げたのは彼女の方だった。
――ひざしは誰よりも考えて、抱え込むから。持てない分を分けてもらいたかったけど、ひざし、私ごと抱えちゃうでしょ。
いつだって俺の理解者で、味方だった。声を詰まらせながら話す彼女の言葉は彼女の震える心そのもので、否定することも、ひとこと「待ってて」と言うことすらできなかった。
「だよね、私もそんなところ。灯籠飛ばすの初めて。楽しみだね! じゃあ、また」
「ああ、また」
去っていく彼女のうしろ姿に揺れる、巻かれた帯の黄色が、にくい。
笑った顔を見れたのはいつぶりだろうか。彼女が纏う色にですら嫉妬するほどに未練だらけだ。正直なところ俺は、俺が大事だと思うもの全てを抱えていきたかった。重さなんて、ちょっと涙が出るくらいのほうがいいだろ。
「……また、か。顔見たの久々だぜ。またって、いつなんだろうな」
「さあな」
「うおッ! 相澤ビックリさせんなヨ!」
「主催者の方が探してたぞ。あと泣くくらいなら行けよ。いいだろ、もう。誰も何も責めねえよ」
「な! 泣いてねエし!」
相澤はそれだけ言うと、A組とエリちゃんの待つ輪の中へ戻っていった。みんな笑顔だ。アイツはすごい。常に前を、最善を考えている。失うわけにはいかない、と強い意志をひしひしと感じる。まア、たまにちょーっと昔のアイツが顔を出すケドそれも一瞬だ。もう根っからの先生なんだろうな。生徒らを見ているとどんな教育をしているのかわかるってもんよ。
「誰も責めない……ネ」
ああすればよかった、こうしておけばよかった、と後悔したところで残ったものは消えてくれはしない。俺を責めてたのは、俺自身だ。それすら抱えて生きていく。そう考えていたのに、だ。そうか、だからこそ彼女は俺にああ言ったのか。
ゆっくりと歩み出す。さくさくと芝生を踏み締める音が徐々に、はやまる。耳を澄まさずとも、彼女の声が、声だけが聞こえる。
見つけた。笑う横顔は可愛いが、やっぱり帯の黄色が気に食わねえ。
「後で迎え行くから、待ってて」
プレマイ!? と周りが騒つくなか、彼女へ耳打ちした。
彼女は驚いた顔をして、左耳を押さえている。手を振る俺に、小さくコクコクと頷いて、手を振り返した。
主催本部へ戻り、打ち合わせ通り点火のアナウンスを始める。
会場の灯りを少し落とせば、あらわれた夏のしっとりとした夜に、ひとつ、またひとつと光が灯る。光が行き渡り、灯籠の優しい灯りが人々の笑顔を照らした。
「エビバデ準備はいいかア?! この景色、心に刻んでいけ! イッツオーケートゥクライ、レッツキーパーヘザップ! カウントダウンスタートだ!! イェア!!」
ゼロ、の掛け声のあと、わあ、と感嘆の声が響いたが、会場中が光を追うように空を見上げれば、静けさが訪れた。流れるBGMも緩やかな曲調へ、BPMも下げ灯籠が上がっていくはやさに合わせる。
ふわりふわりと夜空へ上がっていく願いの込められた灯籠は、想像していたよりはるかに綺麗だった。
ステージの進行は再び生徒たちへバトンタッチし、俺は彼女の元へ。
彼女は喧騒からわずかに外れたところで夜空を眺めていた。灯籠はもう回収されていたが、そこには満天の星があった。光が濃く、空が近かった。そっと隣に立つと彼女がぽつりぽつりと話始める。
「ずっとね、ラジオ局がアーカイブ流してくれてて、すごく元気貰ったんだ。私だけじゃないよ、避難所で過ごす人たちの支えになってたの」
風に揺れた前髪を耳にかけ、彼女が言った。山田くんはすごいなあ。今日だってみーんな笑顔なの。普通ならしんみりしちゃうでしょ、あんな綺麗な景色見たら。と続け、俺を見た。
俺だけじゃ無理だ、同じ気持ちのヤツが集まったからできたんだ。ラジオもな。そう言って、嬉しいことを言う可愛い下唇の輪郭をなぞる。瞬きをする彼女の睫毛には星が降ったかのように光の粒がキラキラとしていた。
「ひざし、って呼んでよ。俺たちまた付き合おう。今度は間違わねえからさ、一緒にいよう」
「……戦争が終われば、全て終わると思っていたの。だからね、すぐに元に戻れるって思ってたんだ。でも違った」
夜風はぬるく、二人の間を優しく通り過ぎる。ただそれだけのことに鼻の奥がツンとした。
「いいんだ、戻っても。俺もさっき気づいた。遅えだろ、ごめんな、待たせて」
「……ひざし、おかえり。だいすき。それと、お誕生日おめでとう」
「ただいま。ありがと。俺も好き。大好き。笑ってよ、俺、
〇〇ちゃんの笑顔が好きだからサ」
どちらともなく、指が触れ、手を繋いだ。
「でも、だって、ひざしも泣いてる」
「ハハ、コレは嬉し涙だからいーの!」
もう離さない、間違えない。
失ったものは多く、元には戻らない。後悔も、癒えない傷もあるだろう。けれど前へ、新しく始まった時代へと進んでいかなくてはならない。抱えた何かを思い、誰かへ手を差し伸べる。たとえ小さなことだとしても、輪が広がればいつか世界へと繋がっていく。それがこれからの時代なのだと、願っている。
だから俺はこれからも声を出していくぜ。
祈り、願い、希望が届いた夜空も忘れはしない。泣き叫びたいほどに、輝いていたから。
write 2024/7/5〜7 🎤誕 イベントにて展示