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 七星の抱えるトラウマは、長らく明かされていなかった。小学生の頃に事故に遭い、身体に大きな古傷が残っていることも、それが原因でいじめられ、人間不信に陥ったことも。演じる本人である俺が今日知ったほどだ。恐らく脚本家の子もギリギリまで悩んでいたのだろう。
 しかし、現在に至るまでの睦月との関係の描写には確信めいたものを感じた。書きたいものはこちらがメインで、前者は後付けといったところか。そうでなければここまでの脚本すら書けないのだから当然といえば当然なのだが。
「明星、明日も早い。そろそろ電気を消してくれ」
「……」
「明星?」
 床に伏せて眠っている大吉くんを撫でている背中に声をかけると、一応はこちらの要望通りに動き、パチリと照明のスイッチを切ってくれた。しかし、振り向きざまに月明かりに照らされた瞳はやけに底が深く、まるで何かを強く決意したかのように見える。
「……ねぇ、北斗」
 いつもと違う様子に呆気にとられているうちに、その決意はずんずんと近付いてきて、やがて物理的な重みとなって全身にのしかかってきた。遠くで響く様々な環境音の中、ベッドが軋む音がやけにうるさい。届いた台本にもちょうどこのようなシーンがあったが、明らかに演技練習という雰囲気ではなかった。
「何だ。今日はもう遊んでやらんぞ。寝ろ」
「へぇ……北斗自身は、俺にこういうことされても何も思わないんだ」
 平静を装うのが精一杯だった。明星に組み敷かれていることそのものではなく、大気圏を越えた暗い宇宙さえも映し出しそうな空色が恐ろしかったのだと思う。
「当たり前だろう」声を空気に乗せるのに少し力が要るほどには。「あれはあくまで演技だ。今までもこれからも、俺がお前自身をそういう目で見ることはない」
 少し身構えながら、次の発言を待つ。もしもこいつが睦月だったならば、何も言わずに『俺』を両腕に収め、背中をゆっくり叩いて寝かしつけにかかっていたはずだ。しかし、この状況で明星が同じ行動をとるとは思えない。先日の遊木と衣更が見ていた(かも知れない)キスシーンのように、強引に何かをしてくる可能性は捨てきれない。それほど今のこいつは読めないのだ。
「……あっそ」
 しかし、結果はかなり拍子抜けするものだった。
「そんなに警戒されると傷つくなぁ。別にいいけどねっ、俺だってちょっとからかってみただけだし~?」
「お、おい。明星?」
「おやすみ、ホッケ~。ほら、もっとそっち詰めて」
 それ以降はどう話しかけても「うん、おやすみ~」の一点張りで、先ほどまでの行動の意図については何も聞き出せなかった。やがてそれが安らかな寝息に変わる頃、俺の意識もやや浅い夢の中へと落ちていく。
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