巽マヨワンライアーカイブ
午前五時。
身支度を軽く整え、ベランダに出る。本来ならば星奏館に入居していたときのように水辺のある場所で礼拝を行いたいところだが、アイドルの王国の外は一般人の世界。どこで見られているか分からないところへと不用意に出て行くことはできないので、妥協案を出すことにした。
「おはようございます。今日も一段と葉の艶が良くなっていますな」
同居人と二人で選んだ鉢植えのハーブ。じょうろ型のキャップをつけたペットボトルに汲んできた水を土にかけることで、そこを『水辺』と見なす。このアイデアを同居人に話したら『そんなに適当でいいんですかぁ……?』と呆れられたけれど、実家にいた頃も植物に囲まれた庭園で礼拝を行ってきたし、環境は似たようなものだろう。肝要なのは信仰心だ。生物を慈しみながら礼拝を行ったところで、神も怒る理由はありますまい。
午前七時。
礼拝を終えてからしばらく書きものをしていたら、時間があっという間に過ぎてしまう。ダブルベッドの枕元に置かれた目覚まし時計が耳につく電子音を鳴らし始めたのを合図に、盛り上がった掛け布団がもぞもぞと緩慢に揺れた。
「んん……」
ぴぴぴぴ――ぱちん。
「ん~……」
「こら」
「ヒィッ」
機械仕掛けの朝告げ箱を黙らせるだけ黙らせて、再び夢の世界へ戻ろうとする彼の腕を引っ張って現実に引き戻す。短く漏れた悲鳴は、驚愕の色。
「休日だからと言っていつまでも寝ていてはいけませんよ。怠惰は大罪です、分かりますね?」
「んぅ……あのぉ、巽さん。あと五分だけで構いませんので……今から戻れば夢の中のお頭に――」
「マヨイさん?」
「ヒィッ! すみません、すみません! すぐ起きますぅうう!」
少し強めの圧力をかけてみると、マヨイさんは寝癖のひとつもついていない髪をいそいそと束ね、転びそうな勢いでベッドから下りる。生活リズムがなかなか揃わない分、二人揃ってのオフの日くらいは甘やかして差し上げたいのが本音だが、あまり彼のためにならないことをするのも宜しくない。心を鬼にして、二人きりの休日を謳歌するのだ。
午前九時。
食べ終えた朝食の食器を洗う間、背後で洗濯機を操作する気配。団欒がひと段落したあとの、お互いの存在を確認し合いながらの別行動。余韻のようなこの時間がとても愛おしい。
1LDK、キッチンは広めで。万全のセキュリティ、高層階のRC造。狭いところを好むマヨイさんと、清貧を重んじる俺のこだわりはほとんど一致していて。ゆえに悩むことなく決定したこの部屋での生活に馴染むまでさほど時間はかからなかった。出会ってから少しの間だけ共同生活をしていたこともあるし、常にそこに互いがいることで生まれるのは違和感どころかむしろ安心感だ。
最後の食器を洗い終えて、銀色のレバーを下げる。ちょうどスタートボタンを押したばかりの細い指を手に取り、「少々お付き合い願えますか」と声をかけた。
午後十二時半。
ベランダに干した洗濯物がほどよく日光を遮り、室内は眩しすぎず暗すぎず。朝食の余りで軽く昼食を済ませてから、再びリビングのソファの定位置に二人して戻ってきた。
「次はどちらにしましょう」
「あっ、私これ気になってたんです。このシリーズの前作がとても印象的で」
「分かりました。では、セットしますな」
「えっ。巽さん、DVDプレーヤー触ったことありましたっけ?」
指摘され、パッケージを掴んだ手がぴしりと止まる。見よう見まねでできるものだと思っていたが、そういうものでもないのかも知れない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。
「……お願いできますか、マヨイさん」
「は、はいぃ! ちゃんと操作も教えてあげますからね!」
午後六時。
「……おや」
気付けば画面は停止し、窓の外も東雲色。一体いつから眠ってしまっていたのか見当もつかない。
左肩に重みを感じてそちらに視線をやると、艶やかな濃紫の頭が呼吸に合わせて上下している。これではきっとどちらも映画を最後まで見られていないことだろう。幸い、返却期限までまだ日はある。この続きはまた今度にしよう。
起こさないように気を付けながら、凭れてくるその身体をゆっくりソファに横たえる。すっかりシルエットとなってしまった洗濯物を救出するべくベランダに続く窓を開け放つと、爽やかなそよ風がひゅうと室内に吹き込んだ。
身支度を軽く整え、ベランダに出る。本来ならば星奏館に入居していたときのように水辺のある場所で礼拝を行いたいところだが、アイドルの王国の外は一般人の世界。どこで見られているか分からないところへと不用意に出て行くことはできないので、妥協案を出すことにした。
「おはようございます。今日も一段と葉の艶が良くなっていますな」
同居人と二人で選んだ鉢植えのハーブ。じょうろ型のキャップをつけたペットボトルに汲んできた水を土にかけることで、そこを『水辺』と見なす。このアイデアを同居人に話したら『そんなに適当でいいんですかぁ……?』と呆れられたけれど、実家にいた頃も植物に囲まれた庭園で礼拝を行ってきたし、環境は似たようなものだろう。肝要なのは信仰心だ。生物を慈しみながら礼拝を行ったところで、神も怒る理由はありますまい。
午前七時。
礼拝を終えてからしばらく書きものをしていたら、時間があっという間に過ぎてしまう。ダブルベッドの枕元に置かれた目覚まし時計が耳につく電子音を鳴らし始めたのを合図に、盛り上がった掛け布団がもぞもぞと緩慢に揺れた。
「んん……」
ぴぴぴぴ――ぱちん。
「ん~……」
「こら」
「ヒィッ」
機械仕掛けの朝告げ箱を黙らせるだけ黙らせて、再び夢の世界へ戻ろうとする彼の腕を引っ張って現実に引き戻す。短く漏れた悲鳴は、驚愕の色。
「休日だからと言っていつまでも寝ていてはいけませんよ。怠惰は大罪です、分かりますね?」
「んぅ……あのぉ、巽さん。あと五分だけで構いませんので……今から戻れば夢の中のお頭に――」
「マヨイさん?」
「ヒィッ! すみません、すみません! すぐ起きますぅうう!」
少し強めの圧力をかけてみると、マヨイさんは寝癖のひとつもついていない髪をいそいそと束ね、転びそうな勢いでベッドから下りる。生活リズムがなかなか揃わない分、二人揃ってのオフの日くらいは甘やかして差し上げたいのが本音だが、あまり彼のためにならないことをするのも宜しくない。心を鬼にして、二人きりの休日を謳歌するのだ。
午前九時。
食べ終えた朝食の食器を洗う間、背後で洗濯機を操作する気配。団欒がひと段落したあとの、お互いの存在を確認し合いながらの別行動。余韻のようなこの時間がとても愛おしい。
1LDK、キッチンは広めで。万全のセキュリティ、高層階のRC造。狭いところを好むマヨイさんと、清貧を重んじる俺のこだわりはほとんど一致していて。ゆえに悩むことなく決定したこの部屋での生活に馴染むまでさほど時間はかからなかった。出会ってから少しの間だけ共同生活をしていたこともあるし、常にそこに互いがいることで生まれるのは違和感どころかむしろ安心感だ。
最後の食器を洗い終えて、銀色のレバーを下げる。ちょうどスタートボタンを押したばかりの細い指を手に取り、「少々お付き合い願えますか」と声をかけた。
午後十二時半。
ベランダに干した洗濯物がほどよく日光を遮り、室内は眩しすぎず暗すぎず。朝食の余りで軽く昼食を済ませてから、再びリビングのソファの定位置に二人して戻ってきた。
「次はどちらにしましょう」
「あっ、私これ気になってたんです。このシリーズの前作がとても印象的で」
「分かりました。では、セットしますな」
「えっ。巽さん、DVDプレーヤー触ったことありましたっけ?」
指摘され、パッケージを掴んだ手がぴしりと止まる。見よう見まねでできるものだと思っていたが、そういうものでもないのかも知れない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。
「……お願いできますか、マヨイさん」
「は、はいぃ! ちゃんと操作も教えてあげますからね!」
午後六時。
「……おや」
気付けば画面は停止し、窓の外も東雲色。一体いつから眠ってしまっていたのか見当もつかない。
左肩に重みを感じてそちらに視線をやると、艶やかな濃紫の頭が呼吸に合わせて上下している。これではきっとどちらも映画を最後まで見られていないことだろう。幸い、返却期限までまだ日はある。この続きはまた今度にしよう。
起こさないように気を付けながら、凭れてくるその身体をゆっくりソファに横たえる。すっかりシルエットとなってしまった洗濯物を救出するべくベランダに続く窓を開け放つと、爽やかなそよ風がひゅうと室内に吹き込んだ。