巽マヨワンライアーカイブ

 自分の意思で加入を決めた寮内サークルとはいえ、やはり日中の、しかも自然に囲まれた屋外での活動には未だに慣れない。今は夕食の準備の時間ということで、椎名さんの指示のもとで飯盒炊爨のための火をおこしたり持参した材料を切ったり、メンバーそれぞれがやるべき仕事をこなしている、はずだった。
『マヨちゃ~ん、調子はどうっすか?』
「い、今は比較的元気ですぅ……すみません、何にもお役に立てなくて」
 寝袋から顔を出し、テントの外からの呼び声に答える。午後いちばんに鬼龍さんを除く全員で参加したカヌー体験中に急流で酔ってしまい、それから私だけテントでお休みさせていただいていたのだ。本当は私もできれば遠慮したかったのだが、光さんのご希望とあっては断るわけにもいかず。結果このざまだ。自分で自分が情けない。
『いやいや、お楽しみはこれからっすよ! マヨちゃん、ちょっと出てきてくれません?』
「……?」
 寝袋を抜け出し、テントのファスナーを開く。するとそこには、とんでもない光景が広がっていた。
「ヒィ……ッ」
「どうっすか、どうっすか? 僕から皆へサプライズっす!」
 細かく切った野菜入りの器が並ぶアウトドアテーブルの中央に、見覚えのない大きな箱が鎮座している。椎名さんが得意げにその中から取り出したのは、美しい白い楕円形をした鶏卵だった。
「スッゲ~! 卵がいっぱいなんだぜ!」
「道理でさっきから見当たらねぇと思ったら……こんなのどこから持ってきたんだ?」
「実はこのキャンプ場の近所に養鶏場があるんすよ。僕、そこの所長さんとは結構懇意にしてもらってるんで、今日は格安で卵を譲ってもらう約束をしてたってわけっす。というわけで、今日は卵パーティーっすよ!」
 椎名さんの一言を聞くやいなや、光さんは大喜びで周辺を走り出す。既に大量の卵から何かしらの霊感を得たと思しき月永さんは、大きめの石を下敷きに黙々と五線譜を音符でいっぱいにしているようだった。
「つってもよぉ。こんな量、今から調理してたら日が暮れちまうぞ? スイカじゃあるまいし、まさか残りは川で冷やす~、なんて言わねぇだろ?」
「勿論、これらはこの場で全部食べきるつもりっすよ。三人寄ればもんじゃ焼きのチーズって言いますし、既に準備された材料を惜しみなく使えば飽きずに何品でも作れちゃうっす!」
「それを言うなら『文殊の知恵』では……って、え? 三人?」
「ふふ~ん。風の噂で聞いたんすよぉ、マヨちゃんも実は相当な料理上手だって! なんか、デ……デミグラス? そんな感じのカフェでオムライスを作ってたとかいうことを誰かが言ってたっす!」
「ヒィ……!」
 つまり、大量に仕入れた卵を調理する人員として呼び出されたというわけか。あのオープンイベントはSNSでも相当な反響を呼んでいたようだし、椎名さんの目や耳に情報が入っていてもおかしくはない。
「で、でも! 本職の料理人さんに比べれば私なんて全然ですよぉ! お手伝いするのは別に構いませんけど、そんな期待に満ちた目で見られても困りますぅうう!」
「大丈夫っすよ。料理は愛情、上手い下手なんてあとからついてくるっす。今は料理を食べてもらう大切な人のことを思い浮かべて、卵の調理を楽しむこと。それさえできれば僕から言うことは何もないっす」
「椎名さん……」
 じゅわ、と食欲をそそる音がして振り返ると、鬼龍さんが一斗缶の上でフライパンを構えていた。ぐらぐらと白身の上で揺れる黄身が昼下がりの日光に照らされて、太陽の姿そのものを反射するように輝いている。
「おう、やるならさっさと始めようや。俺もレパートリーはそんなに多い方じゃねぇし、よかったらお前らがいろいろ教えてくれ」
「なはは、任せてください! そんじゃ、まずは目玉焼きの焼き加減のコツっすかね~?」
 賑やかなキャンプ場で、ゆっくりと日が沈んでいく。いつのまにかたくさん増えていた『大切な人』、愛すべき時間。それを噛みしめながら、私も茶碗に割り入れたふたつの卵黄を切るようにかき混ぜる作業に移った。

◇ ◇ ◇

『今日は卵パーティーです』
 今は遠く離れた山奥にいる愛しき人から目玉焼きの絵文字とともにそんなメッセージが届いて、思わず顔が綻ぶ。送られてきた写真には無数の黄色い料理を頬張る『お泊りレジャー隊』の面々が写っており、その中にはちゃんとマヨイさんの姿もあった。
 オムライスにケチャップで猫の絵を描くマヨイさん、玉子焼きを巻く光さんの横で手助けをしているマヨイさん、レオさんのつまみ食いを止めに入るマヨイさん……どれもこれも、都会の日常では見られない新鮮な表情をしている。
 旧館を離れてから彼の交友関係が広がったのは喜ばしいことだが、反面彼の様々な面を知る機会が減ってしまって寂しくもある。これまでの俺では考えられない感情だ。万人を等しく愛するよりも、ただひとりのことをここまで気にかけるようになるなんて。
 ひとまず、今はそんな気持ちに蓋をして、彼の幸福を素直に喜ぶことにしてみる。入力から見直しまで何分もかかって、ようやく送ったメッセージに既読がつくのが待ち遠しい。
『とても美味しそうです。機会がありましたら是非俺にも振る舞っていただきたいですな』
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