天国にはまだ早い
葦千穂家の墓前に、いつの間にか手紙が置かれていることだろう。
内容は、以下の通りである。
家族へ
本当にこの手紙がお前たちに届くのか半信半疑だが、これを書かせている者のことを信じて筆を執っている。
悠長に推敲するほどの心の余裕は持てそうにないので、子供たちに通じなさそうな部分は適宜母さんが訳してもらえると有り難い。
とはいえ、俺は昔から口下手で、意思が希薄で、人並みにあるはずの感情を表に出すことが大の苦手だったので、今の気持ちを素直に伝えられるかは分からない。
何せ、その日の夕食の希望さえ思いついた試しがないのだ。「母さん」を困らせないために、頭に浮かんだ献立を適当に口に出すか、音羽と羽琉の希望を優先させるかして、常に意思表示から逃げてきた。
子供たちの前ではあまり話したことがなかったが、母さんと結婚するときもそうだった。何かと言い訳して、何年も待たせて、逃げ続けて。それは自分が人形のように空っぽの人間だからだとばかり思っていたが、今にして思えば、俺は自分が思うより臆病だったのかも知れない。
学力ばかり一丁前で、蓋を開けたら何もない。そんなつまらない自分を暴かれることを恐れながら、逆に「自分はそういうものだ」と殊更に誇示して、弱みとして突かれることを避けようとしていたのだろう。言葉にしてみると矛盾しているが、全くそうとしか言いようがない。お前たちがいくら否定しようと、それは揺るぎない事実だ。
前置きが長くなってしまった。ここは思考整理の場ではなく、想いを伝える場だったな。
つまり簡潔に、思うままに書かせてもらおう。
白羽、
お前は度々、「光羽さんは私の運命の人よ」と言っていたが、俺もお前についてはそう思っている。
ただし、ロマンス映画の俳優が吐く情熱的で気障な台詞のようなニュアンスではなく、もっと生活感のある……たとえば、安らぎや自己肯定感を与えてくれるインテリアや、質のいい家具、便利な家電に出会ったときに近い感覚かも知れない。人をもの扱いするのもどうかと思うが、それだけお前が傍にいてくれることは、俺にとっていちばんの喜びだった。
音羽、
お前の勤勉なところと、騒がしいのが苦手なところは、きっと父さんに似たのだろう。
子供の夢を叶える手助けをするのも親の務めだというのに、最後の最後で力になってやれなくて本当にすまなかった。
あともう少しだったのに……今さら悔やんでも仕方ないことだが。あともう少し、俺に力があったら。
それだけ、お前は父さんの知らないうちに成長していたのだろう。そこから先を見ることがもう叶わないのは、本当に残念だけれど。
羽琉、
お前が毎週末サッカーの試合に出るのを見に行くことが、父さんにとってはいつの間にか楽しみになっていた。
父さんは何にでも興味を持つお前と違って、これといって人に語れるような趣味はないけれど、頭の片隅でサッカーのことを考えては待ち遠しくなっていたということは、これを趣味と呼んでもよかったのかも知れない。父さんに初めて趣味を与えてくれてありがとう。
お前は何も悪くない。大変なときに傍にいてあげられなくて、怖い思いをたくさんさせてしまってすまなかった。お前は本当に、最期までよく頑張ってくれた。父さんにとって、お前は世界一頼れるヒーローだ。
最後に。
俺たち家族の平和な暮らしは、随分前にあっけなく終わってしまった。過ぎたことについて今さら悔やんでも仕方ないが、あの日から先もずっと、もう何十年か続いてくれていたら……そんなことを考えないと言えば、嘘になってしまう。
もしも、輪廻転生というものが本当にあるのならば、それに縋ってみたいと願うほどに。俺は心からあの家を、お前たちを、愛していた。
しかし、近いうちにもう一度会うには、きっと俺たちは疲れすぎている。何せ、あんなことがあったわけだからな。
気が済むまで、ゆっくり休んでほしい。そして、いつかそれにも満足して、立ち上がる元気を取り戻したら……
今度こそ。誰にも邪魔されないどこかで。四人で、幸せをやり直そう。
葦千穂 光羽
内容は、以下の通りである。
家族へ
本当にこの手紙がお前たちに届くのか半信半疑だが、これを書かせている者のことを信じて筆を執っている。
悠長に推敲するほどの心の余裕は持てそうにないので、子供たちに通じなさそうな部分は適宜母さんが訳してもらえると有り難い。
とはいえ、俺は昔から口下手で、意思が希薄で、人並みにあるはずの感情を表に出すことが大の苦手だったので、今の気持ちを素直に伝えられるかは分からない。
何せ、その日の夕食の希望さえ思いついた試しがないのだ。「母さん」を困らせないために、頭に浮かんだ献立を適当に口に出すか、音羽と羽琉の希望を優先させるかして、常に意思表示から逃げてきた。
子供たちの前ではあまり話したことがなかったが、母さんと結婚するときもそうだった。何かと言い訳して、何年も待たせて、逃げ続けて。それは自分が人形のように空っぽの人間だからだとばかり思っていたが、今にして思えば、俺は自分が思うより臆病だったのかも知れない。
学力ばかり一丁前で、蓋を開けたら何もない。そんなつまらない自分を暴かれることを恐れながら、逆に「自分はそういうものだ」と殊更に誇示して、弱みとして突かれることを避けようとしていたのだろう。言葉にしてみると矛盾しているが、全くそうとしか言いようがない。お前たちがいくら否定しようと、それは揺るぎない事実だ。
前置きが長くなってしまった。ここは思考整理の場ではなく、想いを伝える場だったな。
つまり簡潔に、思うままに書かせてもらおう。
白羽、
お前は度々、「光羽さんは私の運命の人よ」と言っていたが、俺もお前についてはそう思っている。
ただし、ロマンス映画の俳優が吐く情熱的で気障な台詞のようなニュアンスではなく、もっと生活感のある……たとえば、安らぎや自己肯定感を与えてくれるインテリアや、質のいい家具、便利な家電に出会ったときに近い感覚かも知れない。人をもの扱いするのもどうかと思うが、それだけお前が傍にいてくれることは、俺にとっていちばんの喜びだった。
音羽、
お前の勤勉なところと、騒がしいのが苦手なところは、きっと父さんに似たのだろう。
子供の夢を叶える手助けをするのも親の務めだというのに、最後の最後で力になってやれなくて本当にすまなかった。
あともう少しだったのに……今さら悔やんでも仕方ないことだが。あともう少し、俺に力があったら。
それだけ、お前は父さんの知らないうちに成長していたのだろう。そこから先を見ることがもう叶わないのは、本当に残念だけれど。
羽琉、
お前が毎週末サッカーの試合に出るのを見に行くことが、父さんにとってはいつの間にか楽しみになっていた。
父さんは何にでも興味を持つお前と違って、これといって人に語れるような趣味はないけれど、頭の片隅でサッカーのことを考えては待ち遠しくなっていたということは、これを趣味と呼んでもよかったのかも知れない。父さんに初めて趣味を与えてくれてありがとう。
お前は何も悪くない。大変なときに傍にいてあげられなくて、怖い思いをたくさんさせてしまってすまなかった。お前は本当に、最期までよく頑張ってくれた。父さんにとって、お前は世界一頼れるヒーローだ。
最後に。
俺たち家族の平和な暮らしは、随分前にあっけなく終わってしまった。過ぎたことについて今さら悔やんでも仕方ないが、あの日から先もずっと、もう何十年か続いてくれていたら……そんなことを考えないと言えば、嘘になってしまう。
もしも、輪廻転生というものが本当にあるのならば、それに縋ってみたいと願うほどに。俺は心からあの家を、お前たちを、愛していた。
しかし、近いうちにもう一度会うには、きっと俺たちは疲れすぎている。何せ、あんなことがあったわけだからな。
気が済むまで、ゆっくり休んでほしい。そして、いつかそれにも満足して、立ち上がる元気を取り戻したら……
今度こそ。誰にも邪魔されないどこかで。四人で、幸せをやり直そう。
葦千穂 光羽