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王ありて魔女ありき

王ありて魔女ありき





 季節は初夏の頃。煉瓦を敷き詰めた赤茶の歩道には、並木の影が落ち、風が吹くたび影が揺れる。

 週末の午後ということもあって、人の往来はそれなりだ。腕を組むカップルや、子を真ん中にして歩く家族、それから、友人同士で買い物にきた私服の女子高生。

 鼻歌を歌いながら、跳ねるように道を進む少女。彼女が歩くと、その歳にしては豊満な胸が揺れ、風が吹けば、並木の葉と一緒に短い髪も揺れる。
 彼女の両腕には、様々な紙袋が引っ提げられていた。どれも、若者の間で有名なファッションブランドの袋だ。

 上機嫌な様子の彼女を追うように、さらにもう一人の少女がいる。髪を頭の上で結い上げた、長身の少女だ。彼女の手には、紙袋はひとつだけ。

「ちょっと、瑠々るる。まだ買うつもり?」

 彼女が呆れたように言うと、前でスキップしていた瑠々は満面の笑顔で振り返る。

「もっちろん! 今日はあとねえ、東通りの靴屋さんでしょ、フラワリータワーでシャツも見たいし、あっ、シャメルにも行っときたいな〜。それから」
「ストップストップ!」

 聞くに耐えないとばかりに、彼女は瑠々の言葉を遮った。

「なんであんたそんなにブランド志向なのよ。あんたの金銭事情どうなってんの? 財布から一万円札が何枚も出てくるし」
「出てくるものはしょうがないじゃん?」
「あんたねえ……」

 あっけらかんと答える瑠々に、彼女は不信感を通り越してやはり呆れてしまっていた。

 すると、瑠々は紙袋を腕に下げたまま、器用に鞄から財布を取り出す。黒革の折りたたみ財布は、女の子が持つには無骨で地味だ。ブランド物や可愛いものが好きな瑠々が持っているのは、さらに違和感マシマシである。

「うーん、さすがに現ナマはもうないっちゃ。次はこっちでがんすかね〜」

 などと言いながら、瑠々がクレジットカードを取り出す。

 と、そこでなにかに思い至ったのか。彼女がハッとしたように瑠々に詰め寄った。

「あんたが今持ってるそれ、まさか彼氏の財布盗ったの?」
「やだあ、亜美あみちゃん。私を泥棒扱いするなんて」

 うるうると目を潤ませて、声も震わせてみせる瑠々。
 けれどそんな瑠々の様子はおかまいなしに、亜美はさらに詰め寄る。

「バイトもしてないあんたがそんなにお金持ってるわけないでしょ。学生はクレカ持てないし。彼氏困るよ、もう使うのやめなよ」
「は? あんなクズ、路頭に迷えばええんや」

 一転、瑠々は般若のように顔を歪めた。先程までの愛らしい少女の面影はパタリと消え、声音も一段低くなる。

 彼女の本音に、亜美はやっぱりと呟きながら苦笑いした。

「なに、ケンカしたわけ?」
「ケンカじゃねえし。あのクソが私に舐め腐った態度とるから悪いんや。財布差し出すくらい当然の報いじゃけん」
「でも黙って盗ってきたらだめでしょ」
「あいつのもんは私のもん。私のもんは私のもん」
「なんであんたが彼氏に捨てられないか疑問だわ」
「あいつ私の体が目当てだからね、しょうがないね」
「……………………それ、ほんとに彼氏?」

 そのとき、彼女たちの足が止まる。

 歩道の先に、人だかりができていた。よく見ると、人だかりの奥には警察官の姿が見受けられ、パトカーも数台止まっている。サイレンこそ鳴っていないが、パトカーの赤い非常灯がギラギラ明滅していた。

「事件かしら」
「捩れた三角関係が起こした白昼の悲劇! 狂愛に駆られた愛人のナイフを受けた、男の運命や如何に!?」
「こら」

 ふざけた瑠々の頭を亜美が引っぱたく。たいして痛くもないだろうに、瑠々はさも痛そうに叩かれたところを撫でていた。

 人だかりのそばへ行くと、警察官の制止の声や、ガラスの割れる音、物々しい緊迫感に包まれる。

「宝石強盗だってさ」
「やだーこわーい」
「犯人、女ってまじか?」
「今たてこもってるって」

 なにが起きているのか訊くまでもなく、野次馬の声が現状を教えてくれた。

 瑠々は記憶を頼りに、人だかりの中心だろう店を思い出す。

「ジュエリーショップだっけ、ここ」

「この様子じゃ通れないわ。瑠々、別の道から迂回して行きましょ」
「私もジュエリーいっぱい欲しー」
「こら。バカ言ってないで行くわよ」

 亜美が呆れながら、瑠々の腕を掴む。

 そのときだ。

 人だかりの向こうが、爆発した。頭を殴りつけられるような爆音に次いで、煙があがる。建物から火の手があがっているのが見えた。
 さいわい大きな爆発ではなく、周りに集まる人々に被害はない。野次馬からは悲鳴があがり逃げる者もいれば、携帯端末を取り出して撮影を始める者もいた。

 亜美が瑠々の腕を強く引っ張った。

「瑠々、さすがにやばいって。離れよう!」
「えーもっと見たい」
「バカ!」

 少し人が捌けたおかげか、瑠々たちからも店の様子が見えた。ガラス張りの壁は砕け、店内から炎が沸き出している。

 その炎の中から、一人の警察官がふらつく足取りで駆け出てきた。外に待機していた他の警察官に支えられ、彼は咳き込みながらも叫んだ。

「……じょ……『魔女まじょ』だ……ッ。推定B+級以上の魔女と確認、至急、本部へ応援をッ、げほっ」

 その言葉をきき、他の警察官たちが慌ただしく動き始める。

「銃の使用を許可する! 民間人を下がらせろ!」
「危険ですから離れてください! 離れて!」

 そのとき、燃える建物から、さらに人が出てきた。ワンピース姿の女性だ。逃げ遅れた客だろうか。怪我をしている様子はなく、さいわい火傷も負っていない。

 だが、その女性に、警察官たちは銃を向けた。

「動けば発砲する! 手に持っているものを捨てて、両手をあげて、地に伏せなさい!」

 女性の手には、宝石が握られていた。彼女の細い指の間から、小さな石がぽろぽろと落ちる。
 彼女の表情は虚ろだった。自分へ銃口を向ける警官たちをぼんやりとした様子で眺めている。

「聞こえていないわけじゃあるまい!? 早く地面に……う、うああああああ!!??」

 警官の声が、悲鳴に変わる。彼の足下から火があがり、瞬く間に彼は火に包まれてしまった。そばにいた他の警官が駆け寄り、地面でのたうつ彼の火を消そうと上着で叩く。

「む、むりだ、魔女なんかに敵うわけないっ」

 警官の恐怖に震えた声を聞き、亜美は瑠々に言った。

「瑠々、本当にまずいよ! ここにいたら危険だって」
「えー。でも魔女もっと見たくない?」
「バッカッ! あんた分かってるの!? 早く逃げなきゃ私たちだって」

 先を言おうとした彼女の肩を、何者かが叩く。亜美の言葉が止まったので、瑠々も彼女を見た。

 そこにいたのはスーツの男だった。いや、女だろうか。艶やかな黒髪を腰まで垂らしており、顔立ちにも女性的な端麗さがあるから、一瞬、性別がわからなくなる。けれど次に彼の口から発せられた声が想像以上に低いもので、ようやく男だとわかった。

「魔女は、残虐な生き物だ」

 男は亜美を見て、次に瑠々を見た。長いまつ毛に縁取られた切れ長の目は、冷たい印象を与える。なんの感情も浮かばないその瞳が、やがて燃える建物へ移った。

「魔女は、自己の欲求を満たすためなら手段を選ばない。奪うことも殺すことも、躊躇いなく行う。そして、人は、あれに抗えない。魔法という未知の力に、我々人は為す術もない」

 男はそう言って、瑠々たちの横を通り過ぎ、燃え盛る建物へ――――女性のほうへと歩いていく。

「ち、ちょっと、危ないですよ!」

 亜美が慌てて彼を止めようとするも、男は軽く手を振った。

「見ていなさい、魔女の成れの果てを」

 警官が一人犠牲になったことで、もはや野次馬たちもほとんどが逃げ出していた。蜘蛛の子のようにちりぢりになっていく人だかりの中を逆行して、男は女性のほうへと進んでいく。

 すると、魔女が男を見た。

 警察官たちも、近づいてきた男に気がつく。

「何をしているんだ!? 早く離れなさい!」
「動ける者は民間人の保護を。魔女の始末はこちらへ一任してもらおう」
「はあ!? 何を言って…………うわっ!」

 警察官の目の前で、炎が弾ける。

「ふふふ」

 警察官たちも男も、その笑い声の主を見た。
 燃える建物の前で、魔女が笑っていた。こんな場所では不釣り合いなほど、明るく無邪気な笑い声だった。まるで友人たちと冗談を言い合って笑うような、そんな雰囲気だ。

 魔女は男を見て、いっそう笑みを深くする。

「あなた、いい男ね。ねえ、私と付き合わない? ほら、私、独り身だから、わざわざこんな泥棒みたいなことしないと――――」

 魔女は言いながら、手に握りこんだたくさんの宝石を口元へ持っていく。彼女はそのまま、宝石を口へ放り込んだ。ガリガリと音を立てながら、咀嚼し、そして、飲み込む。
 その瞬間、彼女が足下から燃え上がった。しかし彼女は火の中で苦しむ様子もなく、まるで何事も起きていないように、涼しい顔で笑う。

「魔力を補えなくって。ねえ? いいでしょう? 魔女の魔法も、私のことも、あなたの思うまま。悪くない話でしょう」

 魔女が、男へと手を伸ばす。

「さあ、私の手を取って? 私とあなたの魔法で、こんな世の中、燃やしちゃいましょう」

 魔女の甘言に、男がゆっくりと左腕をあげる。
 魔女の笑みが深くなると同時に、警察官が男へ銃を向けた。

「動くな! 動けばお前も魔女の仲間と見なし……っ」
「やめろ、銃を下ろせ!」

 同僚の警察官がそれを制止する。

「なぜですか! 魔女があの男と契約を交わしたら、もう我々では……!」

「彼は敵ではない!」

 警察官の叫びと同時に、魔女の笑みが消えた。

「え?」

 警察官の声により気づいたのではない。魔女は、男が差し出した左手を見て、気がついたのだ。
 彼の薬指に、指輪の刻印が刻まれていることに。

 男は人差し指で、真っ直ぐ、魔女を指さしていた。

「“芽吹け”」

 その瞬間、魔女の足下の煉瓦が砕けた。煉瓦の裂け目から、黒い芽が吹き出す。芽は蔦となり魔女の体に巻き付くと、瞬く間に蔦は幹となり、枝分かれし、葉をつけ、一本の大樹となった。
 魔女は大樹に腹から下を飲み込まれ、腕も蔦によって雁字搦めに拘束されている。蔦を引きちぎろうともがきながら、魔女は先程までの笑顔などなかったように、恐ろしい顔で男を睨めつけた。

「くそがッ…………オマエェ……『おう』か……!」
「バラ科の植物ナナカマド。名前の由来は、七度かまどにくべても燃えないことから来ている。ふむ、確かに燃えんな」
「こんなものッ」

 魔女が叫ぶも、火花が散るばかりで大樹は燃えない。

「そんなに力んでいいのか。せっかく補充した魔力が無駄になるぞ」
「ああッ!? そんなに燃やされたいなら、オマエから先に焼いてやる!」

 魔女の周りで火花が散る。
 次の瞬間、男の目鼻の先で、赤い火花が散った。男の体が燃え上がり、炎に飲まれるまで、一秒とかからなかった。

 為す術もなく男が火に巻かれた姿に、魔女は高笑いをする。

「アハハハハッ! 燃えた燃えた! あーあ、呆気ないのね。ふふ、この木もとっとと燃やしてやるわ……」

「“却下リジェクト”」

 男の低い声が響き渡る。その声を合図に炎が弾けた。
 焼かれていたはずの男は、火傷はおろか、服の裾すら焦げていなかった。

 魔女が目を見開く。

「弾かれた……? 私の炎が?」
「これ以上時間を割きたくない。終わりだ」

 男が再び左手をあげる。すると、魔女を戒める大樹からさらに黒い蔦がのび、魔女の上体に絡みつく。

「痛ッ……茨……?!」

 蔦の棘が魔女の肌を裂き、首を絞める。

「そうか、オマエが『茨の王いばらのおう』! よくもこの私を騙しやがって……クソッ、クソッ、クソッ!」
「姦しい」

 それを合図に、蔦が魔女の首を勢いよく絞めた。魔女は言葉にならない声を漏らし、糸が切れたようにぐったりと頭を垂れた。



黒峰くろみね警視」

 そう呼びながら、男へ駆け寄る者がいた。それは、男に銃を向けた警官を制止した、年輩の警察官だ。
 彼は黒峰と呼んだ男に敬礼をとる。

「魔女の鎮圧、ご協力感謝致します。この度は、部下が失礼を」
「気にしていない」
「恐縮です。貴方のことは噂で伺っておりましたが……」

 警察官は大樹を見上げ、ため息をつく。

「これが警視の魔法ですか。魔女も形無しとは、凄まじい力ですな」
「魔女との契約で手に入れた、忌々しい力だ」

 黒峰は言いながら、左手薬指の刻印を撫でる。

「魔法などという非科学的なもの、この世にはあってはならない。しかしこれがなければ、魔女どもに抗えぬ。己が身が恨めしい」

 今まで感情がこもった声を発さなかった彼が、そのときだけ、声をわずかに震わせた。右手の爪が、左手の甲に食い込んでいる。

「警視……?」

「魔女は茨の毒で眠っているだけだ。三時間もすれば目を覚ます。一刻も早く、本部の魔女狩り隊に引き渡せ」
「はっ…………あの、警視は?」
「今日は非番だ」

 黒峰はそう言って、踵を返す。

 まだチラホラ残っていた野次馬たちの視線を受けながら、彼はその中に人を探す。

 やがて、彼の目が、一人の青年を捉えた。
 スーツの黒峰とは違い、ジャケットとチェック柄のシャツの、私服の青年。歳は大学生ほどだろうか。明るい茶に染められた髪は襟首で切りそろえられ、彼が動くとサラサラと揺れる。
 彼は、ビニール袋にいれた植木鉢を抱えていた。縛った袋の口から、植物の蕾が顔を出している。

嶺二れいじ様」

 まだ幼さを残す彼は、弱々しい声で黒峰の下の名を呼んだ。
 そんな彼を、黒峰は鋭い目付きで見つめる。

「あっ、あの、どの子にするか迷ってて…………遅くなりました……」
「愚図め」
「ひっ……ごめんなさい……」

 黒峰の視線から逃れるように、彼は俯く。声は、今にも泣きだしそうに震えていた。

 怯える青年を鬱陶しそうにしながら、黒峰は人々の中に視線を巡らせる。しかし、彼の探す者はすでにいなかった。
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