りつまおワンライアーカイブ
「美術……ってさぁ、何のためにあるんだろうね」
「…………」
芯の柔らかい鉛筆をスケッチブックに擦りつけて、思い描いたひとつの形を作る――ただそれだけのことが、どうしてこんなに難しいのだろう。そう思ったことは、この短い人生で一度や二度ではなく。ケーキやアクセサリーを作るときのように繊細な指先の動きが、左手に握った六角形の棒には上手く伝わらないもどかしさに顔を顰めながら、作業を始める前より明らかに丸くなった消しゴムでそれを少しだけ削った。
「芸術ってのは本来もっと自由で、救われてなくちゃいけないのにさ。時間内に完成しなかったから居残りなんておかしいと思うんだけど」
「…………」
「ま〜くん、聞いてる?」
「………………」
「ねぇ、俺はメデューサじゃなくて吸血鬼なんだけど。口があるならお返事できるでしょ?」
「………………」
いや、やはりこれ以上は何も訊くまい。その目は確かにこう訴えていた。『モデルが喋っちゃ駄目だろ』と。
「うんうん。俺とま〜くんは以心伝心、魂で繋がってる家族だもんねぇ……♪」
骨組みだけが残った木箱みたいな美術室の椅子に腰掛け、こちらを見たまま微動だにしないモデル役は、表情こそほとんど変わらないものの、目に少し不満の色が滲んでいた。
『何だよいきなり……第一、居残りさせられてるのもお前が授業中ずっと寝てたからだろ。そのせいで俺のデッサンも終わってないんだから、無駄口叩かずにさっさと終わらせてくれよ』
と、およそこんなところだろうか。分かりやすくて大変よろしい。モデルの仕事を全うしながら、こうして俺とのコミュニケーションも可能にしてくれるのだから。
とはいえ、あまりからかいすぎても本当に動かれてしまいそうなので、スケッチブックに視線を戻す。白い画用紙に写る見慣れた顔は、口を真一文字に結び、目の焦点も合っていない。まるで別人のようなそれと、目の前の本物を見比べながら、描いては消して、削っては足して。
「安心して。人物画はそこまで得意じゃないけど、ま〜くんなら誰よりもかっこよく描ける自信があるから」
「……」
「あっ、それとも可愛く描いてほしい?」
「…………っ!」
「はいはい、動かない。半分冗談だから。俺が見たまま、俺の思うま~くんに忠実なデッサンをしてあげるねぇ」
見慣れたけれど、見飽きることはない。デッサンのモデルなんかやっていなければ、普段はパラパラ漫画のように表情を変える幼馴染の素顔を見透かすように、鼻先から毛先の一本に至るまで満遍なく眼光を浴びせる。
「眉はもっと上……目尻はこの位置に来て……」
「…………」
「確かここらへんにほくろがあって……いつもここの髪の癖が直ってなくて……?」
「……!」
「……ま~くん、俺真面目にやってるんだけど」
「…………」
『ごめん』と目で訴えて、数ミリ移動したパーツは元の位置に戻る。その後も、俺の独り言にいちいち反応するま~くんに何度も注意しながら、どうにか完成させる頃には外の景色が真っ暗になっていた。
「うわっ、今何時……!?」
「ん~、18時前だねぇ。お互い、レッスンが終わるにはまだかなり早い時間だけど」
「なるほど、釣瓶落としってやつだな。とにかく、俺の方も早く終わらせるよ。ほら、座れ」
「うぅ~、意思に反してじっとしてるの嫌いなのに~……ま~くん、寝顔じゃだめ?」
「授業中にそれやろうとしたけど却下されました」
しぶしぶ箱椅子に座り直して、鉛筆を握っていたときよりも綺麗に姿勢を正す。スケッチブックを立てたイーゼル越しに、今度はモデル視点でその目を見ると、固定の重圧から解放された瞼は細かな開閉を幾度となく繰り返していた。見開いて、細めて。眉の位置も定まらず、口は休むことなく独り言をぶつぶつ漏らす。
『うん、やっぱりま~くんにはそっちがお似合いだねぇ』
モデルとして石化された目にその感情を乗せると、『何だよいきなり……』の目が再び返る。ただし、眉を顰めて、口を動かして。首も傾げたその表情は、スケッチブックの中に描いたそれとは似ても似つかなくて、呪いを断ち切り、思わず吹き出した。
「…………」
芯の柔らかい鉛筆をスケッチブックに擦りつけて、思い描いたひとつの形を作る――ただそれだけのことが、どうしてこんなに難しいのだろう。そう思ったことは、この短い人生で一度や二度ではなく。ケーキやアクセサリーを作るときのように繊細な指先の動きが、左手に握った六角形の棒には上手く伝わらないもどかしさに顔を顰めながら、作業を始める前より明らかに丸くなった消しゴムでそれを少しだけ削った。
「芸術ってのは本来もっと自由で、救われてなくちゃいけないのにさ。時間内に完成しなかったから居残りなんておかしいと思うんだけど」
「…………」
「ま〜くん、聞いてる?」
「………………」
「ねぇ、俺はメデューサじゃなくて吸血鬼なんだけど。口があるならお返事できるでしょ?」
「………………」
いや、やはりこれ以上は何も訊くまい。その目は確かにこう訴えていた。『モデルが喋っちゃ駄目だろ』と。
「うんうん。俺とま〜くんは以心伝心、魂で繋がってる家族だもんねぇ……♪」
骨組みだけが残った木箱みたいな美術室の椅子に腰掛け、こちらを見たまま微動だにしないモデル役は、表情こそほとんど変わらないものの、目に少し不満の色が滲んでいた。
『何だよいきなり……第一、居残りさせられてるのもお前が授業中ずっと寝てたからだろ。そのせいで俺のデッサンも終わってないんだから、無駄口叩かずにさっさと終わらせてくれよ』
と、およそこんなところだろうか。分かりやすくて大変よろしい。モデルの仕事を全うしながら、こうして俺とのコミュニケーションも可能にしてくれるのだから。
とはいえ、あまりからかいすぎても本当に動かれてしまいそうなので、スケッチブックに視線を戻す。白い画用紙に写る見慣れた顔は、口を真一文字に結び、目の焦点も合っていない。まるで別人のようなそれと、目の前の本物を見比べながら、描いては消して、削っては足して。
「安心して。人物画はそこまで得意じゃないけど、ま〜くんなら誰よりもかっこよく描ける自信があるから」
「……」
「あっ、それとも可愛く描いてほしい?」
「…………っ!」
「はいはい、動かない。半分冗談だから。俺が見たまま、俺の思うま~くんに忠実なデッサンをしてあげるねぇ」
見慣れたけれど、見飽きることはない。デッサンのモデルなんかやっていなければ、普段はパラパラ漫画のように表情を変える幼馴染の素顔を見透かすように、鼻先から毛先の一本に至るまで満遍なく眼光を浴びせる。
「眉はもっと上……目尻はこの位置に来て……」
「…………」
「確かここらへんにほくろがあって……いつもここの髪の癖が直ってなくて……?」
「……!」
「……ま~くん、俺真面目にやってるんだけど」
「…………」
『ごめん』と目で訴えて、数ミリ移動したパーツは元の位置に戻る。その後も、俺の独り言にいちいち反応するま~くんに何度も注意しながら、どうにか完成させる頃には外の景色が真っ暗になっていた。
「うわっ、今何時……!?」
「ん~、18時前だねぇ。お互い、レッスンが終わるにはまだかなり早い時間だけど」
「なるほど、釣瓶落としってやつだな。とにかく、俺の方も早く終わらせるよ。ほら、座れ」
「うぅ~、意思に反してじっとしてるの嫌いなのに~……ま~くん、寝顔じゃだめ?」
「授業中にそれやろうとしたけど却下されました」
しぶしぶ箱椅子に座り直して、鉛筆を握っていたときよりも綺麗に姿勢を正す。スケッチブックを立てたイーゼル越しに、今度はモデル視点でその目を見ると、固定の重圧から解放された瞼は細かな開閉を幾度となく繰り返していた。見開いて、細めて。眉の位置も定まらず、口は休むことなく独り言をぶつぶつ漏らす。
『うん、やっぱりま~くんにはそっちがお似合いだねぇ』
モデルとして石化された目にその感情を乗せると、『何だよいきなり……』の目が再び返る。ただし、眉を顰めて、口を動かして。首も傾げたその表情は、スケッチブックの中に描いたそれとは似ても似つかなくて、呪いを断ち切り、思わず吹き出した。