十二本のバラ
トリュフ、生チョコ、ガトーショコラ、浮つく人差し指が捲るのは手作りバレンタインレシピの電子書籍。
ガトーショコラやフォンダンショコラを焼いてお店みたいにホイップを添えて出すのもいいし、何種類かのトリュフを箱詰めするのも憧れるなあ、あ、カップケーキをバッグ風にラッピングするのも可愛いかも。去年はブラウニーを作ったのだけど、あれもすごく喜んでくれたなあ。
どれも美味しそうで、仕上げの参考例には可愛くラッピングまでされていて目移りしてしまう。材料やラッピング用品の準備はばっちりなのに全然決まらない。結婚して初めてのバレンタインで、ちょっと特別感を出したくて2月に入ってから何を作るか悩んでいたけれど……しおりのついたページで捲る指がぴたりと止まる。
ここは『初めて』に『初めて』を重ねてみようかな、直正さん気づいてくれるかな。
数年前、付き合って初めてのバレンタイン。
わたしの会社の近くのカフェで待ち合わせをしていた。
きっと女性署員さんたちからたくさんのチョコを貰うんだろうなあ、中には本命で本気なものも混じっていたりして、と彼の人望の厚さに一人妄想して、勝手に嫉妬して、この箱の中に入ったわたしの精一杯の気持ちが数あるうちのひとつになってしまうのがこわくて、逃げてしまいたくなっていた。
そんな心配をよそに、彼は肩からビジネスバッグを掛けて、片手にはホット用の紙コップを持ってやってきて爽やかに「やあ、待たせたね」なんて言って。ホッとしたけれど、もしかしたらバッグに入ってるのかもしれないし、もしかしたら署に置いてきたのかもしれないし、とまだそんなことを考える浮かない顔のわたしに、「ん?」と大きな背中を丸めて目線を合わせてくれる彼の優しさにきゅんとして唇がもごもごうにうにと暴れだす。
「何か難しいこと考えてるのかい?私は今日、きみに会えるのが楽しみでたまらなかったよ」
恥ずかしさなんか微塵も感じない誠実な瞳がこちらを見ている。そんな彼の目に映るとわたしも嘘をつけなくなってしまう。
「わたしも、楽しみにしてた。初めてのバレンタインだから。でも、直正さんたくさんチョコ貰うのかなあって思ったらもやもやしちゃって」
言葉にするとなんて幼稚な嫉妬なんだろう。
「はは、そんな心配か。その心配には及ばないよ」
彼はそう言うとからりと笑って、「きみからしか貰う予定がないからね、婚約者さん」と左の薬指をそっと撫でた。甘くて甘くて、触れられたところから溶けそうで、糖分過多になってしまったわたしはカフェモカを飲み終わるのに時間がかかってしまった。それでも彼は目が合うと微笑んで、急かすことなく待っていてくれて、手を繋いで帰った彼の家で、初めてを渡した。
「わあ、色んなこと思い出しちゃった」
思い出し照れに熱くなった頬をぱたぱた手で扇ぐ。
やっぱり同じものを作ろう。ドキドキそわそわしながらしおりをつけたあの日と同じページでスタンドに立てかけて、同じ気持ちで材料を準備する。
失敗しづらくて簡単で見栄えのするものを、とあの日選んだのが焼きチョコ。チョコを溶かして振るった粉と混ぜて、しぼり袋に入れたチョコをくるんとリース状に出せば、あとは焼くだけ。粗熱がとれたら溶かしたチョコをお洒落な感じにかけて、ドライフルーツのイチゴやピスタチオをバランスよく置けば、出来上がり。
「よしっ、可愛くできた!」
味見もしたけど、サクサクほろほろほんのりビターで、あの日より美味しくできた気がする。イチゴの酸味やピスタチオの食感もいいアクセントになってる。
ラッピングは窓付きの淡いくすみピンクの箱にトレーシングペーパーを巻いて。リボンがいいかな、シールがいいかな、と交互に数回箱に合わせてみる。うーん、チョコ色のリボンが可愛いかも。リボンにしよう。
ラッピングも完成して、あとは直正さんに渡すだけ。
夕飯も出来上がった頃に彼が帰ってきた。
「おかえりなさい!」
「ただいま、なんだか甘い匂いがするね」
靴を脱いで上がってきた直正さんが、帽子を脱ぎつつ目を閉じてすんすんと鼻を鳴らす。
「今日バレンタインでしょ?だからチョコ作ってたの」
「いや、ここから」
そう言うと彼はわたしの髪をひと束掬って、鼻に近づけた。口づけをしているようにも見えて、ぽぽぽと顔が熱くなった。お付き合いをするまで知らなかった彼の甘い仕草に、数年経った今でも胸はうるさいくらいに高鳴る。
「結婚して初めてのバレンタインだね、これは私から」
早く渡したくて我慢できなかった、玄関ですまない、と渡されたのは赤いバラのブーケ。花弁の重なりが上品で情熱的な濃い赤が、チョコレート色のワッフルペーパーに包まれている。プロポーズの時も赤いバラの花束を貰った。
バラのみがぎゅっと身を寄せた姿は、どこまでも真っ直ぐな彼のよう。
「わぁ、素敵。直正さん、ありがとう!」
「どういたしまして」
「わたしからのも受け取ってくれる?」
「もちろんだよ」
ネクタイをゆるめる彼が、柔く目を細め、今度はくちびるに口づけた。
「ん、チョコを、です」
「はは、楽しみだ」
お付き合いするまでは硬派で奥手なのかなと思っていた彼は、やっぱり硬派だったけれど、結婚前提で付き合ってくださいと告白をし、一生側にいてくださいとプロポーズをしてくれて、愛を伝えるのに言葉も態度も惜しまないひとだった。
胸に抱えるこのバラのように情熱的で深い愛でいっぱいの彼に、わたしもはやく彼への愛を込めたチョコを渡したくて手を引いて廊下を歩く。
きっと直正さんなら気づいてくれる。もう一度食べたかったんだ、なんて言ってあの日のことを二人で思い出して、甘い夜を過ごすのです。
だって、今日はバレンタインなのだから。
write 2024/2/14