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「あ~、なんかわくわくするね☆」
「………………」
 遊木と衣更が先に帰り、二人だけ残ったレッスン室。盛大な衣擦れ音と鼻歌を響かせながら、明星は能天気にのたまう。
「俺たちにドラマ出演のオファーなんてあんまり来ないし、こういう演技が必要な仕事やったことないからさ。いろいろ教えてよ、演劇部♪」
「……あぁ」
「およ? どったのホッケ~、元気ないね」
 逆にこちらが問いたい。あのような筋書きを聞かされて、何故なおもこいつはこんなに上機嫌なのか。こちらは立ち回りの想像が全くつかず、オファーを受けたことを少しだけ後悔しかけているというのに。
「……お前に教えられることがあればいいのだがな」
「あるある! 俺の役、『誰にでも優しい王子様』って感じなんでしょ? いつもホッケ~がやってるのと似たような動きも多いかもって言ってたし」
「それが問題なんだ。大まかなキャラ作りのコツは会得しているが、肝心なシーンでそれが役に立つかどうか」
「もう、大丈夫だってば! ホッケ~はお堅いなぁ、相変わらず」
 髪とよく似た脳天気な色のパーカーのフードを整えながら、深く澄んだ空色の瞳だけがこちらに向けられる。
「今時、珍しくもないんでしょ? 同性同士の恋愛ドラマなんてさ」

 ――詳しい内容は私も知らない。だけど、二人が恋人同士になるまでのお話ってことは確定してるみたい。
 台詞の一言一句まで覚えているわけではないが、彼女は言葉を探した結果、そのようなことを口にした気がする。
「ふぅん、そうなんだ。氷鷹くんと明星くんが――…………」
「……真?」
「………………」
「あぁっ、フリーズしてる! こら、お前もあんまり滅多な冗談言うもんじゃないぞ~?」
 がくがくと遊木の肩を揺さぶる衣更を軽く睨み、彼女は紙束の角をパラパラ弾いた。『冗談なんか言ってない』という意思表示らしい。
「いや、悪かったって。そんな顔するな。例年のプロモーションとはだいぶ毛色が違うから、ちょっとびっくりしただけ。な、真?」
「……えっ、毛色? 猫ちゃんの話? サバトラとかいいよね、落ち着いた感じで……♪」
「あ~……大事な話の邪魔しちゃ悪いし、俺たちはあっち行ってような~?」
「知ってるのはそれだけ? もっとたくさん聞きたい、教えて教えて~っ☆」
 興奮した犬のように肩に飛びつく明星に気圧されながらも、彼女はやはり途切れ途切れに説明を続けた。しかし、今度は言い方を探るのではなく、知っていることを思い出しながらの話し方になっているように聞こえる。
 ベースは学園もの。誰にでも分け隔てなく接し、人気も高い品行方正な生徒会長と、様々なトラウマを抱えた一匹狼のバンドマン。疎遠気味な幼馴染である二人があることをきっかけにひとつ屋根の下で暮らすようになり、個人の事情やすれ違いを乗り越えながら歩み寄っていく――先方からはそれだけ説明されたらしい。

「それに聞いた感じ、普通の少女漫画とそんなに変わらないあらすじだったしね。むしろホッケ~の得意分野じゃん」
「知ったようなことを……お前みたいなやつが少女漫画を読むのか」
「サリ~が間違えて持ってきた妹ちゃんのやつをね、興味本位でちょっとだけ。でも最近は面白そうなやつを個人的に買い集めてる! 少女漫画って絵がキラキラしてるから俺は結構好き~☆」
「……そうか」
 正直なところ、『少女漫画と変わらない』という意見には同調できる。俺も昔『王子様のお勉強です☆』などと大義名分を振りかざす変態仮面に何冊か無理矢理読まされたことがあり、恋仲になる予定の主人公とヒーローが一緒に住まわされるエピソードには馴染みがある。
 問題は、その数式がこのような場合にも適用されるのか、という点だ。今更この手の表現を倒錯だなんだと咎めるつもりもないが、長い付き合いの、しかも恋愛対象でもないであろう人間と一緒に住むようになった程度で意識が変わるというのがいまいちぴんとこない。
 殊に、俺の相手役を演じるらしいこのアホが『それ』にあたる場合のことなど。
「ねっ、俺もギターの弾き方とか教えるからさ! ひとつ頼みますよ、ホッケ~先生……☆」
「お前の教え方で理解できるとは思えんが……まぁいい、断る理由もないだろう。役に立たなくてもクレームは受け付けんぞ」
「ひゃっほう☆ うちの王子様担当をホッケ~から奪うつもりで頑張っちゃうぞ!」
「だから、何なんだその妙なポジションは」
 レッスン室の鍵と鞄を片手に、イヤホンを装着して踵を返す。散歩開始直後の子犬のような足取りを背に感じながら、最近おばあちゃんに新しく入れてもらった落語の音源を再生した。
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