りつまおワンライアーカイブ

「ありがとうございました~♪」
 カラン、コロン。
 店内に残っていた最後のお客様を見送って、肺に溜まった空気を一気に吐き出す。昼間の賑わいが嘘のように静寂に支配されたホールに、間の抜けた呼吸音だけが緩やかに響き渡った。
 ガチャッ。
「ま~くん、そっちも終わった?」
「おう、たった今ちょうど。どうした~? いつもより随分早いけど、掃除手伝ってくれるのか?」
「専門外だから却下~。俺は小賢しい計算担当キャラなので、肉体労働には向かないの」
「ただの収益計算だろ、大袈裟な……。まだレジ閉めてないから、早く来た分くらいは諸々の作業やっといてくれ」
「おっけ~。こうして今日も俺は、ま~くんの幸福な奴隷――もとい、幸福な社畜生活を全力でサポートするのです♪」
「社畜も何も、自営業なんだけどな」
 凛月の家が物置のように持て余していた二世帯住宅を譲り受け、一緒に住み始めたかと思えば。単なる思いつきで『改装しよう』などと、どちらからともなく言い出してどれくらい経っただろうか。一方に喫茶店、もう一方にテイクアウト用のケーキ屋を設け、二人でそれぞれゆるく営む。他に誰も雇っていないのに、本業の芸能活動をこなしながらは流石に無理がある――と、ようやく我に返った開店当初は不安になったものだが、こちらの仕事の様子もテレビに映してもらったり、たまにメンバーが手伝いに来てくれたり、両側が上手く絡み合っているおかげでそれなりに経営は成立していた。
「ほら、分かったなら動け。お前ごと箒で掃くぞ」
「ん、そうしたいところだけど……ま~くん、座って」
「何だよ」
 引いてもらったいちばん近い席の椅子に腰掛け、パティシエの白衣姿のままの凛月を見上げる。
「明日、またローカル局の取材が入ってるから。新作の味見してもらいたいな~、なんて」
「は……?」
 言うが早く、凛月は再び厨房へ引っ込む。二つの店を繋ぐ唯一の空間は、当店自慢の天才パティシエのテリトリーだ。店舗のホールは広い方をもらっているのであまり文句は言えないが、開放的な内装の喫茶店に俺の専用スペースはそう多くない。相談の時点で上手く丸め込まれたことを、舞台裏に白い背中が消える度に実感するのであった。
 程なくして、ミントグリーンのスカーフが視界に戻る。何か作ってくるのかと思っていたが、どうやら既に作り置きしていたらしい。
「はい、どうぞ~。店長特権、召し上がれ♪」
 濃いアイスティーと共に現れたのは、二種類のケーキ。色合いはよく似ているが、一方はあのとんでもない見た目、凛月の本性の塊だった。
「材料は一緒で、外見だけ変えてみました。そろそろ俺の得意な路線も前面に押し出していくべきだと思いまして」
 無邪気にニコニコ笑う調理担当と、二卵性双生ケーキを交互に見る。どちらも全国で話題になるほど絶品なのは承知している。しかし、万人に受け入れられるかとなると話は別だ。これはビジネス、ある程度の利益重視は避けて通れない。
 しかし、そんな話は後ですれば良い。今は束の間の家族団欒の時間。きっと、これはそのためでもあるのだろう。
「では、いただきます」
 フォークを手に取り、そちらへ真っ先に先端を突き刺す。骨のように硬そうな外見に反して容易く三本の牙を受け入れたひとかけらは、口内で甘く溶けて滑り落ちていった。
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