りつまおワンライアーカイブ

「お疲れ様、ま~くん」
 ベランダでぼんやりと空を眺める赤色に部屋の中からそっと声をかけると、それは素直にこちらを向く。明るい色は夜の帳の降りた空の色を少し吸い込んで、先程までよりはいささか彩度が低い。それでも、振り返った拍子にさらりと夜風になびいて、漂う馴染みのシャンプーの香りが鼻孔を擽った。
「何だ、いつからいたんだよ」
「なぁに、いたら悪いわけ?」
「いや、なに。こんな日でもやっぱり朔間先輩からは逃げてるのな」
「あんなのと天体観測とか、本当にお星さまになってもごめんなんだけど」
 全開になっていた窓を乗り越えて、ま~くんの隣に立つ。俺専用の、随分と色褪せた黒いビーチサンダルに足を収めることも忘れない。
 眺めていられるほど星々は綺麗に瞬いているのかと思いきや、濃紺の天蓋には雲の波がいくつも重なっており、三等星以下はほとんど埋もれてしまっていて。涼しい夜は最高のひとときだが、まだ熱帯夜の季節には少し早いし、日中は忌まわしくもそこそこ晴れて暑くなっただけに、少し惜しい。
「七夕は良いよねぇ。まさしく夜のイベントって感じ」
「【七夕祭】も楽しかったしな~。企画してくれたあいつには感謝してもしきれないっ♪」
「ま~くんたちったら、勝ったときにちゃっかり転校生を指名してたもんねぇ。まぁ、知らない一般客の女に勝手に舞い上がられるよりはましだったけど」
「何だよ、俺たちのファンサ、そんなに下手だったか?」
「俺だって客席にいたのに。『ま~くんに一生介護されたい』って書いて、俺だけのま~くんに奉仕されたかったのに……」
「馬鹿。ライブで叶えてもらう願いか、それは」
「年上に向かって馬鹿とは何だ。ま~くんの癖に礼儀がなっとらんねぇ」
 再び窓を飛び越えて、持ち込んでいた荷物の中から目当ての品を発掘すると、怪訝な顔で首を傾げるま~くんの眼前にそれを持っていく。
「げっ! それって、まさか……」
「後でも良いかな、と思ってたけど、生意気な子にはお仕置きが必要だねぇ」
 やめろ、しまえ、何であるんだ、などと、近所迷惑にならない程度の声量で抗議するま~くんを差し置いて、光沢のある長方形が写す一文を朗読してやる。

『大人になっても、死ぬまで一生、たとえどちらかが先に星になろうと、りっちゃんが、撲の心から消減しませんように
衣更 真緒』

「~~~~~~っ……!」
「残念ながらこれが真実なんだけど」
 『知らん知らん、俺はそんなもの書いてない』とでも言いたげな目を残して手すりに突っ伏すま~くんを、色とりどりの短冊が埋め尽くす写真でつつく。角は流石に嫌がるだろうから、辺を押しつける一応の配慮も忘れずに。
「大体、お前何でそんなもの持ってるんだよ! まさか――凛月、怒らないから答えろ。その入手経路にいくらかけた」
「ま~くんが一体何を想像してるか知らないけど、多分違うから。兄者が勝手に俺の部屋に置いて行っただけ」
 赤い水性ペンで書き殴ったような、黄色い短冊に踊る文字。ま~くんは昔から活発で、習字なんて勿論習っていなかったから、最後の方の名前はスペース不足で随分小さいし、良い子ぶって一人称を変えたり、書き慣れない漢字を盛大に間違えたりしているのが何とも微笑ましい。
「……あぁ、そうだよ。覚えてるよ。中学生の頃、別で用事があるからって、凛月の親に付き添ってもらってショッピングモールに行ったときだろ?」
「ほら、やっぱり知ってる……♪」
 親子連れも多く訪れるショッピングモールの開けたスペースは、季節のイベントに合わせた飾り付けがされていることも珍しくない。ハロウィンにはかぼちゃの置物、クリスマスには大きなツリー、年度の切り替わりには桜の造花……そして、買い物客参加型の、七夕の短冊。
 笹の葉さらさら、と有名な童謡が流れる店内で、眠そうに目を擦りながら歩く俺の手を引いて、大きな笹に短冊を吊るしたま~くんの目ときたら、金銀の七夕飾りに負けないくらいきらきらしていたのだ。
「それでもま~くん、何書いたのか結局教えてくれなかったからさぁ。多分、俺とま~くんだけで行動してる間に、見かねたうちの者が勝手に撮ったんだろうねぇ」
 まぁ、何でそれを兄者が持ってたのかは知らないし興味も無いけど。それを最後に話を打ち切ると、ま~くんはやはり手すりから体を持ち上げようとはしない様子で。そればかりか、何やら聞き取れないほど小声で呪詛のようなものまで呟き出している。
「なぁに、そんなにショックだったの? 背伸びしたがる中学生が書くことなんてこんなものだよ」
「それでも恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ! そう言う凛月こそあのとき何て書いたのか言ってみろよ!」
「俺? 『死ぬまで一生楽したい』」
「……もういい」
 まったく、いつもは俺のことを『手がかかる』だの『めんどくさい』だの言う癖に、自分に都合が悪くなった途端にこれか。
 他人のお世話に自分の存在意義を見出す通り、ま~くんが潜在的に自己愛の強い奴だということは俺もよく分かっている。だからこそ俺はここにいる。ま~くんの欲求を満たすために。ま~くん自身に代わってま~くんを守るために。
「ところでま~くん」
「何だよ、凛月」
「地球からいちばん近い恒星って、どれくらい離れてるか知ってる?」
「急にどうしたんだよ……太陽だったら、確か八分くらいだったか?」
「あー……訊き方が悪かったね。太陽系から近い星って言いたかったの」
「ふぅん……それで、何処だよ」
「大体四光年。プロキシマ・ケンタウリっていう、ケンタウルス座の一等星がそれにあたるかな」
「四光年、ねぇ……そりゃ宇宙なら近い方だろうけど、光の速さで四年もかかるんじゃ、途方も無く遠いよな」
「はぁ……本当、何処までもニブチン。そういうことを言いたいんじゃないんだけど」
「じゃあ何だよ」
 四光年。きらりと瞬いて、光が見えるまで四年。四年前、自分が何をしたか、ま~くんがいちばんよく分かっている。そうでしょう?
 ま~くんがこれを願った瞬間、きらりと瞬いたプロキシマ・ケンタウリ。どうやらここからでは観測出来ないらしいけど、もうそろそろ地球の何処かに届くはず。
 ねぇ織姫。おい彦星。見逃したら承知はしないから。
 さもなくば、あんたらに代わって、俺がま~くんの心の光を絶やさぬまで。
1/10ページ
スキ