いっそ身を焦がすくらいの
「……い……ぅ」
「んん……」
「ぃ……おい、大丈夫か?」
誰かが呼んでいる気がする。相変わらず植物の青臭い匂いが充満している部屋の中、呼びかける声は記憶の中の誰のものでもない。しかし、何故かよく耳に馴染むどこか安心感のある声に、意識はゆっくりと覚醒していく。
「あっ、起きた。よかったぁ……」
「えっと……?」
「いずれこんなこともあるんじゃないかって、凛月に無理言って泊めてもらってたかいがあったよ。大丈夫か? どっか痛いところないか?」
「お、おう。元気、だけど……」
目を引く派手ななりを素朴な色の三角帽とローブに包んだ、年若い人間だ。色が判別できるということは、もう夜は明けているらしい。不審者に脅されながら眠ってしまうとは、呑気者にも程がある。
いや、そんな過ぎたことより。
「……誰だ、こいつ」
「ん? あぁ、びっくりさせちまったかな。お前からすれば、いきなり家に入ってきた不審人物であることには変わりないもんな」
「え? ち、ちょっと待て。お前……俺の言葉が分かるのか?」
「分かるよ、この辺の母国語で喋ってるみたいだし。しっかしお前も見かけない顔……っていうか、なんかよく見ると俺にそっくりだな~? 大魔女さんに使い魔がいるのは知ってたけど、こんな人間の弟子なんかとってたっけ?」
「にん、げん……?」
見知らぬ魔法使いに言われて、慌てて周囲を見渡してみる。こいつは誰のことを言っている? まさか、昨夜の人物がまだここに残っているのか?
机の上にいたはずが、いつの間にか大量の資料や薬草とともに古い床板の上に寝そべっていたことにようやく気付く。目線の位置も間違いなく下に落ちているはずなのに、何故か天井の高さに変わりはなく、諸々の家具や小物がいつもより低く見えた。
「え……?」
ふとガラスの戸棚に視線を移すと、中にいた『それ』と目が合う。すぐ近くにいる謎の魔法使いによく似た、鮮烈な毛色に華やかな目の色。それをかき分けて震える猫の耳と腰で揺れる黒い尾は、人間の身体に付随するにはあまりにも不釣り合いで。故にだろうか、戸棚に『隠れている』猫だか人間だかはっきりしない『それ』は、文字通り他人のようには思えなかった。
「ん~……もしかして、お前がその使い魔だったり? 専門外だから詳しくは知らんけど、擬態とか変化とかそういう感じの魔術で人型をとってる〜、とかなら辻褄が合うよな。魔物ってそういうのが得意なやつが多いみたいだし」
「いや、そんなことより! 言葉が通じるなら教えてくれ! 誰だあいつは! また侵入者か!?」
「あいつって……あぁ、虚像とかいう概念が無いのか。あれはお前自身の姿だよ。鏡や水面……う〜ん、改めて当たり前のことを説明するのは難しいな。そうだ、試しにこうやってみてくれ」
魔法使いの真似をして、ガラス戸に向かって前足を振る。すると、戸棚の中の猫人間も同じように手を振り返した。
「こんな風に、同じ姿で同じ動きを返してくる。あれは実際にそこにいるんじゃなくて、お前が目の前にいるときだけ現れる幻みたいなものだ」
「幻……」
「そう。あっ、でも俺はちゃんとここに実体があるぞ? 名乗るのが遅れてごめん、俺は真緒。見習いの退魔師だ」
その後、真緒と名乗る退魔師は、『分かる範囲で良ければ』と、これまでの経緯を簡単に話してくれた。
あの薄ぼんやりとしたローブの人物は、山から下りてきた魔物が化けたものだったらしい。野暮用でこの家の近くの森にいた彼はその気配を感じ取り、何かあったらすぐに駆けつけられるようその森に住む友人の家で待機していたようだ。
「そんなわけで、侵入した魔物は外に誘導して綺麗に退治しておいたから安心しろ。大魔女さんの遺産なんて、価値がありすぎて逆に価値がつかないくらいのお宝だ。そんなものが魔物の手に堕ちたら、今度こそどうなるか分からない」
単独行動に走ったのはお上に怒られそうだけどな、と苦笑いを浮かべる真緒は、『幻』という形で俺の姿を自分自身で見られるようにしたものらしい『あれ』と自分がそっくりだと言っていた。俺はといえば、会って間もない相手と、本当の姿もまだ実感としてはっきりしない自分が似ていると心からは思えない。
「お前のことも、これ以上放置するわけにもいかないよな。街に戻ったらまとめて報告しておくから、えっと……あぁ、そういえば看破防止の観点から使い魔であっても契約中に名前付けるのは違法なんだっけか」
でも、『似ている』と思われたくは――このような人間に近付きたいとは強く思う。彼は魔物の気配を感知してすぐに計画を練って、たったひとりで俺を助けに来てくれた。誰かを守る強さがある、そう評価するに値する行動だ。
「契約者の死亡時点で契約は自動的に解消されてるし、協会に保護してもらうにしたって次の主人を見つけるまでは通称くらいあった方がいいよな~? どうする? あれならひとっ飛びして姓名判断師に相談してくるけど」
『名は体を表す』、そんなことを主も言っていた。今はまだ遠くても、願うことくらいできるはずだ。瓶詰めの星屑を握りしめて震えているだけの弱い子猫の自分を捨てて、星のようなまばゆさを退魔師装束の内側に秘めた彼にいつか手が届くことを。
「……みゃお、みゃ……」
「?」
「まお。真緒……マオ」
「は、はい。何でしょう?」
これは、『俺』として生きていく第一歩。
「あんたの名前、俺にもくれよ」
「んん……」
「ぃ……おい、大丈夫か?」
誰かが呼んでいる気がする。相変わらず植物の青臭い匂いが充満している部屋の中、呼びかける声は記憶の中の誰のものでもない。しかし、何故かよく耳に馴染むどこか安心感のある声に、意識はゆっくりと覚醒していく。
「あっ、起きた。よかったぁ……」
「えっと……?」
「いずれこんなこともあるんじゃないかって、凛月に無理言って泊めてもらってたかいがあったよ。大丈夫か? どっか痛いところないか?」
「お、おう。元気、だけど……」
目を引く派手ななりを素朴な色の三角帽とローブに包んだ、年若い人間だ。色が判別できるということは、もう夜は明けているらしい。不審者に脅されながら眠ってしまうとは、呑気者にも程がある。
いや、そんな過ぎたことより。
「……誰だ、こいつ」
「ん? あぁ、びっくりさせちまったかな。お前からすれば、いきなり家に入ってきた不審人物であることには変わりないもんな」
「え? ち、ちょっと待て。お前……俺の言葉が分かるのか?」
「分かるよ、この辺の母国語で喋ってるみたいだし。しっかしお前も見かけない顔……っていうか、なんかよく見ると俺にそっくりだな~? 大魔女さんに使い魔がいるのは知ってたけど、こんな人間の弟子なんかとってたっけ?」
「にん、げん……?」
見知らぬ魔法使いに言われて、慌てて周囲を見渡してみる。こいつは誰のことを言っている? まさか、昨夜の人物がまだここに残っているのか?
机の上にいたはずが、いつの間にか大量の資料や薬草とともに古い床板の上に寝そべっていたことにようやく気付く。目線の位置も間違いなく下に落ちているはずなのに、何故か天井の高さに変わりはなく、諸々の家具や小物がいつもより低く見えた。
「え……?」
ふとガラスの戸棚に視線を移すと、中にいた『それ』と目が合う。すぐ近くにいる謎の魔法使いによく似た、鮮烈な毛色に華やかな目の色。それをかき分けて震える猫の耳と腰で揺れる黒い尾は、人間の身体に付随するにはあまりにも不釣り合いで。故にだろうか、戸棚に『隠れている』猫だか人間だかはっきりしない『それ』は、文字通り他人のようには思えなかった。
「ん~……もしかして、お前がその使い魔だったり? 専門外だから詳しくは知らんけど、擬態とか変化とかそういう感じの魔術で人型をとってる〜、とかなら辻褄が合うよな。魔物ってそういうのが得意なやつが多いみたいだし」
「いや、そんなことより! 言葉が通じるなら教えてくれ! 誰だあいつは! また侵入者か!?」
「あいつって……あぁ、虚像とかいう概念が無いのか。あれはお前自身の姿だよ。鏡や水面……う〜ん、改めて当たり前のことを説明するのは難しいな。そうだ、試しにこうやってみてくれ」
魔法使いの真似をして、ガラス戸に向かって前足を振る。すると、戸棚の中の猫人間も同じように手を振り返した。
「こんな風に、同じ姿で同じ動きを返してくる。あれは実際にそこにいるんじゃなくて、お前が目の前にいるときだけ現れる幻みたいなものだ」
「幻……」
「そう。あっ、でも俺はちゃんとここに実体があるぞ? 名乗るのが遅れてごめん、俺は真緒。見習いの退魔師だ」
その後、真緒と名乗る退魔師は、『分かる範囲で良ければ』と、これまでの経緯を簡単に話してくれた。
あの薄ぼんやりとしたローブの人物は、山から下りてきた魔物が化けたものだったらしい。野暮用でこの家の近くの森にいた彼はその気配を感じ取り、何かあったらすぐに駆けつけられるようその森に住む友人の家で待機していたようだ。
「そんなわけで、侵入した魔物は外に誘導して綺麗に退治しておいたから安心しろ。大魔女さんの遺産なんて、価値がありすぎて逆に価値がつかないくらいのお宝だ。そんなものが魔物の手に堕ちたら、今度こそどうなるか分からない」
単独行動に走ったのはお上に怒られそうだけどな、と苦笑いを浮かべる真緒は、『幻』という形で俺の姿を自分自身で見られるようにしたものらしい『あれ』と自分がそっくりだと言っていた。俺はといえば、会って間もない相手と、本当の姿もまだ実感としてはっきりしない自分が似ていると心からは思えない。
「お前のことも、これ以上放置するわけにもいかないよな。街に戻ったらまとめて報告しておくから、えっと……あぁ、そういえば看破防止の観点から使い魔であっても契約中に名前付けるのは違法なんだっけか」
でも、『似ている』と思われたくは――このような人間に近付きたいとは強く思う。彼は魔物の気配を感知してすぐに計画を練って、たったひとりで俺を助けに来てくれた。誰かを守る強さがある、そう評価するに値する行動だ。
「契約者の死亡時点で契約は自動的に解消されてるし、協会に保護してもらうにしたって次の主人を見つけるまでは通称くらいあった方がいいよな~? どうする? あれならひとっ飛びして姓名判断師に相談してくるけど」
『名は体を表す』、そんなことを主も言っていた。今はまだ遠くても、願うことくらいできるはずだ。瓶詰めの星屑を握りしめて震えているだけの弱い子猫の自分を捨てて、星のようなまばゆさを退魔師装束の内側に秘めた彼にいつか手が届くことを。
「……みゃお、みゃ……」
「?」
「まお。真緒……マオ」
「は、はい。何でしょう?」
これは、『俺』として生きていく第一歩。
「あんたの名前、俺にもくれよ」