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王ありて魔女ありき






 アラームの音が、部屋に鳴り響く。ベッドの中で、瑠々は男の腕に包まれたまま唸った。彼女は唸り続け、アラームも鳴り続ける。

 枕もとの端末へ、やっと手が伸びる。しかしそれは彼女ではなく、紅蓮だ。

 アラームが途切れ、空調のファンだけがごおんごおんと室内に響く。

「起きろよ、瑠々」

 彼が、瑠々の肩を揺する。

 アラームが消えたせいか、瑠々は唸るのをやめて、かわりに寝息を立て始めている。
 あまりに心地よさそうにしているものだから、一瞬、紅蓮は逡巡する。このまま寝かしてやりたい。いや。いや。うん。だめだろう。

 心を鬼にした彼は、瑠々の頬をつまんだ。
 少し強めに捻ってやると、ようやく彼女が目を開けた。
 虚ろな眼差しが、ゆっくりとさまよう。そのうち紅蓮の顔を見つけて、彼女はへにゃりと笑った。

「んんん……おはよ、ぐれん……むにゃむにゃ」

 話している合間に、彼女の瞼がまたおりる。

「寝んな。学校行け」
「やぁん……ぐれんとちゅっちゅする……」
「俺もちゅっちゅしてーよ。ほら起きろ。歯磨け。着替えろ」
「むにゃむにゃ」
「ったく…………」

 彼はだるそうにベッドから体を起こした。剥ぐようにブランケットを取り上げた。
 シーツの上に取り残された瑠々が、寒そうに体を丸める。小さくなった彼女を荷物同然に脇に抱え、ベッドからおりる。

「ほら、着ろ」

 瑠々をクロゼットの前まで連れてくる。
 しかし彼女は紅蓮の腕に引っかかったまま、手足をぶらぶらつかせて、寝息を立てていた。まるで物干し竿に干された布団である。

「寝てんなよ」
「むにゃ……」
「着せてやろーか?」
「ん……」
「オラ、立て」

 なんとか彼女を自分で立たせて、紅蓮はクロゼットから彼女のものを引っ張り出した。

「ほら、足上げろ」
「むにゃ……」
「逆」
「むにゃむにゃ……」
「バンザイ」
「んん……」

 紅蓮の指示に彼女は寝ながらもちゃんと従って、意外にも、難なく着替えが終わった。
 襟元のリボンを紅蓮が整えてやっていると、瑠々がやっと目を開ける。

「んあー……おはよーぐれんー……」
「さっき言った」
「あーそうだっけ……えへへ、ごはんは?」
「歯磨いてソファで待ってろ」
「はーい」

 やっと目が覚めたらしい瑠々は、無邪気に返事をして洗面台に走る。

 壁沿いに走るパイプがちょうど手の届く高さに通っていて、そこは棚替わりに使われていた。
 色違いのコップと歯ブラシがそれぞれ並んでいて、瑠々はピンクのコップから歯ブラシを抜き取る。蓋がどこかに行ってしまったチューブの歯磨き粉をつけて、彼女は手短に歯磨きを済ます。
 台所で紅蓮がなにかを作っているのを見て、顔を洗い終えた瑠々は、テレビをつけて待つことにした。

『今日は快晴! ただ、明日からはお天気が崩れそうなので、洗濯物は今日のうちに』
『セントラル動物園の人気者パンダのキッキーが、今日から』
『について警察は当初、ギャング同士の抗争であるとの見解を示していましたが、複数の被害者からの証言により、犯人は二十代前半頃の男一名と判明、』

 チャンネルをいくつか変えて、報道番組をざっと見る。彼女の手が止まったとき、テレビが映していたのは、工業地区の一角だった。コンクリートの建物のひとつを黄色のテープが封鎖し、警官の姿も見受けられた。

『刀のようなもので切りつけられたと一様に証言している他、犯行現場からは魔法の痕跡が発見されており、警察は王による犯行と認識を改め、引き続き捜査を』

「いちごジャムでいいか?」
「えっ? あ〜」

 彼の声に、瑠々は慌ててチャンネルを変えた。
 顔をあげると、皿を持ったままこちらを見下ろす彼と目が合う。

「うん、いちごっ」

 そう笑顔で答えれば、皿が目の前に置かれる。トーストには、すでにバターの塊といちごジャムがのせられていた。

「ブルーベリーがいいって言ったら、どうした?」

 瑠々は首を傾げて、彼に悪戯っぽく言った。

 彼が、短くため息をこぼす。乱暴な動作で隣にどすんと座ってくるので、瑠々の肩が跳ねた。

 アラームを止めさせたり、着替えさせたり、ご飯作らせたり、こき使われてるせいで怒っているのか。瑠々が不安げに見つめる先で、彼はトーストに手を伸ばす。耳をちぎるとそれでジャムを掬って、瑠々の口に押し付ける。冷たい目で見つめられ、瑠々は大人しく口を開けた。

 パンとジャムの比率がずれていて、舌が焼けるくらいの甘さに口が止まる。けれど彼に見つめられ続けて、瑠々は無心で口を動かす。

 すると、顔を覗き込むように、彼が顔を寄せてきた。
 細められた鋭い目が瑠々を見据えて、緩く弧を描いた唇からは低く落ち着いた声が紡がれる。

「いちごも好きだろ?」

 瑠々はごくりとパンを飲み込んで、真剣に答えた。

「しゅき」
「はは、ジャム瓶持ってきてやる」

 瑠々の肩を叩き、彼は冷蔵庫へ向かう。
 その背姿を見つめながら、瑠々はソファに倒れた。じたばたと足を暴れさせる。

 戻ってきた紅蓮に、けらけらと笑われた。

「なにやってんだよ」
「幸せが抑えられない」
「いちごジャムで幸せになれるんなら、安い幸せだなァ」
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