【web再録】こんにちはで離別
「それでは、第一二九回家族会議を締める前に――」
円満な家庭の秘訣、それは言いたいことをはっきり言うこと。そして、決まりごとや約束を明確に共有すること。認識や感覚の些細な摩擦などというくだらない理由で婚姻や番の契りを易々と解消してしまう者が増えつつある昨今、優しい嘘を使い分けるより、むしろ本心を下手に隠さない付き合い方もときには必要になってくるのだ。
――とまぁ、長々と語ってみた訳だが、要するにこの家族会議なるものはそういう目的で行われる。一見問題が無さそうに見える俺たちも、かつては主に俺が本心をはっきり言わないせいで何度もすれ違ってきた。
「今月も頑張るために、改めて目標を確認するぞ」
番として一蓮托生で生きていく以上、そういうのはもう終わりにしよう――これは俺が同居の申し出をしたとき、彼が提示してきた条件だ。その日、彼はとあるオメガの女子大生を庇って強姦事件に遭い、俺もそれに伴う様々な思いから番を一方的に解消しようとしていた。お互い、二度とあんなことを繰り返さないよう、同居を始めてから月に一度、こうして話し合う機会を設けることにしている。
「はい、それじゃあ議事録読み上げて」
「ぎじろく?」
「先月教えただろ? さっきまで何のお話してたか、書いてくれたよな? それを読むの」
「わかった~」
ちなみに、五年前に増えた小さくて騒がしい家族も、今年から書記係として加わっている。最近お絵描きや字の練習にハマっているらしく、こういったメモ書き程度のお手伝いは喜んでしてくれるので大変良い傾向だ。普段はドッジボールかお遊戯をしていないと死ぬのかと思うほどのじゃじゃ馬が、これだけで安眠妨害をやめるのならば文房具屋に通う手間も惜しくない。
「んっとぉ、わたしのもくひょうは、こんげつのおゆうぎかいでフラフープを100かいまわすことです!」
「おう、明日から練習しような~♪」
「がんばったごほうびは、りつにぃのシュークリームです!」
「そんなこと約束していません」
「しました!」
「だって書いてないじゃん」
「かきわすれただけです!」
「……はぁ、めんどくさいからそれでいいよもう」
世話焼きと子供好きが高じてすっかり親馬鹿になったま~くんはともかく、何だかんだ俺もこいつに甘いと思う。本人を含めて世間の大半に隠してはいるものの、このちびっこは俺と、そして俺が生涯を捧げることを誓った相手との血を混ぜて作った生き物だ。せめて社会規範通りに愛情を向けてやることで、十月十日を経て腹を痛めてくれたま~くんへの恩返しにもなるだろう――生意気に育ち始めた頃は自分にそう言い聞かせながら接していたはずなのに、ふとその義務感のような意識が緩むことがある。誰かさんではないけれど、子供とは不思議な魔力を秘めた存在であると認めざるを得ない。
「つぎは、りつにぃのもくひょう。ねぼうしない、ま~にぃをおこらせない、いずみくんがむかえにこなくてもおきる、わたしのおやつをかってにたべない、くつしたをうらがえさない、おふろでねない……」
「多すぎだろ」
「達成出来なかった目標は来月に持ち越しってルールだからねぇ」
「そのルールを守るくらいなら目標そのものに手をつけなさい」
「ごほうびは、わたしとま~にぃでぎゅってする!」
「報酬がしょぼいんだよねぇ。もっと何か無いの? ま~くんを好きなだけ甘やかす権利とか、一晩中ま~くんに何をしても許される権利とか」
「『家族』会議に持ち出せない内容はNGです」
「ケチ」
ま~くんの言う『家族』に含まれる意味も、ここ数年で少しずつ変わっている。もう盆と正月でも『見てくれる』だけのパパとママ、たまにライブやイベントに来てくれるらしい妹。彼らとの縁がさっぱり切れてしまった訳ではないけれど、教育方針やたくさんの隠し事のせいでどうしても疎遠になってしまっていることは否めないようで。既成事実も作って、ようやくま~くんを自分のもとに繋ぎ止めることが叶った今、俺は結構その響きが気に入っていた。
俺と、ま~くんと、もう一人のマイシュガー。これで世界が完結することまでは望まないけれど、この空気をもう少しだけ肺に巡らせたい。お日様、お月様。そう願うのは罪ですか?
「りつにぃ、わがままは『めっ』だよ」
「はいはい、分かってますよ~。負債は少しずつ返します~……」
「しっかりしてくれよ、本当に。いい歳こいて五歳児に説教されてるようじゃ――」
「……ま~くん?」
「…………んぶっ!」
言い終わらないうちに口元を押さえたかと思うと、ま~くんはそこから声とも呼べない妙な音を発して立ち上がる。勢いよくドアを開け放ち、走り去った方角。そこには、一つだけ設備が存在していた。
「あ~……デジャヴ、ってやつ?」
「りつにぃ。ま~にぃどうしたの?」
「ちょっと具合が悪いんだと思う。ま~くんの分の確認は明日、ま~くんが元気そうだったらやろうねぇ」
* * *
「……これはまた、ド派手にやってくれたねぇ……?」
トイレのドアを開けると、そこはちょっとした地獄絵図だった。
口を『お』の形に尖らせて、便器に手をつくま~くんの服。蹲っているその足元のマット。薄黄色に濁った吐瀉物でベタベタに汚れたそれらのせいで、激しい流水音が響く小部屋の中には酷く鼻につく悪臭が充満している。あと一歩のところまで制御が効かなかったのだろう。彼の年齢の割に愛嬌の抜けない顔までも、涙や鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「わ、悪ぃ……なんか、急に……」
「大丈夫、落ち着いて。多分、謝らなきゃいけないのは俺の方だしねぇ……?」
見覚えのある光景だった。しかも、負の感情が勝る思い出がつきまとっているから、出来ればあまり見たくなかったもの。
『意味、分かんないんだけど……! 何なの、これ! ま~くん、生きてるなら説明してよ! ねぇ! ねぇってば!!』
あの路地裏で見た姿の方がよほど凄惨たるものだったけれど、これも相当だ。番と正式に交わろうと、その他大勢に犯されようと、末路が変わらないというのはあまりに理不尽な話ではあるまいか。
「とにかく、片付けないとな……」
「いいよ、やっとく。ま~くんも着替えたら早く寝て。でも……その前に、質問いい?」
「チビは?」
「もう寝てる」
「……どうぞ」
「最後に発情したときの記憶ある?」
「……」
ま~くんもこの手の話題だと察した上でその質問をしたのだろう。汚れた服を慎重に脱ぎながら、ゆっくり途切れ途切れに語り出す。
「……ちょうど、上の人と飲みに行った後で」
「うん」
「帰ったら、凛月がいて」
「うん」
「でも、自分で飲みたがった以上に上のおっさんたちに注がれたり……高いお酒で引き止められたりして、かなりべろべろ、だったんだよな」
「大変だったねぇ」
「いつもは『近く』なったら帰ってすぐに薬飲んでるけど、酔ってたせいで間に合わなくて……」
落ち着きを取り戻したま~くんの顔がみるみる紅潮していく。面白いのでこのまま見ていても構わないのだが、質問しておいて半端なところで話を終わらせるのも失礼だろう。
「言いたくないなら飛ばして良いから。それで?」
「凛月と……っていうか、むしろほとんど俺から迫る形で、その……」
「うん。もう一つ質問」
「……はい」
「それ、本当にま~くんの記憶? 今日まで、ちゃんと自分で覚えていたこと?」
汚れた服を全て脱ぎ終えた下着姿のま~くんを更に質問責めしていると、変にマニアックな羞恥プレイを強いているように見えて非常にいたたまれない。しかし、俺にもプライドはある。事実関係と責任の所在は明らかにしておかねばならない。
「えっと、ですね……」
「うん」
「飲みから帰った後の記憶がいまいち……だから翌朝、全て凛月に聞いて……」
「ねぇ、ま~くん」
「はい……」
「俺、大概ま~くんも人のこと言えないと思うんだけど……」
* * *
「りつにぃ! ま~にぃ! ぎじろく? ふえてる!」
「あ~……それね、あんたが寝た後、俺とま~くんの間で『約束』したの」
「ねぇ、ま~にぃ、『のんでものまれない』……? なに、これ」
「あ~! 何だろうな~? 凛月が決めたことだから俺にはさっぱりだな~!」
「りつにぃ、そうなの?」
「簡単に言うとねぇ、『嫌なことは嫌ってちゃんと言わなきゃだめだよ』ってこと。ま~くん、誰の言うことでも聞いちゃうから、良くないよって」
「そっか~」
家族会議ならぬ、番会議。
今夜の議題は、『世間及び身内に何と公表するか』『しばらく身を隠す場所』『一人目のチビにはどう説明するか』の三本立てでお送りします。
【終】
円満な家庭の秘訣、それは言いたいことをはっきり言うこと。そして、決まりごとや約束を明確に共有すること。認識や感覚の些細な摩擦などというくだらない理由で婚姻や番の契りを易々と解消してしまう者が増えつつある昨今、優しい嘘を使い分けるより、むしろ本心を下手に隠さない付き合い方もときには必要になってくるのだ。
――とまぁ、長々と語ってみた訳だが、要するにこの家族会議なるものはそういう目的で行われる。一見問題が無さそうに見える俺たちも、かつては主に俺が本心をはっきり言わないせいで何度もすれ違ってきた。
「今月も頑張るために、改めて目標を確認するぞ」
番として一蓮托生で生きていく以上、そういうのはもう終わりにしよう――これは俺が同居の申し出をしたとき、彼が提示してきた条件だ。その日、彼はとあるオメガの女子大生を庇って強姦事件に遭い、俺もそれに伴う様々な思いから番を一方的に解消しようとしていた。お互い、二度とあんなことを繰り返さないよう、同居を始めてから月に一度、こうして話し合う機会を設けることにしている。
「はい、それじゃあ議事録読み上げて」
「ぎじろく?」
「先月教えただろ? さっきまで何のお話してたか、書いてくれたよな? それを読むの」
「わかった~」
ちなみに、五年前に増えた小さくて騒がしい家族も、今年から書記係として加わっている。最近お絵描きや字の練習にハマっているらしく、こういったメモ書き程度のお手伝いは喜んでしてくれるので大変良い傾向だ。普段はドッジボールかお遊戯をしていないと死ぬのかと思うほどのじゃじゃ馬が、これだけで安眠妨害をやめるのならば文房具屋に通う手間も惜しくない。
「んっとぉ、わたしのもくひょうは、こんげつのおゆうぎかいでフラフープを100かいまわすことです!」
「おう、明日から練習しような~♪」
「がんばったごほうびは、りつにぃのシュークリームです!」
「そんなこと約束していません」
「しました!」
「だって書いてないじゃん」
「かきわすれただけです!」
「……はぁ、めんどくさいからそれでいいよもう」
世話焼きと子供好きが高じてすっかり親馬鹿になったま~くんはともかく、何だかんだ俺もこいつに甘いと思う。本人を含めて世間の大半に隠してはいるものの、このちびっこは俺と、そして俺が生涯を捧げることを誓った相手との血を混ぜて作った生き物だ。せめて社会規範通りに愛情を向けてやることで、十月十日を経て腹を痛めてくれたま~くんへの恩返しにもなるだろう――生意気に育ち始めた頃は自分にそう言い聞かせながら接していたはずなのに、ふとその義務感のような意識が緩むことがある。誰かさんではないけれど、子供とは不思議な魔力を秘めた存在であると認めざるを得ない。
「つぎは、りつにぃのもくひょう。ねぼうしない、ま~にぃをおこらせない、いずみくんがむかえにこなくてもおきる、わたしのおやつをかってにたべない、くつしたをうらがえさない、おふろでねない……」
「多すぎだろ」
「達成出来なかった目標は来月に持ち越しってルールだからねぇ」
「そのルールを守るくらいなら目標そのものに手をつけなさい」
「ごほうびは、わたしとま~にぃでぎゅってする!」
「報酬がしょぼいんだよねぇ。もっと何か無いの? ま~くんを好きなだけ甘やかす権利とか、一晩中ま~くんに何をしても許される権利とか」
「『家族』会議に持ち出せない内容はNGです」
「ケチ」
ま~くんの言う『家族』に含まれる意味も、ここ数年で少しずつ変わっている。もう盆と正月でも『見てくれる』だけのパパとママ、たまにライブやイベントに来てくれるらしい妹。彼らとの縁がさっぱり切れてしまった訳ではないけれど、教育方針やたくさんの隠し事のせいでどうしても疎遠になってしまっていることは否めないようで。既成事実も作って、ようやくま~くんを自分のもとに繋ぎ止めることが叶った今、俺は結構その響きが気に入っていた。
俺と、ま~くんと、もう一人のマイシュガー。これで世界が完結することまでは望まないけれど、この空気をもう少しだけ肺に巡らせたい。お日様、お月様。そう願うのは罪ですか?
「りつにぃ、わがままは『めっ』だよ」
「はいはい、分かってますよ~。負債は少しずつ返します~……」
「しっかりしてくれよ、本当に。いい歳こいて五歳児に説教されてるようじゃ――」
「……ま~くん?」
「…………んぶっ!」
言い終わらないうちに口元を押さえたかと思うと、ま~くんはそこから声とも呼べない妙な音を発して立ち上がる。勢いよくドアを開け放ち、走り去った方角。そこには、一つだけ設備が存在していた。
「あ~……デジャヴ、ってやつ?」
「りつにぃ。ま~にぃどうしたの?」
「ちょっと具合が悪いんだと思う。ま~くんの分の確認は明日、ま~くんが元気そうだったらやろうねぇ」
* * *
「……これはまた、ド派手にやってくれたねぇ……?」
トイレのドアを開けると、そこはちょっとした地獄絵図だった。
口を『お』の形に尖らせて、便器に手をつくま~くんの服。蹲っているその足元のマット。薄黄色に濁った吐瀉物でベタベタに汚れたそれらのせいで、激しい流水音が響く小部屋の中には酷く鼻につく悪臭が充満している。あと一歩のところまで制御が効かなかったのだろう。彼の年齢の割に愛嬌の抜けない顔までも、涙や鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「わ、悪ぃ……なんか、急に……」
「大丈夫、落ち着いて。多分、謝らなきゃいけないのは俺の方だしねぇ……?」
見覚えのある光景だった。しかも、負の感情が勝る思い出がつきまとっているから、出来ればあまり見たくなかったもの。
『意味、分かんないんだけど……! 何なの、これ! ま~くん、生きてるなら説明してよ! ねぇ! ねぇってば!!』
あの路地裏で見た姿の方がよほど凄惨たるものだったけれど、これも相当だ。番と正式に交わろうと、その他大勢に犯されようと、末路が変わらないというのはあまりに理不尽な話ではあるまいか。
「とにかく、片付けないとな……」
「いいよ、やっとく。ま~くんも着替えたら早く寝て。でも……その前に、質問いい?」
「チビは?」
「もう寝てる」
「……どうぞ」
「最後に発情したときの記憶ある?」
「……」
ま~くんもこの手の話題だと察した上でその質問をしたのだろう。汚れた服を慎重に脱ぎながら、ゆっくり途切れ途切れに語り出す。
「……ちょうど、上の人と飲みに行った後で」
「うん」
「帰ったら、凛月がいて」
「うん」
「でも、自分で飲みたがった以上に上のおっさんたちに注がれたり……高いお酒で引き止められたりして、かなりべろべろ、だったんだよな」
「大変だったねぇ」
「いつもは『近く』なったら帰ってすぐに薬飲んでるけど、酔ってたせいで間に合わなくて……」
落ち着きを取り戻したま~くんの顔がみるみる紅潮していく。面白いのでこのまま見ていても構わないのだが、質問しておいて半端なところで話を終わらせるのも失礼だろう。
「言いたくないなら飛ばして良いから。それで?」
「凛月と……っていうか、むしろほとんど俺から迫る形で、その……」
「うん。もう一つ質問」
「……はい」
「それ、本当にま~くんの記憶? 今日まで、ちゃんと自分で覚えていたこと?」
汚れた服を全て脱ぎ終えた下着姿のま~くんを更に質問責めしていると、変にマニアックな羞恥プレイを強いているように見えて非常にいたたまれない。しかし、俺にもプライドはある。事実関係と責任の所在は明らかにしておかねばならない。
「えっと、ですね……」
「うん」
「飲みから帰った後の記憶がいまいち……だから翌朝、全て凛月に聞いて……」
「ねぇ、ま~くん」
「はい……」
「俺、大概ま~くんも人のこと言えないと思うんだけど……」
* * *
「りつにぃ! ま~にぃ! ぎじろく? ふえてる!」
「あ~……それね、あんたが寝た後、俺とま~くんの間で『約束』したの」
「ねぇ、ま~にぃ、『のんでものまれない』……? なに、これ」
「あ~! 何だろうな~? 凛月が決めたことだから俺にはさっぱりだな~!」
「りつにぃ、そうなの?」
「簡単に言うとねぇ、『嫌なことは嫌ってちゃんと言わなきゃだめだよ』ってこと。ま~くん、誰の言うことでも聞いちゃうから、良くないよって」
「そっか~」
家族会議ならぬ、番会議。
今夜の議題は、『世間及び身内に何と公表するか』『しばらく身を隠す場所』『一人目のチビにはどう説明するか』の三本立てでお送りします。
【終】