きれいな古傷が好きでした
過去の感覚にしがみつくことを諦め、新生『ドリフェス』制度にもそこそこ慣れてきた――そんな慢心は、重力と酸素に見放されたこの宇宙空間では命取りだと理解していたはずなのに。
「……っ」
「タッツン先輩のせいじゃないって。二人が前に出てくれなかったら、今頃おれたち全員スペースデブリだよォ」
「ウム。残酷な言い方だけれど、犠牲は少なく済んで良かった。マヨイ先輩も、別にあれで死んだわけではないんだろう? 搬送前に確認した、脈はまだ残っていたよ」
気丈に振る舞う二人だったが、よく見ると藍良さんの大きな瞳は潤み、一彩さんの傷だらけの手は震えている。情けない。恐れや哀しみには敏感な彼の戻りを待つ間、俺だけが平静を装えないでいるなど。
「あっ、どこ行くの?」
「……飲み物を調達しに。マヨイさんもきっと疲れていることでしょう。四人揃ったら、ライブ完遂記念のティータイムにしましょうか」
後ろ手に指を組み、控え室をあとにする。たとえ身内であっても歪んだ顔を見せたくないだけ。本当に欲しいのは労いのドリンクなどではなく、無事に復活した仲間の見慣れた困り顔だけ。今日という日くらい、優しい嘘ならば主もお許しになるだろう。
足早に廊下を進み、入り組んだところに出る。何故か医務室はあまり人目につかないところにあるため、道を間違えないよう慎重にルートを反芻した。
ふと、視界の端で何かを捉える。鈍い銀色ばかりのスペースコロニーの壁に馴染まない葡萄色。半身になってようやく入るような廊下とも呼べぬ隙間の奥で、綺麗な細い髪が揺れていた。
「マヨイさん……?」
いつの間に構造などを知ったのか、舞台が地上から宇宙に移っても、彼は相変わらずこういった隙間や床下を好んで徘徊しているようだった。以前どこかに引っ掛けたとか何とかで首の付け根に痕が残る傷を負って出てきたとき、厳重に注意したら子犬のように萎れてしまった顔を思い出して、失礼かつ不謹慎ながら少しだけ頬が緩む。
「ご無事で何よりです、マヨイさん。そんなところにいないで、早く一彩さんと藍良さんのところに――」
べちょ。
「……!?」
暗がりに伸びていた手を掴むと、不快なぬめりが手のひらを濡らす。反射的に引っ込めると、マヨイさんに触れた手には赤茶けた液体がべっとりこびりついていた。
「ひっ……!」
理解が追いつかない。それこそ冗談であってほし『かった』。そう、過去形。つまり次の瞬間には、それが真実であることが確定事項となってしまったのである。
「あのぅ、巽さぁん……? 何をしているのですか、そんな薄暗がりで」
「!」
「ダメですよぉ。あなたのようなおかたが、軽率にESスペースコロニーの内臓をまさぐっては。あとでバレる前に監視カメラのデータを改竄するの、すごぉく大変なんですから……ふふ、ふふふ♪」
同じ声。同じ髪。同じ制服。同じ顔。色気のあるほくろの位置も、無理に力が加わった眉の角度も、全てが俺の知る通りの礼瀬マヨイさん。ただひとつを除いて、状態はほぼ完璧に近い。しかし、その『ひとつ』は、俺にとっては致命的な違いだった。
「……あなた、誰ですか」
「そんなっ、意地悪しないでくださぁい! 私です、私! 巽さんと同じユニットの、『ALKALOID』の礼瀬マヨイですぅうう!」
「白々しい嘘をつくな、悪魔め!」
再び、廊下の隙間に手を伸ばす。乾きかけの血で手が汚れることも厭わず、その冷たい躰を引っ張り出した。
「……これは、どういうことですか。あなたがマヨイさんを殺したのですか?」
「殺すなんてとんでもない! 私の致命傷は確かに先ほどの『ドリフェス』で負ったもので、死因自体はクルースタッフによる安楽死ですっ!」
「安楽死……?」
「それに、『それ』も私も魂は同じ。むしろ、遺伝子情報に残らない後天的な見苦しい古傷などが消えた分、見目の不快感は私の方が少しだけ軽減されて――」
「――言っている意味が、理解できませんな」
力の抜けた死体の首元に触れると、三角形の彫刻刀で削ったような引っ掻き傷の感触がある。アイドルが身体に傷をつけるなど御法度だけれど、ちょっとした思い出の証だと思って俺は内心気に入っていた。
それが、目の前の彼にはない。まるで、ライブとは関係のない普通の日常を愚弄されたような心地がする言い分も含めて、目の前にいる麗人が自分の知るマヨイさんだとはにわかに信じ難かった。
これでは、まるで――
「はい。もっと噛み砕いて、子供にも分かりやすい言葉でお話しましょうか。どうせ私の秘密を知られてしまったのです、あとで反逆者の私と一緒に二人まとめて始末されるでしょうし」
低く、小さく、声色が落とされる。そこから先は、確かに分かりやすくはあったものの、受け入れられるかどうかはまた別問題の話の羅列だった。クローン技術を用いた不老不死の実現、徹底されたディストピア、何代目かも数えきれない仲間たちと――これで七代目の俺。
「でも、勘違いしないでください。私だって足掻いているんですよぉ? 秘密裏に自分の記憶を個人的にバックアップして、今代のうちに先代の死体をこっそり回収し、解剖などをしたら何かが分かるんじゃないかって……まぁ、それも実現しなかったわけですが。次の私は上手くやってくれるといいですねぇ……?」
するり、とマヨイさんのしなやかな白い手が首に巻きつく。指の感触とは別に、喉に触れた手のひらの中に人肌とは明らかに異なる温度。
「マヨイさん、何を……?」
「ES側に捕まってしまっては、何をされるか分かりません。せめて、ここで私が巽さんに楽をさせてあげます」
ぐ、と締めつけが強まる。一秒後、喉が焼けるような激痛と、白い光、重い轟音に脳を揺さぶら
れ
「……っ」
「タッツン先輩のせいじゃないって。二人が前に出てくれなかったら、今頃おれたち全員スペースデブリだよォ」
「ウム。残酷な言い方だけれど、犠牲は少なく済んで良かった。マヨイ先輩も、別にあれで死んだわけではないんだろう? 搬送前に確認した、脈はまだ残っていたよ」
気丈に振る舞う二人だったが、よく見ると藍良さんの大きな瞳は潤み、一彩さんの傷だらけの手は震えている。情けない。恐れや哀しみには敏感な彼の戻りを待つ間、俺だけが平静を装えないでいるなど。
「あっ、どこ行くの?」
「……飲み物を調達しに。マヨイさんもきっと疲れていることでしょう。四人揃ったら、ライブ完遂記念のティータイムにしましょうか」
後ろ手に指を組み、控え室をあとにする。たとえ身内であっても歪んだ顔を見せたくないだけ。本当に欲しいのは労いのドリンクなどではなく、無事に復活した仲間の見慣れた困り顔だけ。今日という日くらい、優しい嘘ならば主もお許しになるだろう。
足早に廊下を進み、入り組んだところに出る。何故か医務室はあまり人目につかないところにあるため、道を間違えないよう慎重にルートを反芻した。
ふと、視界の端で何かを捉える。鈍い銀色ばかりのスペースコロニーの壁に馴染まない葡萄色。半身になってようやく入るような廊下とも呼べぬ隙間の奥で、綺麗な細い髪が揺れていた。
「マヨイさん……?」
いつの間に構造などを知ったのか、舞台が地上から宇宙に移っても、彼は相変わらずこういった隙間や床下を好んで徘徊しているようだった。以前どこかに引っ掛けたとか何とかで首の付け根に痕が残る傷を負って出てきたとき、厳重に注意したら子犬のように萎れてしまった顔を思い出して、失礼かつ不謹慎ながら少しだけ頬が緩む。
「ご無事で何よりです、マヨイさん。そんなところにいないで、早く一彩さんと藍良さんのところに――」
べちょ。
「……!?」
暗がりに伸びていた手を掴むと、不快なぬめりが手のひらを濡らす。反射的に引っ込めると、マヨイさんに触れた手には赤茶けた液体がべっとりこびりついていた。
「ひっ……!」
理解が追いつかない。それこそ冗談であってほし『かった』。そう、過去形。つまり次の瞬間には、それが真実であることが確定事項となってしまったのである。
「あのぅ、巽さぁん……? 何をしているのですか、そんな薄暗がりで」
「!」
「ダメですよぉ。あなたのようなおかたが、軽率にESスペースコロニーの内臓をまさぐっては。あとでバレる前に監視カメラのデータを改竄するの、すごぉく大変なんですから……ふふ、ふふふ♪」
同じ声。同じ髪。同じ制服。同じ顔。色気のあるほくろの位置も、無理に力が加わった眉の角度も、全てが俺の知る通りの礼瀬マヨイさん。ただひとつを除いて、状態はほぼ完璧に近い。しかし、その『ひとつ』は、俺にとっては致命的な違いだった。
「……あなた、誰ですか」
「そんなっ、意地悪しないでくださぁい! 私です、私! 巽さんと同じユニットの、『ALKALOID』の礼瀬マヨイですぅうう!」
「白々しい嘘をつくな、悪魔め!」
再び、廊下の隙間に手を伸ばす。乾きかけの血で手が汚れることも厭わず、その冷たい躰を引っ張り出した。
「……これは、どういうことですか。あなたがマヨイさんを殺したのですか?」
「殺すなんてとんでもない! 私の致命傷は確かに先ほどの『ドリフェス』で負ったもので、死因自体はクルースタッフによる安楽死ですっ!」
「安楽死……?」
「それに、『それ』も私も魂は同じ。むしろ、遺伝子情報に残らない後天的な見苦しい古傷などが消えた分、見目の不快感は私の方が少しだけ軽減されて――」
「――言っている意味が、理解できませんな」
力の抜けた死体の首元に触れると、三角形の彫刻刀で削ったような引っ掻き傷の感触がある。アイドルが身体に傷をつけるなど御法度だけれど、ちょっとした思い出の証だと思って俺は内心気に入っていた。
それが、目の前の彼にはない。まるで、ライブとは関係のない普通の日常を愚弄されたような心地がする言い分も含めて、目の前にいる麗人が自分の知るマヨイさんだとはにわかに信じ難かった。
これでは、まるで――
「はい。もっと噛み砕いて、子供にも分かりやすい言葉でお話しましょうか。どうせ私の秘密を知られてしまったのです、あとで反逆者の私と一緒に二人まとめて始末されるでしょうし」
低く、小さく、声色が落とされる。そこから先は、確かに分かりやすくはあったものの、受け入れられるかどうかはまた別問題の話の羅列だった。クローン技術を用いた不老不死の実現、徹底されたディストピア、何代目かも数えきれない仲間たちと――これで七代目の俺。
「でも、勘違いしないでください。私だって足掻いているんですよぉ? 秘密裏に自分の記憶を個人的にバックアップして、今代のうちに先代の死体をこっそり回収し、解剖などをしたら何かが分かるんじゃないかって……まぁ、それも実現しなかったわけですが。次の私は上手くやってくれるといいですねぇ……?」
するり、とマヨイさんのしなやかな白い手が首に巻きつく。指の感触とは別に、喉に触れた手のひらの中に人肌とは明らかに異なる温度。
「マヨイさん、何を……?」
「ES側に捕まってしまっては、何をされるか分かりません。せめて、ここで私が巽さんに楽をさせてあげます」
ぐ、と締めつけが強まる。一秒後、喉が焼けるような激痛と、白い光、重い轟音に脳を揺さぶら
れ
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