巽マヨワンライアーカイブ
『今シーズンいちばんの暑さ』『こまめな水分補給』『熱中症対策に十分心がけましょう』、エトセトラ。例年より遅めの梅雨明けを補おうとでもしているのか、もう九月に入ったというのに相も変わらず天気予報でこのようなフレーズを聞かない日はなく。寮の共有スペースは冷房が効いているとはいえ、炎天下に晒されてきた事務所帰りの火照った身体を瞬時に適温に戻す機能は流石に持ち合わせてはいない。このままでは煉獄のように地球の全てが熱く絡み合いながらぐちゃぐちゃに溶け合って、境界も曖昧になりながら地の果てまで沈んでいってしまうのではないか、などと突拍子もない妄想を繰り広げるほどには頭の働きも鈍ってしまっているようだった。
「あぁっ……! まぁ、それも悪くないひとつの終末の形ではありますが……」
「終末論が何か?」
「ヒィッ!」
背後から急に話しかけられ、反射的にソファから飛び上がる。少しずつ遠ざかりながら恐る恐る振り返ると、よく見知った清廉な微笑みがこちらに向けられていた。
「た、巽さんでしたか……大袈裟に驚いてしまってすみませぇえん……」
「いえいえ、俺こそ不躾でしたな。視界に入るところから話しかけるのが本来の礼儀でしょうに」
安心してソファに座り直すと、巽さんは背もたれから回り込んで当たり前のように隣に座ってくる。不快というわけではないのだが、彼は些かパーソナルスペースが狭すぎるきらいがあるので、ぴったり寄せられた膝から自分より少し高い体温を直接感じて緊張してしまう。
「おや。マヨイさん、熱中症ですか? 少々顔が赤いような」
「あう……へ、平気ですぅ。外から帰ってきたばかりなので、まだ身体が冷めていないだけですから」
必要以上に密着されているから、というもうひとつの要因はぐっと飲みこんで、さらにソファの隅っこの方に縮こまることで少しでも距離をとろうと試みる。しかし、気を引きたがる子供のように服の袖を引かれてしまい、なけなしの努力は失敗に終わった。
「それならちょうどよかった。今朝ジュンさんにゼリーをいくつかいただいたのですが、マヨイさんも一緒にいかがですか?」
よく見ると、巽さんの手には有名スイーツ店のロゴが入った紙袋が握られている。ジュンさんというと、巽さんの後輩でありクラスメイトでもあるという『Eden』の彼のことだろう。私は事務所も学校も違うので、いつぞや廊下で見かけたきりほとんど顔を合わせていないけれど。
「元々は日和さんが取り寄せていたものらしいのですが、食べきれないから誰かに譲ってくれと言われたそうで。俺もこの数をひとりで食べることはできないので、もしマヨイさんさえよろしければ」
「い……いいんですかぁ? 私も『スイーツ会』で朱桜さんが持ってきてくださったここのお菓子を食べたことがありますが、相当お高いもののはずですよ?」
「そうなのですか? すみません、こういうものには疎くて。ですが、折角のご厚意を無駄にするわけにもいきません。さぁ、是非溶けないうちに」
「ひゃっ!」
有無を言わせず、私の膝の上に紫色のゼリーカップと小さなプラスチックスプーンが置かれる。ゼリーにしては氷のように冷たい感触が膝に伝わってきて、予想外の感覚に妙な声が漏れてしまった。
「巽さん……もしかしてこれ、凍らせましたか?」
「はい。そうやって食べるのがおすすめだとジュンさんに聞いたので。アイスを食べるより低カロリーで、今日のような暑い日の気休めにはぴったりだと」
「な、なるほど……?」
『溶けないうちに』という言い回しが少々引っかかっていたが、瞬時に謎が解けた。今朝いただいたものを今までずっと冷凍庫に入れておけば、ちょうど今くらいの時間帯が食べ頃だ。カップの側面に付着した白い氷の粒がきらきら光っているのを眺めているだけでも十分に清涼感を得られるが、シャーベット状に固まったゼリーを舌の上で柔らかく溶かして、嚥下した先の体内の熱と絡み合わせて。そうして完全にひとつになった頃に訪れる満足感を思うと、余計に疼いて、昂ってしまう。巽さんが紙袋からメロン味のゼリーを取り出し、蓋を剥がすまでの動作を合わせてからは、自分のペースで冷凍ゼリーをひと口ずつ味わっていった。
「ふふ。そんなに喜んでいただけるとお誘いした甲斐があったというものですな」
「はうっ! す、すみませぇん、巽さんがいただいたものなのに私なんかが無遠慮に貪ってしまって!」
「お気になさらず。俺のも食べてみますか?」
「は、ぇ……?」
いつの間にやら黄緑色のゼリーを乗せたスプーンが差し出され、唇がひんやりと冷たい。ゼリーの向こうから送られてくる無言の圧力に屈して口を開けると、ぶどうの甘酸っぱさでいっぱいだったところにまろやかな甘みが加わり、塗り替えるようにして喉元を過ぎていった。
「すみません、マヨイさんのも味見させていただいても?」
「はひっ、お好きにどうぞ!」
同じことをする勇気はなかったので、表面がクレーターのようにぼこぼこになったゼリーをカップごと差し出す。もう半分は食べたというのに、頭の中が相変わらず熱い。今頃ぶどうとメロンのゼリーは、私の体内で境界も曖昧になって混ざり合っているのだろうか。そして、今から巽さんの体内でも同じことが起ころうとしている。
嗚呼、どうしましょう。しばらくこの熱、冷めそうにありません。
「あぁっ……! まぁ、それも悪くないひとつの終末の形ではありますが……」
「終末論が何か?」
「ヒィッ!」
背後から急に話しかけられ、反射的にソファから飛び上がる。少しずつ遠ざかりながら恐る恐る振り返ると、よく見知った清廉な微笑みがこちらに向けられていた。
「た、巽さんでしたか……大袈裟に驚いてしまってすみませぇえん……」
「いえいえ、俺こそ不躾でしたな。視界に入るところから話しかけるのが本来の礼儀でしょうに」
安心してソファに座り直すと、巽さんは背もたれから回り込んで当たり前のように隣に座ってくる。不快というわけではないのだが、彼は些かパーソナルスペースが狭すぎるきらいがあるので、ぴったり寄せられた膝から自分より少し高い体温を直接感じて緊張してしまう。
「おや。マヨイさん、熱中症ですか? 少々顔が赤いような」
「あう……へ、平気ですぅ。外から帰ってきたばかりなので、まだ身体が冷めていないだけですから」
必要以上に密着されているから、というもうひとつの要因はぐっと飲みこんで、さらにソファの隅っこの方に縮こまることで少しでも距離をとろうと試みる。しかし、気を引きたがる子供のように服の袖を引かれてしまい、なけなしの努力は失敗に終わった。
「それならちょうどよかった。今朝ジュンさんにゼリーをいくつかいただいたのですが、マヨイさんも一緒にいかがですか?」
よく見ると、巽さんの手には有名スイーツ店のロゴが入った紙袋が握られている。ジュンさんというと、巽さんの後輩でありクラスメイトでもあるという『Eden』の彼のことだろう。私は事務所も学校も違うので、いつぞや廊下で見かけたきりほとんど顔を合わせていないけれど。
「元々は日和さんが取り寄せていたものらしいのですが、食べきれないから誰かに譲ってくれと言われたそうで。俺もこの数をひとりで食べることはできないので、もしマヨイさんさえよろしければ」
「い……いいんですかぁ? 私も『スイーツ会』で朱桜さんが持ってきてくださったここのお菓子を食べたことがありますが、相当お高いもののはずですよ?」
「そうなのですか? すみません、こういうものには疎くて。ですが、折角のご厚意を無駄にするわけにもいきません。さぁ、是非溶けないうちに」
「ひゃっ!」
有無を言わせず、私の膝の上に紫色のゼリーカップと小さなプラスチックスプーンが置かれる。ゼリーにしては氷のように冷たい感触が膝に伝わってきて、予想外の感覚に妙な声が漏れてしまった。
「巽さん……もしかしてこれ、凍らせましたか?」
「はい。そうやって食べるのがおすすめだとジュンさんに聞いたので。アイスを食べるより低カロリーで、今日のような暑い日の気休めにはぴったりだと」
「な、なるほど……?」
『溶けないうちに』という言い回しが少々引っかかっていたが、瞬時に謎が解けた。今朝いただいたものを今までずっと冷凍庫に入れておけば、ちょうど今くらいの時間帯が食べ頃だ。カップの側面に付着した白い氷の粒がきらきら光っているのを眺めているだけでも十分に清涼感を得られるが、シャーベット状に固まったゼリーを舌の上で柔らかく溶かして、嚥下した先の体内の熱と絡み合わせて。そうして完全にひとつになった頃に訪れる満足感を思うと、余計に疼いて、昂ってしまう。巽さんが紙袋からメロン味のゼリーを取り出し、蓋を剥がすまでの動作を合わせてからは、自分のペースで冷凍ゼリーをひと口ずつ味わっていった。
「ふふ。そんなに喜んでいただけるとお誘いした甲斐があったというものですな」
「はうっ! す、すみませぇん、巽さんがいただいたものなのに私なんかが無遠慮に貪ってしまって!」
「お気になさらず。俺のも食べてみますか?」
「は、ぇ……?」
いつの間にやら黄緑色のゼリーを乗せたスプーンが差し出され、唇がひんやりと冷たい。ゼリーの向こうから送られてくる無言の圧力に屈して口を開けると、ぶどうの甘酸っぱさでいっぱいだったところにまろやかな甘みが加わり、塗り替えるようにして喉元を過ぎていった。
「すみません、マヨイさんのも味見させていただいても?」
「はひっ、お好きにどうぞ!」
同じことをする勇気はなかったので、表面がクレーターのようにぼこぼこになったゼリーをカップごと差し出す。もう半分は食べたというのに、頭の中が相変わらず熱い。今頃ぶどうとメロンのゼリーは、私の体内で境界も曖昧になって混ざり合っているのだろうか。そして、今から巽さんの体内でも同じことが起ころうとしている。
嗚呼、どうしましょう。しばらくこの熱、冷めそうにありません。