【web再録】たまごサンドの隠し味
土曜日、午前十時。
天気予報の先取りをしたかのような、青。
「はぁ……」
待ち合わせは中庭、各自朝食後にお弁当を持って集合。エネルギー消費のためしばらくお散歩でもして、南側の緑地に着いたらお互いが用意したお弁当を交換して実食――これが今日のおよその流れとなっている。
逃げも隠れもできない快晴のなか、木陰だけが私の唯一の味方。いっそこのまま時間が過ぎてしまえばいい、なんて、花壇に水をかける巽さんの背中を見つめながら願ってしまう己の身勝手さが嫌になりそうだ。
「お待たせしました。お弁当、預かってくださってありがとうございます」
「は、はい。あの、よかったら巽さんのお弁当もこのまま現地までお持ちしましょうか?」
「あぁ、確かにそのトートバッグにならもうひとつくらい入りそうですな。それにしてもマヨイさん、随分な大荷物で」
「いえ、中身は大して入っていませんよ。レジャーシートとか救急セットとか、いつも『お泊まりレジャー隊』の活動で持っていくアウトドア用品を最小限にしたくらいなので」
膝に乗せていた麻製のトートバッグを開いて、持ち物がよく見えるように中身をひとつずつ捲っていく。まさかこんな形で外遊びの知識が役に立つとは夢にも思わなかった。そして、引きこもりの私がそんな知識を得る場に出会えるとも。
「ふふ。マヨイさんが外での活動に慣れてきているようで俺も嬉しいです。しかし、あなたに荷物を持たせて俺だけ手ぶらというわけにもいきませんな。大した重さでもありませんし、自分のものは自分で運びます」
「そ、そうですか……?」
「はい。むしろ、折角の休日に付き合わせてしまっているのは俺の方です。水やり当番の仕事で待たせてしまったことも含めて、後日お礼をさせてください」
「そんな、お礼だなんて! 私はレッスン以外で巽さんに頼られるという貴重な体験ができただけで満足していますから! これ以上を求めるなんて烏滸がましい……!」
「ご遠慮なさらず。マヨイさんの行きたいところにどこまでもお供しましょう。必要ならば車を出すこともでき――」
「本当に! お気持ちだけで結構ですのでぇええ……っ!」
三半規管の未来に一抹の不安を抱きながら立ち上がり、底の方に入っていた折り畳み式の傘を取り出す。秋とはいえ、こうも晴れているときに日が高くなってくると少し暑い。普通に向かえば徒歩十分程度のところ、逆方向から遠回りすることになっているので目的地までは三十分以上かかる。まずそこまで生きていられるかが第一関門だ。
埋立地であるESは、コンクリートだけでなく水辺の反射もあり、場所によっては視線の置き場に困ってしまう。サングラスでも持っていればその心配はないのかも知れないが、そもそも私の存在はまばゆい光を目に入れることを想定して作られてはいない。結局、小さな日傘の真っ黒い裏地を見つめながら、相手から振られる世間話に適当な相槌をうつのが精一杯だった。
「あっ、見えてきました。マヨイさん、[[rb:空 > あ]]いていそうなのであの辺りにしましょう」
川沿いの道をまっすぐ進めば、小さな自然公園のような開けたところに出る。
芝生を駆け回る子供や写真撮影中の学生グループ、向こうにESビルが突き抜けている木陰側も、子供の付き添いの親御さんや運動着姿で涼んでいる老夫婦などがちらほらいる程度で、広い緑地には程よい環境音を内包した穏やかな空間が広がっている。巽さんが指さした辺りはよく日の当たる芝生の隅っこの方で、午後に東に向かって影が伸びていくと木で上手く遮られそうな位置だった。
「すみません。日陰になるまでしばらく時間がかかりそうですが、昼過ぎの方が気温も上がってきますし、そのときに移動できる保証もありませんからな。少しだけ我慢できますか?」
「はい、ずっと日傘をさしていれば何とか……」
「分かりました。とはいえ、本当に辛くなったら無理しないでくださいね」
レジャーシートを広げて、脱いだ靴を角に置いて重り代わりにする。木の根元に近い方に私が座ると、『俺の影に入っていてください』と言わんばかりに巽さんが向かい合わせの位置に来た。
「えぇっとぉ……まだお昼まで時間がありますけど、もう本題に入っちゃいます?」
「そうですな。あまり焦らすものでもありませんし、早く目的を達成してしまいましょう」
そう答えると、巽さんはランチバッグからいそいそと紺色の二段弁当とステンレスの水筒を取り出す。のんびりしていそうに見えてたまに垣間見える効率主義な一面は、かつてトップアイドルとして忙しくしていた頃の名残なのかも知れない。
私も手作りの風呂敷を解いて、お弁当を巽さんに手渡す。機能的でシンプルな二段の箱と、コンパクトに見えてしっかり入る一段の箱が揃った。
「「せー、の」」
ぱかっ。
「…………!」
「おぉ、これは……」
巽さんのお弁当は、上段におかず、下段にご飯という構成になっているようだ。唐揚げにレタス、プチトマト、卵焼きなどの定番を押さえつつ、ご飯は適量より控えめに盛られている。しかも混ぜ込みおにぎり用のわかめふりかけで味付けが施されており、おかずとのバランスが崩れてもご飯だけで食べられる工夫がなされているのが読み取れた。
一方、私が用意してきたものは――
「サンドイッチ、ですか」
「は、はい……短時間でたくさん作れますし、選び方によって好みを知ることもできるので……」
「ふむ。好みを」
「あぁああっ、ち、違うんです! 別に相手の好き嫌いを把握したうえでどうこうしようなどという邪な考えはなくて、ただ……!」
「ふふ、分かっていますとも。より好みに近いものを作ったり、二人で入るお店を選んだりするときの参考にするのでしょう?」
「えぇ、まぁ……そういうことにしておきます……」
日の丸弁当の梅干を口に放り込むときのお頭の瞳の輝きを心の奥にそっとしまい込み、具の解説に入る。
BLT、たまご、ハムチーズ、ポテトサラダをそれぞれ二つずつ。長方形に切った食パンには、食べるときにだけ分かる仕掛けがある。
「なるほど、由来通りのトランプ型というわけですか。この焼き印はどこで?」
「えっと、私の手作りです。というか、市販の道具でいろいろ工夫して……」
「そうですか。流石の職人芸ですな。マヨイさんになら安心して任せられそうです」
「……何だか、雑誌企画の練習台以上の意味が含まれているように聞こえるのは気のせいでしょうか……?」
記録用にと私の作ったサンドイッチの写真を撮る巽さんを待つ間、彼がいれてきてくれたお茶をプラスチックのコップに注いでおく。段の仕切りに収納されていた箸を出したら、いざ実食。
「我らが神よ、本日の糧に感謝します。Amen」
「いただきます」
箸を進める度、旧館時代の思い出が蘇る。巽さんの手料理を食べたのもいつぶりになるだろう。砂糖と塩だけのシンプルな味付けの卵焼き、黒胡椒がきいた柔らかい唐揚げ。トランプの楊枝を刺したうずらの卵や、塩気の薄い焼き鮭が入っている日もあった。小さなハンバーグをひと口で頬張る一彩さん、『ラブい』タコさんウインナーに大喜びする藍良さん、あまり食の進まない私にも巽さんはいろいろとすすめてくれた。『ひと口だけ頑張ってみましょう?』なんて、ちっちゃい子みたいに諭されながら完食したたまごサンドの味を今でもよく覚えている。
「いかがでしょうか? 『プロデューサー』さんにもアドバイスを戴いて俺なりに考えてみたのですが、どうか忌憚ない意見を聞かせてください」
「あっ、はい! すごく美味しいですぅ! このままの内容で持って行っても全く問題ないと思いますっ!」
「それはよかった。デザートも用意しているので、遠慮なくどうぞ」
再び巽さんがランチバッグに手を入れると、円筒形の小さな保存容器が顔を出した。半透明の容器の中に、ひと口大の紫色の粒がいくつも見える。
「えぇっ!? い、いいんですか!?」
「ふふ、そんなに喜ばれると持ってきた甲斐がありましたな。見ての通り少しだけですが、お好きと伺っていたので」
「あ、ありがとうございますぅうう……! うぅ、早く食べたいのにまだこんなに……いえ、量の問題ではなく食べるのが遅い私がいけないのですが!」
「そんなことありませんよ、きっと俺が早いだけですな」
見ると、巽さんはもう既にサンドイッチを三つ食べ終えており、あと一種類で味は全て制覇できるところまできていた。残るひとつは、たまごサンド。今日のいちばんの自信作。
――いいえ。『自信作』だなんて、おかしいですよね。お弁当を作る練習をするのは巽さんなのだから、本当は私が用意するものなんか何でもよかったのに。冷凍食品と生野菜だけでもお弁当は成立する。卵を茹でてマヨネーズと和えるときの配合とか、味付けは塩か黒胡椒かだとか、そんなこと考えたって仕方ないのに。
嗚呼、巽さん。マヨイは悪い子です。だって私は、
「……!」
これまでにこやかに食べていたあなたのその驚く顔が見たくて、ちょっとしたお返しを企んでいたのですから。
「マヨイさん、これは……」
「うふふふ、気付いていただけましたかぁ? 巽さんが以前作ってくださったたまごサンド、その配合と味付けを再現してみましたぁあ……♪」
スライスするときに潰れないようゆで卵は固めに。素材の味を好む傾向にあるせいか、マヨネーズは控えめで最低限のつなぎになる量。そして隠し味は手作りのハニーマスタード。私や藍良さんが甘い味付けのものによく手をつけていたのを覚えていたようで、あの日食べたものは少し蜂蜜の方が多めに入っていた。
「見た目、味、そして巽さん自身の解説……手がかりは十分すぎるほどありましたからねぇ。作った本人に同じ味を返してみるのも面白そうだと思って――」
「……」
「あ、あの……巽さん、怒ってます? あぁっ、お口に合わなかったのならすみません! 私は他人の見慣れた表情が歪むところを見られただけで満たされてしまう卑しい生き物です! 真面目な特訓の場を欲望で穢してしまってすみませぇええんっ!」
「いえ、違います。何というか……嬉しいです」
「え……?」
小さなピースをあっという間に食べ終えて、二つ目のたまごサンドに手を伸ばす巽さん。
「味を覚えているということは、それほど印象に残っているということです。仲間の好みに合わせただけの凡庸な味付けを、それでもあなたは覚えていてくれた」
凡庸なものか。ピクニックのお弁当に白米でなくわかめご飯を詰める工夫ができる御方の選んだ味なのに。
「いい意味か悪い意味かはさておき、こうしてご自身で分析して、再現できるほどに」
いい意味に決まっている。わざわざ不味いものを再現してあなたに出す度胸など、私にあるわけがない。
「マヨイさんの観察力と料理の腕の賜物でもありますが、俺自身がやったことで誰かに何かを与えることができた……その事実が、何よりの贈り物です」
言い返したいことはたくさんあるのに、そんな顔をされては上手に出てこなくなる。安堵の表情なんて、悪戯を仕掛けた相手に返すものではありませんよ。それは自分自身で振る舞ったときのためにとっておくものでしょう?
「贈り物なんて、そんな大層なものでは! ただの悪戯なのに、全てを肯定的に解釈されると困りますぅ……!」
「おや、悪戯だと認めるのですか? ふふ、マヨイさんもやるようになりましたな」
「えっ? あの、えっと……! や、やっぱり怒ってるじゃないですかぁっ!」
「冗談です。折角頑張って作っていただいたのに、怒る理由がありませんな。……そうだ、いいことを思いつきました」
「な、何ですか?」
巽さんは目を輝かせながら、私が手に持っているまだ半分ほどしか進んでいない下段の箱を指さす。
「このたまごサンド、そこに入れることにします」
「入れるって……で、でも、もう食べちゃってますよ?」
「あぁ、そうではなくて。企画に持ち込むときにはわかめご飯の部分をたまごサンドに変更したいという意味です。俺以外の人に再現ができるのなら『真似して作れる』という条件にも当てはまりますし、何よりとても美味しかったので」
ごちそうさまでした、と定型の動作を挟み、巽さんはお弁当箱の蓋を閉めた。透明な蓋越しに空っぽの空間を見下ろしながら、私もご飯を少しずつ食べ進める。
「今日の思い出も添えれば、記事の完成度もきっと上がることでしょう。俺だけでなくマヨイさんのことももっとファンの方々に知ってもらいたいです」
「いやいや、そのファンの皆さんが巽さんとデートをする内容の記事でしょう!? 二人の世界に私を挟もうとしないでください!」
「おや、そうですか? まぁ、最終的に形にするのは編集部のかたなので、俺は好きにさせていただいている分、自分のやるべきことをやるとしましょう」
座る体勢を変えながら上着のポケットをまさぐり、巽さんはいつも持ち歩いている手帳とペンを取り出す。開いたページには、架空のデートの予定らしきタイムスケジュールと、様々なお弁当の具材候補が箇条書きでびっしり書き込まれていた。
「マヨイさん、食べながらで構いません。今から俺なりに考えた『行楽シーズンのピクニックデート』というものをお話ししてみますので、あなたの意見を聞かせてください。あと、お弁当についても他に何か良いアイデアがあれば」
ペンを構えて、お仕事モードの顔つきになった巽さん。ここから先は、仲間は仲間でも『仕事仲間』としての私たち。
いつの間にか日は高く昇って、遠くから正午のチャイムが聞こえる。あんなに各々の休日を謳歌していた人々も、気が付けばそこかしこで円を描いてお弁当を囲んでいた。
いちばん明るいこの時間は苦手だけれど、この空気は――このひとときはいつまでも大切にしたい。たとえ巽さんの瞳に映っているのが既に他の誰かであったとしても、すぐ傍にいるのは紛れもなくこの私だ。
「そうですねぇ……」
だから、もうひとつだけ悪戯を。欲深く卑しい私は、全てなんか譲らない。ひとつだけなら、私だけのものにしても許されていいはずだ。私たちに作ってくださったたまごサンドの隠し味を、あなたは『みんなのもの』にしてしまうつもりなのだから。
「まず、葡萄を出す相手は私だけにしてください。今の旬のものなんて、発売時期には相応しくないでしょう?」
天気予報の先取りをしたかのような、青。
「はぁ……」
待ち合わせは中庭、各自朝食後にお弁当を持って集合。エネルギー消費のためしばらくお散歩でもして、南側の緑地に着いたらお互いが用意したお弁当を交換して実食――これが今日のおよその流れとなっている。
逃げも隠れもできない快晴のなか、木陰だけが私の唯一の味方。いっそこのまま時間が過ぎてしまえばいい、なんて、花壇に水をかける巽さんの背中を見つめながら願ってしまう己の身勝手さが嫌になりそうだ。
「お待たせしました。お弁当、預かってくださってありがとうございます」
「は、はい。あの、よかったら巽さんのお弁当もこのまま現地までお持ちしましょうか?」
「あぁ、確かにそのトートバッグにならもうひとつくらい入りそうですな。それにしてもマヨイさん、随分な大荷物で」
「いえ、中身は大して入っていませんよ。レジャーシートとか救急セットとか、いつも『お泊まりレジャー隊』の活動で持っていくアウトドア用品を最小限にしたくらいなので」
膝に乗せていた麻製のトートバッグを開いて、持ち物がよく見えるように中身をひとつずつ捲っていく。まさかこんな形で外遊びの知識が役に立つとは夢にも思わなかった。そして、引きこもりの私がそんな知識を得る場に出会えるとも。
「ふふ。マヨイさんが外での活動に慣れてきているようで俺も嬉しいです。しかし、あなたに荷物を持たせて俺だけ手ぶらというわけにもいきませんな。大した重さでもありませんし、自分のものは自分で運びます」
「そ、そうですか……?」
「はい。むしろ、折角の休日に付き合わせてしまっているのは俺の方です。水やり当番の仕事で待たせてしまったことも含めて、後日お礼をさせてください」
「そんな、お礼だなんて! 私はレッスン以外で巽さんに頼られるという貴重な体験ができただけで満足していますから! これ以上を求めるなんて烏滸がましい……!」
「ご遠慮なさらず。マヨイさんの行きたいところにどこまでもお供しましょう。必要ならば車を出すこともでき――」
「本当に! お気持ちだけで結構ですのでぇええ……っ!」
三半規管の未来に一抹の不安を抱きながら立ち上がり、底の方に入っていた折り畳み式の傘を取り出す。秋とはいえ、こうも晴れているときに日が高くなってくると少し暑い。普通に向かえば徒歩十分程度のところ、逆方向から遠回りすることになっているので目的地までは三十分以上かかる。まずそこまで生きていられるかが第一関門だ。
埋立地であるESは、コンクリートだけでなく水辺の反射もあり、場所によっては視線の置き場に困ってしまう。サングラスでも持っていればその心配はないのかも知れないが、そもそも私の存在はまばゆい光を目に入れることを想定して作られてはいない。結局、小さな日傘の真っ黒い裏地を見つめながら、相手から振られる世間話に適当な相槌をうつのが精一杯だった。
「あっ、見えてきました。マヨイさん、[[rb:空 > あ]]いていそうなのであの辺りにしましょう」
川沿いの道をまっすぐ進めば、小さな自然公園のような開けたところに出る。
芝生を駆け回る子供や写真撮影中の学生グループ、向こうにESビルが突き抜けている木陰側も、子供の付き添いの親御さんや運動着姿で涼んでいる老夫婦などがちらほらいる程度で、広い緑地には程よい環境音を内包した穏やかな空間が広がっている。巽さんが指さした辺りはよく日の当たる芝生の隅っこの方で、午後に東に向かって影が伸びていくと木で上手く遮られそうな位置だった。
「すみません。日陰になるまでしばらく時間がかかりそうですが、昼過ぎの方が気温も上がってきますし、そのときに移動できる保証もありませんからな。少しだけ我慢できますか?」
「はい、ずっと日傘をさしていれば何とか……」
「分かりました。とはいえ、本当に辛くなったら無理しないでくださいね」
レジャーシートを広げて、脱いだ靴を角に置いて重り代わりにする。木の根元に近い方に私が座ると、『俺の影に入っていてください』と言わんばかりに巽さんが向かい合わせの位置に来た。
「えぇっとぉ……まだお昼まで時間がありますけど、もう本題に入っちゃいます?」
「そうですな。あまり焦らすものでもありませんし、早く目的を達成してしまいましょう」
そう答えると、巽さんはランチバッグからいそいそと紺色の二段弁当とステンレスの水筒を取り出す。のんびりしていそうに見えてたまに垣間見える効率主義な一面は、かつてトップアイドルとして忙しくしていた頃の名残なのかも知れない。
私も手作りの風呂敷を解いて、お弁当を巽さんに手渡す。機能的でシンプルな二段の箱と、コンパクトに見えてしっかり入る一段の箱が揃った。
「「せー、の」」
ぱかっ。
「…………!」
「おぉ、これは……」
巽さんのお弁当は、上段におかず、下段にご飯という構成になっているようだ。唐揚げにレタス、プチトマト、卵焼きなどの定番を押さえつつ、ご飯は適量より控えめに盛られている。しかも混ぜ込みおにぎり用のわかめふりかけで味付けが施されており、おかずとのバランスが崩れてもご飯だけで食べられる工夫がなされているのが読み取れた。
一方、私が用意してきたものは――
「サンドイッチ、ですか」
「は、はい……短時間でたくさん作れますし、選び方によって好みを知ることもできるので……」
「ふむ。好みを」
「あぁああっ、ち、違うんです! 別に相手の好き嫌いを把握したうえでどうこうしようなどという邪な考えはなくて、ただ……!」
「ふふ、分かっていますとも。より好みに近いものを作ったり、二人で入るお店を選んだりするときの参考にするのでしょう?」
「えぇ、まぁ……そういうことにしておきます……」
日の丸弁当の梅干を口に放り込むときのお頭の瞳の輝きを心の奥にそっとしまい込み、具の解説に入る。
BLT、たまご、ハムチーズ、ポテトサラダをそれぞれ二つずつ。長方形に切った食パンには、食べるときにだけ分かる仕掛けがある。
「なるほど、由来通りのトランプ型というわけですか。この焼き印はどこで?」
「えっと、私の手作りです。というか、市販の道具でいろいろ工夫して……」
「そうですか。流石の職人芸ですな。マヨイさんになら安心して任せられそうです」
「……何だか、雑誌企画の練習台以上の意味が含まれているように聞こえるのは気のせいでしょうか……?」
記録用にと私の作ったサンドイッチの写真を撮る巽さんを待つ間、彼がいれてきてくれたお茶をプラスチックのコップに注いでおく。段の仕切りに収納されていた箸を出したら、いざ実食。
「我らが神よ、本日の糧に感謝します。Amen」
「いただきます」
箸を進める度、旧館時代の思い出が蘇る。巽さんの手料理を食べたのもいつぶりになるだろう。砂糖と塩だけのシンプルな味付けの卵焼き、黒胡椒がきいた柔らかい唐揚げ。トランプの楊枝を刺したうずらの卵や、塩気の薄い焼き鮭が入っている日もあった。小さなハンバーグをひと口で頬張る一彩さん、『ラブい』タコさんウインナーに大喜びする藍良さん、あまり食の進まない私にも巽さんはいろいろとすすめてくれた。『ひと口だけ頑張ってみましょう?』なんて、ちっちゃい子みたいに諭されながら完食したたまごサンドの味を今でもよく覚えている。
「いかがでしょうか? 『プロデューサー』さんにもアドバイスを戴いて俺なりに考えてみたのですが、どうか忌憚ない意見を聞かせてください」
「あっ、はい! すごく美味しいですぅ! このままの内容で持って行っても全く問題ないと思いますっ!」
「それはよかった。デザートも用意しているので、遠慮なくどうぞ」
再び巽さんがランチバッグに手を入れると、円筒形の小さな保存容器が顔を出した。半透明の容器の中に、ひと口大の紫色の粒がいくつも見える。
「えぇっ!? い、いいんですか!?」
「ふふ、そんなに喜ばれると持ってきた甲斐がありましたな。見ての通り少しだけですが、お好きと伺っていたので」
「あ、ありがとうございますぅうう……! うぅ、早く食べたいのにまだこんなに……いえ、量の問題ではなく食べるのが遅い私がいけないのですが!」
「そんなことありませんよ、きっと俺が早いだけですな」
見ると、巽さんはもう既にサンドイッチを三つ食べ終えており、あと一種類で味は全て制覇できるところまできていた。残るひとつは、たまごサンド。今日のいちばんの自信作。
――いいえ。『自信作』だなんて、おかしいですよね。お弁当を作る練習をするのは巽さんなのだから、本当は私が用意するものなんか何でもよかったのに。冷凍食品と生野菜だけでもお弁当は成立する。卵を茹でてマヨネーズと和えるときの配合とか、味付けは塩か黒胡椒かだとか、そんなこと考えたって仕方ないのに。
嗚呼、巽さん。マヨイは悪い子です。だって私は、
「……!」
これまでにこやかに食べていたあなたのその驚く顔が見たくて、ちょっとしたお返しを企んでいたのですから。
「マヨイさん、これは……」
「うふふふ、気付いていただけましたかぁ? 巽さんが以前作ってくださったたまごサンド、その配合と味付けを再現してみましたぁあ……♪」
スライスするときに潰れないようゆで卵は固めに。素材の味を好む傾向にあるせいか、マヨネーズは控えめで最低限のつなぎになる量。そして隠し味は手作りのハニーマスタード。私や藍良さんが甘い味付けのものによく手をつけていたのを覚えていたようで、あの日食べたものは少し蜂蜜の方が多めに入っていた。
「見た目、味、そして巽さん自身の解説……手がかりは十分すぎるほどありましたからねぇ。作った本人に同じ味を返してみるのも面白そうだと思って――」
「……」
「あ、あの……巽さん、怒ってます? あぁっ、お口に合わなかったのならすみません! 私は他人の見慣れた表情が歪むところを見られただけで満たされてしまう卑しい生き物です! 真面目な特訓の場を欲望で穢してしまってすみませぇええんっ!」
「いえ、違います。何というか……嬉しいです」
「え……?」
小さなピースをあっという間に食べ終えて、二つ目のたまごサンドに手を伸ばす巽さん。
「味を覚えているということは、それほど印象に残っているということです。仲間の好みに合わせただけの凡庸な味付けを、それでもあなたは覚えていてくれた」
凡庸なものか。ピクニックのお弁当に白米でなくわかめご飯を詰める工夫ができる御方の選んだ味なのに。
「いい意味か悪い意味かはさておき、こうしてご自身で分析して、再現できるほどに」
いい意味に決まっている。わざわざ不味いものを再現してあなたに出す度胸など、私にあるわけがない。
「マヨイさんの観察力と料理の腕の賜物でもありますが、俺自身がやったことで誰かに何かを与えることができた……その事実が、何よりの贈り物です」
言い返したいことはたくさんあるのに、そんな顔をされては上手に出てこなくなる。安堵の表情なんて、悪戯を仕掛けた相手に返すものではありませんよ。それは自分自身で振る舞ったときのためにとっておくものでしょう?
「贈り物なんて、そんな大層なものでは! ただの悪戯なのに、全てを肯定的に解釈されると困りますぅ……!」
「おや、悪戯だと認めるのですか? ふふ、マヨイさんもやるようになりましたな」
「えっ? あの、えっと……! や、やっぱり怒ってるじゃないですかぁっ!」
「冗談です。折角頑張って作っていただいたのに、怒る理由がありませんな。……そうだ、いいことを思いつきました」
「な、何ですか?」
巽さんは目を輝かせながら、私が手に持っているまだ半分ほどしか進んでいない下段の箱を指さす。
「このたまごサンド、そこに入れることにします」
「入れるって……で、でも、もう食べちゃってますよ?」
「あぁ、そうではなくて。企画に持ち込むときにはわかめご飯の部分をたまごサンドに変更したいという意味です。俺以外の人に再現ができるのなら『真似して作れる』という条件にも当てはまりますし、何よりとても美味しかったので」
ごちそうさまでした、と定型の動作を挟み、巽さんはお弁当箱の蓋を閉めた。透明な蓋越しに空っぽの空間を見下ろしながら、私もご飯を少しずつ食べ進める。
「今日の思い出も添えれば、記事の完成度もきっと上がることでしょう。俺だけでなくマヨイさんのことももっとファンの方々に知ってもらいたいです」
「いやいや、そのファンの皆さんが巽さんとデートをする内容の記事でしょう!? 二人の世界に私を挟もうとしないでください!」
「おや、そうですか? まぁ、最終的に形にするのは編集部のかたなので、俺は好きにさせていただいている分、自分のやるべきことをやるとしましょう」
座る体勢を変えながら上着のポケットをまさぐり、巽さんはいつも持ち歩いている手帳とペンを取り出す。開いたページには、架空のデートの予定らしきタイムスケジュールと、様々なお弁当の具材候補が箇条書きでびっしり書き込まれていた。
「マヨイさん、食べながらで構いません。今から俺なりに考えた『行楽シーズンのピクニックデート』というものをお話ししてみますので、あなたの意見を聞かせてください。あと、お弁当についても他に何か良いアイデアがあれば」
ペンを構えて、お仕事モードの顔つきになった巽さん。ここから先は、仲間は仲間でも『仕事仲間』としての私たち。
いつの間にか日は高く昇って、遠くから正午のチャイムが聞こえる。あんなに各々の休日を謳歌していた人々も、気が付けばそこかしこで円を描いてお弁当を囲んでいた。
いちばん明るいこの時間は苦手だけれど、この空気は――このひとときはいつまでも大切にしたい。たとえ巽さんの瞳に映っているのが既に他の誰かであったとしても、すぐ傍にいるのは紛れもなくこの私だ。
「そうですねぇ……」
だから、もうひとつだけ悪戯を。欲深く卑しい私は、全てなんか譲らない。ひとつだけなら、私だけのものにしても許されていいはずだ。私たちに作ってくださったたまごサンドの隠し味を、あなたは『みんなのもの』にしてしまうつもりなのだから。
「まず、葡萄を出す相手は私だけにしてください。今の旬のものなんて、発売時期には相応しくないでしょう?」
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