気付けば毒の中
「それ、そんなに美味しいんすか?」
ただの雑談のつもりで、空気を縫えればそれで良いくらいの気持ちで発しただけだった。
文字通り『食』という行為が生に直結する自分にとって、口にするものに関して新たに禁を解かれることにより選択肢の幅が広がることは大変喜ばしいことだし、そのときが楽しみでないと言えば嘘になる。しかし、いわゆるストロング系というものだったか、高めのアルコール度数が表記された缶チューハイを景気良くあおるその姿が、数年後の自分のそれとは全く結びつかなくて。家主が未成年であることもお構いなしに持ち込まれるそれを大層好んでいるらしい彼は、僕の問いかけに対して「ぁン?」と怪訝そうな赤ら顔を向けて答える。
「いやぁ、流石に口にしたことのないものまでは味の想像ができなくて。ただの興味本位っす」
「きゃははっ! ニキきゅんはまだお子ちゃまでちゅからね~? 俺っちみたいな愉快なおに~さんと晩酌できないなんてかぁわいそ~♪」
「ぐぅっ、そんな口きくなら潰れても介抱してやらねぇっすよ? 自分が出したわけでもないゴミの処分させられる僕の身にもなってほしいっす」
「じょ~だん、じょ~だん。酔っぱらいの言うことなんかいちいち真に受けてたらキリ無いっしょ。で、何だっけ? 酒の味がどうとかって話?」
既に思考回路はぐちゃぐちゃに崩れているようで、会話の順序もでたらめだ。改めてチューハイを一口喉に流し込むと、燐音くんは飲み口に残った雫を指で拭って舐め取りながら「ん~」と軽く唸る。
「正直言って、美味くはなかった」
「はぁ」
「でも、それは俺っちが成人したての頃の話っしょ。味わえば味わうほどその良さが分かる。つまみのスルメみたいなもんだ。だからこの二つは相性が良いのかもなァ? なんて! きゃははっ!」
「いやいや、全然面白くないっす。あと、それを世間一般には『依存』とか『中毒』とか言うんすよ」
「ぁンだとニキてめェこの野郎、分かったような口ききやがって。てめェだってこの前『ニキズキッチン』でお土産にもらったとかいうチーズ食ってるときに似たようなことほざいてただろうが」
「あぁ、シェーヴルチーズのことっすか? 確かイタリアではカプリーノっていうんでしたっけ? 山羊乳のチーズは癖が強いんすけど、あの味に慣れると病みつきになって……あぁ、思い出したらまたお腹空いてきたっす……」
「へっ、そういうこった」
話は終わりだとでも言わんばかりに、燐音くんは缶を逆さまに持って残ったお酒を一気に口の中へ注ぎ入れる。そして、続きの言葉とも思えないぼやけた独り言を漏らしながら、二本目の缶のプルタブに指をかけた。
意味も無く話しかけたのはこちらだが、中途半端に区切られては納得がいかない。そういうこととはどういうことだ。腹八分目ではなく、最後まで満たされなければその分早くお腹が空いてしまうではないか。
「ンだよその目は。そんなに見つめられたら照れちまうだろ~? 俺っちに構ってほしいならちゃんと可愛くおねだりしてみなァ? ん?」
「……別に。テキト~な雑談にマジになった僕が馬鹿だったっす」
「おう。馬鹿を自覚するたァ、ニキにしては賢いじゃねェの。ンじゃ、優しい燐音くんから賢いニキきゅんにご褒美♪」
「何すか、どうせ倍にしてくるとか言ってお金取る気で――」
ちゅ。
「……!?」
部屋に充満するアルコールの匂いにあてられてしまったのだろうか。理解が追いつくまでに数秒かかった。いや、実際にはもっと長かったのかも知れない。とにかく頭が覚醒する頃には相変わらずぐびぐびと喉を鳴らす燐音くんがそこにいて、いつの間にか少し湿った唇に残るのは何かが触れていた感覚と――
「うっっっえ…………消毒液の味…………」
「きゃははは、当たり前っしょ! ニキの唇はミートソースの味がしたぜェ、ちゃんと晩飯の後に口元拭いたかァ?」
「~~~~っ、もう知らないっす! 燐音くんのバーカ! アル中! 脳みそ溶けて死ねぇえっ!」
勢いに任せて財布をひっつかみ、玄関のドアノブを捻る。無駄に話したせいでまたお腹の中から悲鳴が聞こえてきたので、頭を冷やしがてらコンビニへアイスでも買いに行くとしよう――そんなことを考えながら、未だに不愉快な苦味の残る唇を舐めた。
独特の味。覚えやすい味。味覚が認識すればすぐに『それ』と分かる主張の強い味。この未知の飲料はあの傍若無人な居候そのものだ。ハマりやすい人間に目をつけたが最後、弱い毒でゆっくりと深みに堕としていき、しまいには人生をも狂わせる。
そういえば、料理人の知識としてこんなものが頭にある。シェーヴルチーズの酸味は白ワインによく合うのだとか。父親が調達してくれる料理の材料としてしか向き合ったことのない代物だが、あの爽やかな香りとともに味わう山羊乳の発酵食品は、自分の食人生において新たな扉を開かせてくれるに違いない。
(なはは……ああはなるまいと思っても、結局ハマりそうで怖いっすね)
つくづく自分は『悪いもの』に縁がある――そう自嘲しながら、軽快な電子音に迎えられて眩しい自動ドアをくぐった。
ただの雑談のつもりで、空気を縫えればそれで良いくらいの気持ちで発しただけだった。
文字通り『食』という行為が生に直結する自分にとって、口にするものに関して新たに禁を解かれることにより選択肢の幅が広がることは大変喜ばしいことだし、そのときが楽しみでないと言えば嘘になる。しかし、いわゆるストロング系というものだったか、高めのアルコール度数が表記された缶チューハイを景気良くあおるその姿が、数年後の自分のそれとは全く結びつかなくて。家主が未成年であることもお構いなしに持ち込まれるそれを大層好んでいるらしい彼は、僕の問いかけに対して「ぁン?」と怪訝そうな赤ら顔を向けて答える。
「いやぁ、流石に口にしたことのないものまでは味の想像ができなくて。ただの興味本位っす」
「きゃははっ! ニキきゅんはまだお子ちゃまでちゅからね~? 俺っちみたいな愉快なおに~さんと晩酌できないなんてかぁわいそ~♪」
「ぐぅっ、そんな口きくなら潰れても介抱してやらねぇっすよ? 自分が出したわけでもないゴミの処分させられる僕の身にもなってほしいっす」
「じょ~だん、じょ~だん。酔っぱらいの言うことなんかいちいち真に受けてたらキリ無いっしょ。で、何だっけ? 酒の味がどうとかって話?」
既に思考回路はぐちゃぐちゃに崩れているようで、会話の順序もでたらめだ。改めてチューハイを一口喉に流し込むと、燐音くんは飲み口に残った雫を指で拭って舐め取りながら「ん~」と軽く唸る。
「正直言って、美味くはなかった」
「はぁ」
「でも、それは俺っちが成人したての頃の話っしょ。味わえば味わうほどその良さが分かる。つまみのスルメみたいなもんだ。だからこの二つは相性が良いのかもなァ? なんて! きゃははっ!」
「いやいや、全然面白くないっす。あと、それを世間一般には『依存』とか『中毒』とか言うんすよ」
「ぁンだとニキてめェこの野郎、分かったような口ききやがって。てめェだってこの前『ニキズキッチン』でお土産にもらったとかいうチーズ食ってるときに似たようなことほざいてただろうが」
「あぁ、シェーヴルチーズのことっすか? 確かイタリアではカプリーノっていうんでしたっけ? 山羊乳のチーズは癖が強いんすけど、あの味に慣れると病みつきになって……あぁ、思い出したらまたお腹空いてきたっす……」
「へっ、そういうこった」
話は終わりだとでも言わんばかりに、燐音くんは缶を逆さまに持って残ったお酒を一気に口の中へ注ぎ入れる。そして、続きの言葉とも思えないぼやけた独り言を漏らしながら、二本目の缶のプルタブに指をかけた。
意味も無く話しかけたのはこちらだが、中途半端に区切られては納得がいかない。そういうこととはどういうことだ。腹八分目ではなく、最後まで満たされなければその分早くお腹が空いてしまうではないか。
「ンだよその目は。そんなに見つめられたら照れちまうだろ~? 俺っちに構ってほしいならちゃんと可愛くおねだりしてみなァ? ん?」
「……別に。テキト~な雑談にマジになった僕が馬鹿だったっす」
「おう。馬鹿を自覚するたァ、ニキにしては賢いじゃねェの。ンじゃ、優しい燐音くんから賢いニキきゅんにご褒美♪」
「何すか、どうせ倍にしてくるとか言ってお金取る気で――」
ちゅ。
「……!?」
部屋に充満するアルコールの匂いにあてられてしまったのだろうか。理解が追いつくまでに数秒かかった。いや、実際にはもっと長かったのかも知れない。とにかく頭が覚醒する頃には相変わらずぐびぐびと喉を鳴らす燐音くんがそこにいて、いつの間にか少し湿った唇に残るのは何かが触れていた感覚と――
「うっっっえ…………消毒液の味…………」
「きゃははは、当たり前っしょ! ニキの唇はミートソースの味がしたぜェ、ちゃんと晩飯の後に口元拭いたかァ?」
「~~~~っ、もう知らないっす! 燐音くんのバーカ! アル中! 脳みそ溶けて死ねぇえっ!」
勢いに任せて財布をひっつかみ、玄関のドアノブを捻る。無駄に話したせいでまたお腹の中から悲鳴が聞こえてきたので、頭を冷やしがてらコンビニへアイスでも買いに行くとしよう――そんなことを考えながら、未だに不愉快な苦味の残る唇を舐めた。
独特の味。覚えやすい味。味覚が認識すればすぐに『それ』と分かる主張の強い味。この未知の飲料はあの傍若無人な居候そのものだ。ハマりやすい人間に目をつけたが最後、弱い毒でゆっくりと深みに堕としていき、しまいには人生をも狂わせる。
そういえば、料理人の知識としてこんなものが頭にある。シェーヴルチーズの酸味は白ワインによく合うのだとか。父親が調達してくれる料理の材料としてしか向き合ったことのない代物だが、あの爽やかな香りとともに味わう山羊乳の発酵食品は、自分の食人生において新たな扉を開かせてくれるに違いない。
(なはは……ああはなるまいと思っても、結局ハマりそうで怖いっすね)
つくづく自分は『悪いもの』に縁がある――そう自嘲しながら、軽快な電子音に迎えられて眩しい自動ドアをくぐった。
1/1ページ