巽マヨワンライアーカイブ

 再び自動ドアをくぐる頃には、じっとりと汗ばむほどの陽気は鳴りを潜め、視界に広がる街並みが濃紺に染まっていた。それでも冷房の効いた施設内に比べれば纏わりつく空気に季節の只中を感じるが、隣を歩く彼の様子を見る限り、それについての心配は不要だろう。
「うふふふふ……とっても面白かったですねぇ……♪」
「ふふ、楽しめたようで何よりです。あの作品は自分では好んで観ない系統のものだったので、マヨイさんに事前知識を聞かされていないとなかなか難解でしたな」
「はい、あの監督さんの作品は劇中で語られない裏設定がかなり凝っていると評判で――って、すみません! 興味もないのにこんなこと語られてもご迷惑ですよねぇええ! ただでさえ今日は無理を言って私なんかの個人的な趣味にお付き合いいただいたというのに!」
「いえいえ、新鮮で貴重な体験をさせていただきましたから。俺の方こそお礼を言いたいくらいです」
「あうぅ……た、巽さんがそうおっしゃるならいいんですけど……」
 『どうしても観たい映画がある』とマヨイさんに言われて、慌ててスケジュールを調整したのが一週間前。どうやら今日が上映最終日だと気付くのが遅れたとかで、俺を遊びに誘ったときの焦りに揺れる彼の目は今もよく覚えている。他の誰かを誘ってみることも提案してみたものの、どうやらくだんの映画は少し過激な内容を含むR指定作品だったらしく、いたいけな子供たちを巻き込むのはたとえ年齢制限が許してもマヨイさんの良心が許さなかったようだ。
「それにしても、思い返せば随所に展開の分岐が散りばめられておりましたな。たとえば中盤の電車のシーン。あそこで主人公が窓の外を見ていなかったら、あの場で既に殺されていたのかも知れません。逃亡計画を敵に悟られてから行動に移すまでの間にも、もっとできることがありそうでした。そのような伏線もあったことですしな」
「よくお気付きで。今作は来年製作予定の分岐選択型作品の習作だったらしいですよぉ。なんでも視聴者の選択で映画の展開が大きく変化するのだとか」
「へぇ、そんなことが可能なのですか。まるでアトラクションか、ゲームでもしているかのようです」
「そう、まさしくそうなんですぅうう! 海外で製作されたゲームから着想を得たとかで、今回登場した廃病院で保護される子供はその登場人物がモデルらしいですよ。それから、舞台となった都市の――」
 上機嫌で次回作に思いを馳せるマヨイさんの話を聞きながら、ふと惟みる。
 製作者がプレイヤーや視聴者に課題を与える作品は決して珍しくない。それはその場で実際に行う操作だったり、読後に残る感情の処理のしかただったり。世界の創造主たる神が人々に与える試練も、そういった類のものと似ているのかも知れない。人生もまた、選択と分岐の連続で展開していくひとつの物語だ。
 だから、今でもときどき思う。もし一彩さんが都会でアイドルに出会わなかったら。藍良さんがファンのままで満足していたら。マヨイさんが奇怪な呪いなどを抱えていなかったら。俺が足を壊すほどの愚行を重ねていなかったら。
――俺たちが、出会っていなかったら。
「あ、あのぉ……巽さん?」
「……は、はい。すみません、何でしたかな?」
「えっと、何だかぼうっとされているようでしたので……や、やっぱり私の話が退屈だったのでしょうか!? 気の利いた雑談もろくにできない陰キャですみませぇええん!」
 ――いや、それこそ心配は不要だ。現実にセーブポイントは存在しないし、選んだ道から過去には戻れない。それでも日々はこんなにも充実していて、これから先もバッドエンドなんてあり得ない。
 そう言ってくれたのは、あなたでしたな。
「マヨイさん」
「は、はひっ!?」
「帰ったら、そちらのお部屋に伺っても宜しいですかな? もっと詳しくお話を聞かせてください。そして、今日の感想もたくさん語り合いましょう」
 胸の前で震える手を取って、街灯が眩しく照らす夜の街を歩く。帰るべき場所に早く着くように、そして二人分の足音に隠れながら「よ、喜んで……」と返ってきた小さな声に綻ぶ頬を悟られないように、らしくもなくやや早足で半歩先を陣取った。
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