巽マヨワンライアーカイブ

 青磁の頭を傾けて、手元の書物に没頭する――今の彼の状況を最低限描写するだけならば、いつも通り、何の違和感もない光景だ。問題はその内容。彼の視線の先で開かれた書物の表紙は、普段見るシンプルなものとは遠くかけ離れた華やかなもので、昼下がりの図書室に流れる穏やかな空気の中でひときわ異彩を放っていた。
「あのぅ……巽さん」
「おや。こんにちは、マヨイさん。近頃ここでよく会いますな」
「ヒィッ! その、今日はたまたまと言いますかっ、空き時間の暇潰しに来ただけですので! 本を選んだらすぐ出て行きますからぁああ!」
「そう恐縮せずとも、俺はマヨイさんのことを邪魔だなんて思いませんよ。ここは共有スペースです、寮の入居者ならば誰にでも自由に利用する権利がありますから」
「は、はぁ……それはそうですけど……」
 改めて巽さんの綺麗な指に支えられた単行本に視線を移す。何度見てもその派手な表紙は見間違いなどではなく、確かに彼の男性らしい大きな手にしっかりと収まっている。
「あの、巽さん。その本は一体……?」
「あぁ、これですか」
 巽さんは今読んでいるページに栞代わりに親指を挟み、床に向いていた表紙をこちらに見せてくださった。俗世に疎いせいでタイトルを見てもあまりピンとこなかったが、その眩しくて華やかな絵柄と『COMICS』と読める箇所のあるレーベル表記からして、いわゆる少女漫画であることが推測できる。
 その漫画本を元通り開いてご自身の膝に戻すと、巽さんは照れ臭そうに再び視線をそちらへ戻した。
「俺には似合わないでしょう? ですが、どうしても読まなければならない事情がありまして」
「お仕事の資料などですか?」
「まぁ、そんなところです。この作品を原作とした実写映画の製作が決定したそうで、ご縁あって出演オファーをいただいたのですよ」
「あぁ、そういうことでしたか。おめでとうございます」
 未解禁情報が多いプロジェクトということであまり多くは聞かせてもらえなかったけれど、巽さんがいただいたのはそれなりに重要な役どころらしい。そっと横目で盗み見ると、漫画の中の登場人物の何人かは野球のユニフォームや学校指定のジャージなどを着ていた。どうやら『学園部活モノ』に分類される作品のようだ。
「ふふ。もし宜しければマヨイさんもいかがです? どうも俺だけで読んでいても『ときめき』やら『もやもや』やら、そういった感情への理解が及ばなくて」
「ふぁいっ!? い、いえ! 私も恋愛には疎いので、あまり巽さんのお力にはなれないかと!」
「そうですか。ふむ、確かにこういったものは藍良さんの方が詳しそうですな」
「役立たずですみませぇん……あの、お茶でもいかがですか? 私、淹れてきて差し上げますよ」
「あぁ、それなら俺が淹れてきましょう。マヨイさんはその辺りにでも座って待っていてください」
「い、いえ! 私にやらせてください! せめて頑張っていらっしゃる巽さんのお手伝いくらいは……!」
 そう口に出していそいそと準備に取り掛かった瞬間、後悔した。役づくりのアドバイスもろくにできず、挙句このような差し出がましい真似を引き下がらずにやろうとするなど、鬱陶しがられてしまった可能性もある。このまま普通にお茶を出すよりは、せめておもてなしの精神を付け加えるべきだろう。
 ちょうど封が開いている個包装のお煎餅があったので、ひとつ取ってソーサーに添える。アールグレイに醤油煎餅。何とも奇妙な組み合わせだ。
「どうぞ、巽さん。引き続き頑張ってください」
「ありがとうございます……ふふっ」
「あうぅ、やっぱり紅茶にお煎餅なんて変でしたよね? すみません、すぐ別のものに――」
「いえ、そのままで。ほんのひとかけらですが、『ときめき』がようやく掴めたような気がしたのです」
「?」
 差し出されたページを覗くと、そこは部活動の休憩時間のシーンのようだった。マネージャーの少女が「お疲れ様」と言いながら部員にスポーツドリンクを配り歩き、最後の相手にだけ「頑張ってたね」の一言とサイダー味の飴玉を付け加えている。
「自分だけに宛てられた特別な差し入れ……なるほど、これは心が躍りますな」
「あ……ぇ……ヒィ……」
 嬉しそうにカップを手に取る巽さんは、いつもの曇りなき笑顔に僅かな意地の悪さを滲ませていた。
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