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初めから自信があったわけでもない仕事とはいえ、こんなにも心の底からオフを喜んだことはない。こんな状態で撮影に臨んでも、身が入らずに現場に迷惑をかけてしまうだけだろう。
「ほぉらウッキ~、この目玉焼きが目に入らぬか!」
「おぉっ、白身が四角く切り取られてる! お弁当に入れやすい形だね!」
「うん、15点」
「辛口! えっとえっと、『目玉なのに丸じゃないんかい!』の方がよかった? それとも『目に入らぬか!』とかけて何か一発ギャグでもやるべきだった?」
「こら真、食べ物で遊ぶなよ」
「何で僕だけ怒られてるの!?」
俺はここまで動揺しやすい性格だっただろうか。こんなところを日々樹先輩に見られでもしたら笑われる――いや、その笑顔の奥で静かに軽蔑されるに違いない。せめて明日までには気持ちを切り替えてしまわなければ。
しかし……どうやって?
「聞いたぞ北斗。お前、今スバルん家で世話になってるんだって?」
「そうそう! 俺と母さん、そして大吉! 明星家総動員でお世話してま~す☆」
「俺の提案に付き合わせているようなものだがな。ドラマの人物と同じように同居生活を送ることで、見えるものがあればと思ってやっているだけだ」
「ふふっ、四人でお泊まりは何回かしたことあるけど、二人だけで過ごしてるって何だか珍しいよね。もしかして、最近明星くんがよくお弁当を持ってきてるのも……」
「あぁ、ほとんどどちらかの手作りだ」
「母さんが作りすぎた夕飯の余りを詰めてるだけの日もあるけどね、もぐもぐ……♪」
「食いながら喋るな、米粒が飛ぶだろう。一粒でも無駄にすれば目が潰れると、おばあちゃんも言っていた。あと、同じものばかり続けて口に入れるな。いい年して『三角食べ』もまともにできないのか、お前は」
「もう、うるさいなぁ! 母さんにもこんなにガミガミ言われたことないのに!」
「うるさいとは何だ。成人するまでに食事マナーくらいは身につけておかないと苦労するぞ」
「ふんだ、正式な場と学校の教室で同じことするわけないでしょ! TPOが分からないほど子どもじゃありません!」
「だから、その態度が既に子どもだと――」
ガタンッ!
「わっ!」
突然、衣更の後ろの席が大きく揺れて、机と椅子の間から黒いものが這い上がってくる。
「相変わらずそっちは賑やかだねぇ。おかげでおどかしがいがあるってもんなんだけど」
「凛月……!? お前、いつの間に!」
「おい~っす、ま~くん。昨日のオンエア観たよ。録画して、あらゆる記録媒体にバックアップとって、プレミアム会員登録してるネット配信のアーカイブも保存したからね。DVDとBDも予約したから、観たくなったらうちにおいで」
「お、おう……それはどうも……?」
どうしてどいつもこいつも同じようなことを。
「あ、『ゆうくん』。誰とは言わないけど、録画映像は『ゆうくん』のシーンだけ切り抜いて編集したものを作成済みで、BDが出たら二巻だけ買い占めて末代まで家宝にするって」
「その編集動画、オリジナルごと譲ってって伝えておいて!」
こちらは少しベクトルが違った。
「で、何しに来たんだお前は。まさかそれを言うためだけに机の下に隠れてたわけじゃないだろ?」
「ん~……いつものように、大好きなりっちゃんに学校であんまり会えなくて寂しがってるま~くんを慰めに来たんだけど……」
「けど?」
「……今はすこしだけ、あんたに興味が移ったかも」
「!」
何の前触れもなく、朔間の視線がこちらへ向けられる。兄と同じ妖艶な赤い瞳は、蛇のように見るものを凍らせるほどの蠱惑的な魅力があった。
「あはは、そんなに身構えなくてもいいよ。ちゃんとお昼は食べてきたし、今は血をもらわなくても平気だから」
朔間は机から離れ、這うようにゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。ぴたりと俺の真横で止まると、薄い唇を耳元に寄せてこう囁いた。
「まぁ……少しでもま~くんが関わった仕事に、仮にも重役のあんたが泥を塗るようなら……俺も黙ってはいられないけどね?」
腹の奥底で煮えるような低い声。いきなり地上へ噴き出すことなく、熱を帯びたままどこまでも沈んでいき、中核から揺り起こして全体に轟かせるような強い響きを伴っていた。
「今からあんたに聞かせるのは、そういう感じの理由で呟く独り言。だから、黙って聞いて。俺は結局最後まであんたが委員長やってるクラスにはならなかったから知らないけど、信頼のもとでその地位にいるなら口は堅い方でしょ?」
逆先がこのような話し方で人を惑わせようとしたところは、両手では数えきれないくらい見てきた。しかしどうやらこいつのそれは本心らしい。その通り、個人的な面識はほとんどないが、衣更からその人となりはよく聞いている。朔間凛月は、見た目以上に善良な人間だ。
「これを聞いてどうするかはあんた次第だけど、どうか忘れないで。人間、人ならざるものに弱みを握られたら一巻の終わり……俺は吸血鬼だから、ただでさえ抜けかけてる今のあんたの生気なんか簡単に食べちゃうからね♪」
「ほぉらウッキ~、この目玉焼きが目に入らぬか!」
「おぉっ、白身が四角く切り取られてる! お弁当に入れやすい形だね!」
「うん、15点」
「辛口! えっとえっと、『目玉なのに丸じゃないんかい!』の方がよかった? それとも『目に入らぬか!』とかけて何か一発ギャグでもやるべきだった?」
「こら真、食べ物で遊ぶなよ」
「何で僕だけ怒られてるの!?」
俺はここまで動揺しやすい性格だっただろうか。こんなところを日々樹先輩に見られでもしたら笑われる――いや、その笑顔の奥で静かに軽蔑されるに違いない。せめて明日までには気持ちを切り替えてしまわなければ。
しかし……どうやって?
「聞いたぞ北斗。お前、今スバルん家で世話になってるんだって?」
「そうそう! 俺と母さん、そして大吉! 明星家総動員でお世話してま~す☆」
「俺の提案に付き合わせているようなものだがな。ドラマの人物と同じように同居生活を送ることで、見えるものがあればと思ってやっているだけだ」
「ふふっ、四人でお泊まりは何回かしたことあるけど、二人だけで過ごしてるって何だか珍しいよね。もしかして、最近明星くんがよくお弁当を持ってきてるのも……」
「あぁ、ほとんどどちらかの手作りだ」
「母さんが作りすぎた夕飯の余りを詰めてるだけの日もあるけどね、もぐもぐ……♪」
「食いながら喋るな、米粒が飛ぶだろう。一粒でも無駄にすれば目が潰れると、おばあちゃんも言っていた。あと、同じものばかり続けて口に入れるな。いい年して『三角食べ』もまともにできないのか、お前は」
「もう、うるさいなぁ! 母さんにもこんなにガミガミ言われたことないのに!」
「うるさいとは何だ。成人するまでに食事マナーくらいは身につけておかないと苦労するぞ」
「ふんだ、正式な場と学校の教室で同じことするわけないでしょ! TPOが分からないほど子どもじゃありません!」
「だから、その態度が既に子どもだと――」
ガタンッ!
「わっ!」
突然、衣更の後ろの席が大きく揺れて、机と椅子の間から黒いものが這い上がってくる。
「相変わらずそっちは賑やかだねぇ。おかげでおどかしがいがあるってもんなんだけど」
「凛月……!? お前、いつの間に!」
「おい~っす、ま~くん。昨日のオンエア観たよ。録画して、あらゆる記録媒体にバックアップとって、プレミアム会員登録してるネット配信のアーカイブも保存したからね。DVDとBDも予約したから、観たくなったらうちにおいで」
「お、おう……それはどうも……?」
どうしてどいつもこいつも同じようなことを。
「あ、『ゆうくん』。誰とは言わないけど、録画映像は『ゆうくん』のシーンだけ切り抜いて編集したものを作成済みで、BDが出たら二巻だけ買い占めて末代まで家宝にするって」
「その編集動画、オリジナルごと譲ってって伝えておいて!」
こちらは少しベクトルが違った。
「で、何しに来たんだお前は。まさかそれを言うためだけに机の下に隠れてたわけじゃないだろ?」
「ん~……いつものように、大好きなりっちゃんに学校であんまり会えなくて寂しがってるま~くんを慰めに来たんだけど……」
「けど?」
「……今はすこしだけ、あんたに興味が移ったかも」
「!」
何の前触れもなく、朔間の視線がこちらへ向けられる。兄と同じ妖艶な赤い瞳は、蛇のように見るものを凍らせるほどの蠱惑的な魅力があった。
「あはは、そんなに身構えなくてもいいよ。ちゃんとお昼は食べてきたし、今は血をもらわなくても平気だから」
朔間は机から離れ、這うようにゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。ぴたりと俺の真横で止まると、薄い唇を耳元に寄せてこう囁いた。
「まぁ……少しでもま~くんが関わった仕事に、仮にも重役のあんたが泥を塗るようなら……俺も黙ってはいられないけどね?」
腹の奥底で煮えるような低い声。いきなり地上へ噴き出すことなく、熱を帯びたままどこまでも沈んでいき、中核から揺り起こして全体に轟かせるような強い響きを伴っていた。
「今からあんたに聞かせるのは、そういう感じの理由で呟く独り言。だから、黙って聞いて。俺は結局最後まであんたが委員長やってるクラスにはならなかったから知らないけど、信頼のもとでその地位にいるなら口は堅い方でしょ?」
逆先がこのような話し方で人を惑わせようとしたところは、両手では数えきれないくらい見てきた。しかしどうやらこいつのそれは本心らしい。その通り、個人的な面識はほとんどないが、衣更からその人となりはよく聞いている。朔間凛月は、見た目以上に善良な人間だ。
「これを聞いてどうするかはあんた次第だけど、どうか忘れないで。人間、人ならざるものに弱みを握られたら一巻の終わり……俺は吸血鬼だから、ただでさえ抜けかけてる今のあんたの生気なんか簡単に食べちゃうからね♪」