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「ねぇ、ホッケ~。本当に明日帰っちゃうの~?」
「最初からそういう契約だろう。帰ると言ったら帰る」
「ぶぅ、冷たいなぁ。ほら、大吉も寂しいって!」
「さっきまでどう見てもおやつに夢中だったのにか」
 必要最低限のものしか持ち込んでいなかったため、荷物は大きめのキャリーケースひとつに全て収まってしまう。後から届いた台本や購入した雑誌類などで多少増えているものの、わずかな隙間に敷き詰めてしまえばほとんど見た目が変わらなかった。
「そういえば、あのドラマ相変わらず好評みたいだよ!」
「らしいな。『また呼びたい』というようなことを言われたし、アイドル側の目的も達成したと言っていいだろう」
「撮影は終わっても、放送はまだしばらく残ってるしね! 今度はウッキ~とサリ~も呼んで、皆で鑑賞会しようっ☆」
 そのとき、階下で「スバル~」と呼ぶ声が聞こえ、明星は返事を叫びながら駆け足で階段を下りていく。しばらくして同じように走って戻ってくると、「ホッケ~! 母さんがクッキー焼いてるらしいんだけど、持って帰る?」
「そうか。ではいただこう」
「オッケー! 持ってくる!」
 ドタドタと足音が遠ざかるのはこれで二度目――いや、この生活全体では累計何度目だろう。ああ言ったものの、この家から出て行くのが名残惜しくないと言えば嘘になる。思えばいろいろな発見があったし、思い出もたくさんできた。だからこそ、いざこうして終わってしまうと、胸にぽっかり穴が空いたような喪失感に襲われる。
 何故? 決まっている。しばらく続いて慣れ始めた生活から離れるからだ。これは自宅に戻ってそちらの生活に慣れてしまえば消えていく感情だし、そうなるまでに時間はかからないだろう。キャリーケースの隙間にクッキーを詰めたプラスチック容器を収めるようなものだ。大して難しいことではない。
 だから、これから目覚める度にあの朝焼け色が視界に入らなくなっても、弁当を作る相手がいなくなっても、恋人同士のような偽物の甘い言葉を言い合わなくなっても――そんな生活、すぐに慣れる。どうせうんざりするほど会える顔だ、誰があいつのために穴などこさえてやるものか。
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