20:15~

 もはや見慣れた高層ビルの群れ、色とりどりにライトアップされた観覧車、遠くの岸辺には屋形船。野外ステージから何度も目にしてきたそれらの人工物も、アングルや時間帯が違うだけでこうも雰囲気が様変わりするとは。
「あぁ、ほら。見てください巽さん。もう次のが始まるみたいですよぉ♪」
「おぉ。流石に外で直接見ると壮観ですな。こうして打ち上げ花火をのんびり眺めるのもいつぶりでしょうか」
 デッキが空いているタイミングを見計らってキャビンを出ると、ちょうどラウンジから出てきたマヨイさんと鉢合わせたので、「折角なら一緒に」という話になったのが数分前。ESと天祥院財閥の関連企業がこぞって出資しているこの花火大会は全世界にネット配信されており、俺たち所属アイドルも開催時間内に一度はクルーズ船に設置された定点カメラの前でそれを鑑賞するノルマが課されている。
 ひとりで見に行っても問題はないが、やはり複数人で登場した方が視聴者の反応も良いようだ。お互い、そういった打算が半分、どうせ仕事なら落ち着く環境で済ませたいという小さな願望が半分。わざわざ片方ずつ順番待ちをする理由などあるはずもなく。
「はぁ……やはり、今年のは一段と盛大ですねぇ。出資企業もこれまでの倍以上ですし、打ち上げ総数は十万発を超えるんだとか」
「それはまた、途方もない数字ですな。配信の客寄せパンダである俺たちアイドル側にとっては、大きなお金のことなど考えても詮無いことなのでしょうけれど」
「えぇ。今はただ、夜空に咲いては散る儚い花にだけ思いを馳せていられれば十分です。私たちには私たちにできることをしましょう」
 デッキには定点カメラ以外の機材がなく、拾える音は限られるようだ。たとえば、この距離ならば普通に隣の人と会話をする程度の声は花火の音にかき消されてしまうだろう。加えて、カメラは常に花火が上がる岸の方に向いているため、鑑賞する俺たちの姿は背中しか映らない。
 そのせいか、レンズを向けられるとすぐに緊張してしまうマヨイさんも今は比較的落ち着いている。ちら、と横目で顔を盗み見ると、白い肌が様々な花火の光を反射して目まぐるしくその色を変えていた。
「少し気になったのですが。マヨイさんはこの辺りの花火大会をこれまでにも見たことが?」
「はい。ずっとここに棲んでいるので、季節の行事はいつも遠くから眺めていました。あまり人気のない、静かに鑑賞するには最適な穴場も知っているんですよ」
「そうですか。では、次はその穴場とやらでもこうして花火を鑑賞してみたいものですな。仕事でなく、何も予定のない夜に」
「……えぇ。いつか、きっと」
「――」
「? どうかされましたか?」
 気付かれない程度の僅かな動きで、マヨイさんの瞳がこちらを見上げる。
 先ほどの発言に、あえて『誰と』とか『何人で』と修飾語を付けなかったのは、ちょっとした悪戯心によるものだった。まるで勘違いでもしてしまったみたいな反応で、他の仲間の名前を出してはぐらかしたり、真っ赤な顔で謙遜したりするのがお決まりの流れだったから。
 しかし、今の彼にその素振りはない。規則的な呼吸で、蠱惑的なウィスパーボイスを発しながら微笑むばかり。こんなところでも成長を感じてしまって、喜ばしいやら寂しいやら。
「――いいえ、何も。そろそろ中に戻りましょうか」
「そうですねぇ。まだあと何時間も残っているのに、私たちばかり陣取るのも悪いですし」
「マヨイさん、このあとお時間はありますか? もしよろしければ、この続きは俺のキャビンから――」
「それより巽さん、海風に当たって少し身体が冷えていませんか? ラウンジにドリンクサーバーがあったので、あったかいお茶を取ってきますね」
 お部屋で待っていてください、と言い残して、マヨイさんは足早にデッキをあとにする。その背中にかけた声も虚しく、ひっきりなしに打ち上がる花火に溶けてしまった。
 ――どうやら、いつまでもうかうかしてはいられないようですな。
 ドアの向こうに消える直前、髪の隙間から覗いた耳たぶが赤く見えたのも、きっと花火のせいだ。今はそう思い込んで、相変わらず無機質に俺を見つめるカメラに向かって静かに手を振った。
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