真ん中に温もりを

「俺さぁ、ずっと前から好きだったんだよな」
「え……?」
 つい耳を疑いたくなるほどストレートな言葉が、彼の口から飛び出す。いつもは俺に対して素っ気なくて、素直じゃなくて。どれだけの愛情表現もさらりと流してしまう彼が、唐突にそんなことを言い出すのは想定外で、つい手元の道具を取り落としそうになった。
「初めて見たときから思ってたよ。『あぁ、これは運命だ』って。蓋を開けたら予想外の要素が多すぎてびっくりしたのも事実だけど、気付いたらこんなにも病みつきになっててさ。きっとこれから先も俺は離れられない。そう思うと嬉しく思うと同時に……少し、背筋がぞくっとしたかな」
 柄でもない癖に、月並みな言葉を並べ立てて紡ぐ告白。今日に限ってどうしたというのだろう。お年玉を値上げしてもらおうと親戚に媚びる子供じゃあるまいし、何らかの目的で足元を見ているとも思えない。
「ま~くん。一応訊くけど、それ本気で言ってる?」
「お前、冗談でも嘘吐かれるの嫌いだろ~? 本気に決まってるって。この気持ちは嘘じゃない、なんてな」
「でも、何でそんなこと今言うのさ。何も企んでないだろうね?」
「こうしてゆっくり凛月といられるのは久しぶりだからな。いつもは登下校も休み時間も、家に帰ってからも慌ただしくて、こういうことなかなか言えなかったし」
 すぅ、と軽く深呼吸をし、再び開かれたま~くんの目は、まるでステージ上での彼のそれが如くキラキラと輝いていて。にかっと笑って白い歯を剥き出しにすれば、それはもうまさしく太陽そのもの。その表情でもう一度言いたければ言うが良い。愛しのお日さま、月に焦がれたその胸の内を。
「ずっと好きだったよ、りっちゃん――」

「――お前が作るお菓子の、味だけは」

 ゾンビをイメージしたジンジャークッキーを摘み、血の色をしたノンアルコールシャンパンを呷りながら、彼は悪気など微塵も感じない爽やかな笑顔をこちらへと向けた。
「…………」
「ん? お~い、りっちゃん? 何で怒ってるんだ?」
「別に怒ってないし」
「怒ってないなら破片飛ばす勢いでチョコ叩き斬るのを今すぐやめろ! 怖い!」
「やだなぁ。これも怨念を宿す儀式の一環だよ、ま~くん……っ!」
 ダンッ、ダンッ、とまな板ごと切れそうな強さで包丁を振り下ろすと、割れた板チョコの破片はすぐ近くのボウルへまっすぐ飛んでいく。路線変更。これは最近開発した『貞子の井戸ムース』にでも化けてもらおう。
「これでも精一杯褒めてるつもりだぞ? 今はともかく、流石に初めて見たときは『これも凛月と知り合ったが故の運命だな』と思って、年貢の納め時の予感までしてたけど。でも、一度食べたら定期的にまた食べたくなるほど夢中になって、もう凛月のお菓子からは離れられないだろうなって確信して。同時に怖かったけどな、薬物依存みたいで♪」
「嫌な例え方しないでよ……はぁ、今は『美味しい』の一言より、一瞬のときめきを返してほしいんだけど」
「ん? 何か言ったか?」
「もういい、黙って座ってて……」

 世間様の休みも、浮かれ騒ぎのイベントも、アイドルにとっては全てが書き入れ時。特に今年の師走は、例年一部のユニットが開催するクリスマスライブや年越しライブ、『スタフェス』に加えて、ま~くんたち『Trickstar』は『DDD』に勝利した報酬として『SS』にも出場しなければならない。そんな年末の超過密スケジュールでは、毎年恒例の年中行事を二人で楽しむことも出来まいと、期末試験直後のこの日、衣更家で二人きり、およそ一週間早めのクリスマス会を敢行している――以上、これが十二月十八日午後十九時二十七分現在、ちょっとした勘違いで新作ケーキに怨念がこもることになるまでの状況である。
「ところで凛月、一体どれだけ作るつもりなんだ? 買い出しの材料からやたら多かったけど、明らかに二人で食べ切れる量じゃないだろ」
「ん~……この辺の失敗作は兄者に全部押し付けるし……それに、明日は金曜日でしょ? 紅茶部の活動日だから、皆でクリスマス仕様のティーパーティーをする予定なんだぁ♪」
「へぇ、楽しそうだな。そういえばこの前、生徒会でもちょっとしたクリスマスパーティーを企画したんだよな」
「うん、エッちゃんに聞いた~。そもそも紅茶部の方だって、『やっぱり生徒会のパーティーだけじゃ楽しみ足りない』ってエッちゃんが駄々こねるから、半ば無理矢理やらされてる~、みたいな感じだし」
「あはは、お互いあの人には苦労させられるよな」
「まぁ、良いけどね。は~くん――うちの後輩も『ちゃんとしたクリスマスケーキなんて生まれて初めて食べます!』って喜んでたし。は~くん、どんなのが好きかなぁ? いろいろ作ってたくさん持って行ってあげないとね」
「どっちかって言うと、クリスマスよりハロウィンみたいな見た目だけどな。いつも通り邪悪なやつで攻めたいなら、黒いサンタとかモチーフにしてみると良いんじゃね?」
「ふふっ、そのアイデアいただき~♪ 流石ま~くん、分かってるねぇ」
「俺の知識なんて七割は漫画で出来てるからな~。とりわけこういうファンタジーやら伝説やらの類はネタにしてる漫画も多いし」
 クリスマスとなるとキリストや天使といった、神聖な存在ばかりがどうしても持ち上げられてしまう。お坊ちゃん育ちのエッちゃんや、クリスマスをまともに楽しんだことの無いは~くんを驚かせるにはその逆、ダークな化け物モチーフがぴったりだろうと思っていたが、なるほど、もう少しクリスマスから離れないように考えておくべきだったか。
 やはり一人より二人。いつかま~くんにもお菓子作りのノウハウを教えて、アイデアを出し合いながら作ってみたいものだ。そんなことを考えているうちに、背後のオーブンがピピピとけたたましい音を立てる。
「はいま~くん、クッキー追加ね。出来立てほやほやだから、火傷しないように」
「おっ、今度は紫色? さっきまで土気色だったのに」
「そっちは土から蘇生したゾンビだもん。こっちはウイルスのパンデミック~♪」
「あはは、無駄に設定が細かいな……」
「制作意図があってこその芸術だよ、ま~くん。そこのラズベリージャム使ってみて。ゾンビたちを血塗れにしてあげるともっと美味しくなると思う」
 クッキーの乗った皿に満遍なくジャムをかけていくま~くんを見届け、再びキッチンへと戻る。限りなく黒に近い青色の黒ごまプリンが冷えたか確認する頃、彼はダイニングで嬉しい悲鳴を上げていた。

      ☆ ☆ ☆

「う~っ、さみぃ……」
 学院、とりわけ屋内の見回りも日増しに辛くなってくる。校舎の中なら暖房のきいている教室も多いが、滞在時間の長い廊下には暖房設備自体が存在しないため、何処に行こうと寒いことにあまり変わりは無いのだが。
 今月に入ってから『今シーズンいちばんの冷え込みとなりそうです』というフレーズを、気象予報士の人は一体何回テレビの視聴者に向けて語りかけたのだろうか。夏だって年を重ねるごとに暑くなっているのに、冬も手加減しないとなるとこちらから防御態勢に入るほかあるまい。
 登下校中にしか使っていなかったマフラーと、今年初の出番となる手袋を装備して、すっかり生き生きと茂る植物も少なくなった敷地内を歩き回る。そんな中で唯一緑の残る場所――ガーデンテラスの近くまで来ると、楽しげな笑い声が鼓膜を僅かに震わせた。
 この時間ならば、食堂ではカフェメニューを提供しているはず。お茶を飲みながら談笑をする生徒、あるいは厨房で作った軽食を堪能している生徒でもいるのだろう。見回り中に道草を食ったと知られれば、今度は俺が副会長に大目玉を食らう可能性もあるが、迷惑をかけている者がいないか確認するだけでもバチは当たらないだろう。
 中の暖かい空気が漏れないよう、素早く身を滑り込ませる。声は入り口から向かって右手の方から聞こえるばかりで、他には誰もいないようだ。状況確認を済ませた瞬間、ふわ、と漂う空気が鼻孔を擽る。花とはまた違う、瑞々しい果物や、香ばしいナッツ類、人工甘味料などが混ざった、食欲をそそる類の甘い香り。よく見ると、談笑する生徒たちの輪の中に、昨日張り切ってこういった香りのするものを大量に作っていた幼馴染の姿があるではないか。

「あわわ……部長さんの気持ちは嬉しいですけど、そんな高そうなもの食べたらお腹壊しちゃいそうです」
「おや、気に入らなかったかい? 折角本場から取り寄せた限定フレーバーのマカロンなのだけれど。じゃあ、うちのシェフに作らせたこのケーキはどうかな。創くんでもブッシュ・ド・ノエルくらいは知っているだろう?」
「あっ、はい。ケーキ屋さんのショーウインドウで見たことあります~。本当に丸太みたいですね、美味しそう……♪」
「エッちゃん、ずるい~。そうやって他人と金の力では~くんを誘惑して。正々堂々実力でかかってきてよね」
「いつから僕は凛月くんと勝負することになったのかな。手作りのものを持ち寄るという決まりではないし、これでも別に良いだろう?」
「まぁ、エッちゃんが料理してる姿もあんまり想像したくはないけど。はいは~くん、あーん」
「えぇっ? だ、だめです! こんなの食べたら違う意味でお腹壊しちゃいますよ~!」
「酷いなぁ、折角ま~くんのアイデアで作った新作なのに。ほら、可愛いでしょ? この黒いサンタは自信作~♪」
「ひえっ⁉ い、今にも人を殺しそうな顔です!」
「こら凛月くん、あまり後輩をいじめるものではないよ。折角のクリスマスパーティーなんだ、皆で楽しまないとね」
「いじめてなんかいないもん。あーあ、やっぱりあんずにあげてくれば良かったな。あんずなら俺が作ったお菓子ちゃんと食べるし、食べたら必ず感想まで教えてくれるもん」

「…………」
 ――俺の話題は、それだけか?
 確かに俺は凛月に『黒いサンタ』のモチーフを提案して、会話から察するに、凛月はその通りにケーキを作った。
 しかし凛月は、紅茶部以外の相手に、俺以外の人物を選んだ。あんずも凛月の作るお菓子の美味しさを知る数少ない人間の一人だが、凛月が新作を必ず味見させる相手は彼女ではなくて――
 ――って、俺は何を考えているんだ。
 凛月はもう昔みたいに一人ぼっちじゃない。本人が気付いているか否かは置いておいて、あいつの周りには俺だけじゃない明るい世界が広がっている。俺以外の友達なんかたくさんいる。それを望んでいたのは、他でもない俺自身だ。
 『りっちゃん』はようやく『朔間凛月』になれた。引き止める権利なんか、俺には無い。
「あれ、ま~くん?」
「!」
 ひらひら、と軽く振られる白い手に、つられて同じ動作で返す。
「おい~っす。何してるの? 今は紅茶部の活動中なんだけど」
「あ、あぁ……えっと、ちょっと見回りを……」
「へぇ、ご苦労様。どう、お茶でも飲んで休んでいかない? エッちゃん、いいよね?」
「うん。真緒なら歓迎するよ」
 ざわつく心は静まらない。そこから先に結界が張られたように、凛月たちに一歩たりとも近付けない。
「わ、悪ぃ。お誘いは嬉しいけど、早く戻らないと副会長に叱られちまうから。ま、また今度な!」
 早口でまくし立て、言い終わらないうちに戸を素早く閉める。その意図は、入室したときとは違っていたけれど。
 大きく吐いた白い溜息は、夜のように暗い夕方の空気に溶けていった。ガーデンテラス内との温度差のせいか、先程より外気は刺すように冷たく、指先は一瞬にしてかじかむ。しかし、それにしては違和感があった。一部の指だけ、異様にひりひりと痛むような……。
「げっ……」
 右手にはめた手袋の中指。青無地であるはずのその先端だけが赤く、一回り細い。手のひらを裏返せば一目瞭然。紫色に変色した爪が痛々しくて、思わずその穴の開いた青い中指を伸ばして、先まですっぽりと隠した。
 しばらく箪笥の肥やしだったのに、状態も見ないまま持ち出したのが失敗だったようだ。使い始めてまだほんの数年しか経っていない代物だから傷んでいるわけでもなさそうだし、サイズが合わなくなったか、それとも虫に食われたか。
 ――厄日だなぁ、いつも以上に。
 こんな日は早く仕事を済ませて、自分の世界に引きこもった方が良さそうだ。暗い足元を注視しながら、次の見回り先へと歩みを進めた。

      * * *

 まばゆいばかりのイルミネーションで飾られた繁華街の人混みをすり抜けながら、片手に握った青い手袋に視線を落とす。使い続けるのは流石にみっともない気がして外してしまったから、今度は両手全体に冷気が刺さる。感覚なんかほとんど無くて、手袋さえも落としてしまいそうだ。
 毛糸ではなく布製だから自分で直しても構わないが、裁縫はどうも苦手だ。不器用だからではなく、裁縫針やミシン針が未だに怖くて上手く扱えないから。誤って指に刺そうものなら、血が出ていなくても作業が続けられなくなって、家庭科の授業でも課題の作品を仕上げるのがいつも遅かったのが今でも少しトラウマだった。
 こんなことになったのも、誰かさんのせいだ。
「凛月……」
「なぁに、呼んだ?」
 そう。正直経緯はあんまり覚えていないけれど、凛月が昔、俺にあんなことをしなければ――
「って、りっちゃん⁉」
「おい~っす。呼ばれて飛び出て何とやら~♪」
 背後から俺の顔を覗き込み、その前でひらひらと再び手を振る凛月。奇抜なスイーツたちは結局余らせたのだろう、左手はケーキ箱や大きな紙袋で塞がっていた。
「な、何だよ。もう帰りか? 随分早いな」
「えぇ~、またそうやって俺を邪険にするんだぁ。一体何がそんなに気に入らないのさ。さっきも折角誘ったのにすぐどっか行っちゃうし」
「……いや、何でもない。それより、パーティーは楽しかったか?」
「……………………」
「お、おい。りっちゃ――って、うおっ⁉」
 ふわり、と唐突な浮遊感。同時に、天地がぐるりと反転する。
「ちょ、待てって! 何すんだよ!」
「うるさいなぁ、暴れないでよ。ケーキもま~くんも落としたら台無しなんだから、おとなしく俺に運ばれてよねぇ」
 腹部は凛月の肩に乗り、腰に凛月の左腕が回される。いつの間に持ち替えたのか箱と紙袋は右手に移動し、俺は完全に凛月に担がれていた。
 『箸より重いものは持たない主義』などとのたまっておきながら、流石はあの朔間先輩の弟。自分と同じくらいの体格の男を片手で担ぎ、もう片方の手で大量のスイーツを抱えながら歩いているものの、足取りは安定しており、ずり落ちそうな気配も全く無い。ただ、ここはクリスマス直前の繁華街。人気の無い朝ならばこいつをおんぶして運んでも最早何とも思わないが、賑やかな人混みを、しかも自分が運ばれる立場になって突っ切るのは心底恥ずかしくて。手袋で包めなくなり冷え切った手は、火が出そうなほど血が上った顔にはむしろ心地良かった。

      * * *

「……なぁ、何のつもりだよ」
「ふふっ。昨日のパーティーだけじゃ物足りないとでも言いたげな我儘ま~くんにサプライズ~♪」
 そんな顔をしていただろうか。外部に見られている自分の感情というものはいまいちよく分からない。
 結局あのまま朔間家に拉致され、現在こうしてダイニングに無理矢理座らされているのだが、未だに状況が呑み込めていない。場所は違えど昨日に引き続き、凛月はキッチンで鼻歌を歌いながら手を動かしているし、隙を見て逃げようとしてもすぐに見抜かれてしまう。
「はい、お待たせ~」
 そうこうしているうちに、テーブルの中央に大きな黒い物体が置かれる。認識するのに時間はかかったものの、それは紛れもなく凛月のお手製ケーキだった。
 俺が出したアイデア通り、白いプレートに鎮座するそれは黒いサンタをイメージしたケーキ。ブラックチョコレートでコーティングされたベースは至って普通だが、随所に人間の手足や斧のようなものが刺さっている時点で凛月のデザインだとすぐに分かる。骸骨の山の頂点で誇らしげに笑う黒いサンタ人形が、片手に大きな血塗れの包丁を握っているのも芸が細かい。
「……でもこれ、紅茶部のパーティーのために作ったケーキだろ? 俺が食っちまって良いのか?」
「やだなぁ、ま~くんったら。これ、昨日作ったばかりの新作だよ? 一発で完成形になんかなる訳ないじゃない」
 にやり、と悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべた凛月は、キッチンから持ち出したボウルにおたまを突っ込む。半透明のプラスチック製のそれには、白い湯気を立てたドロドロの真っ赤な液体がたっぷり入っていた。
「It’s show time…」
 おたまにすくわれた液体が、とろりとケーキの上からかけられる。その標的は、サンタを象った砂糖菓子。死体の山の上でどれだけ高らかに笑っていようとも、砂糖の塊である彼が液体の熱に耐えきれるはずもなく、頭に乗せた黒い帽子からあっけなく溶けていく。その様はまるで、聖夜を乱す邪悪な魔物が血を吹きながら消えていくようで、今まで見たどの凛月の作品よりも異様で、グロテスクで、しかし、とても美しかった。
「目を逸らさないでね。ここからが本番」
 液体を注ぐ手が止まり、サンタの出血も止まっていく。もう原型など留めていないが、そこにはまだ形を成すものが佇んでいる。
「あっ……!」
 何処かで見覚えのある、その異形。固い体は、温かい液体を浴びても壊れることはなく。黒いサンタの砂糖菓子は、あのゾンビのジンジャークッキーに生まれ変わっていたのである。
「こうしてブラックサンタは、死して尚魂をその変わり果てた肉体に繋ぎ止め、聖夜で賑わう街を恐怖のどん底に陥れるのであった……めでたし、めでたし♪」
 芝居がかった口調でショーを締め括った凛月。骸を踏みつけて笑っていた今は亡きブラックサンタよりも誇らしげに笑い、あらかじめ敷いていた鍋敷きにそっとボウルを置く。
 俺はといえば、テレビで紹介されるような海外発祥のカフェでしか見たことないような光景を、すぐ目の前で、しかもよく見知った幼馴染がやってくれたことに心底感動して、他の感情を一切忘れて夢中で拍手を送っていた。
「すげぇ……! 流石だな、凛月! こういうの生で初めて見た!」
「最近はパフォーマンスも交えたスイーツがちょっとした流行りだからねぇ。俺もやってみたかったんだけど、どうしたら良いのか分からなくて。ヒントをくれたのは、こいつだよ」
 凛月が指差したのは、血塗れになっても骸骨山の頂点に立ち続けるゾンビのクッキー。時間が経ってその体に染み込んできている液体からは、甘酸っぱい刺激的な香りがした。
「これ……もしかして、ラズベリーか?」
「当たり。昨日ま~くんにあげたクッキーと同じだから、ラズベリーソースとも相性良いだろうな、って。だったら一度このサンタを殺して、中に潜んだゾンビにも一緒にかけてやろうと思ったの」
 まだ少し改良は必要だろうけどね、と、天才パティシエは苦笑する。そういえばこれはチョコレートケーキ。ラズベリーソースの熱が下のチョコレートも巻き込んで、ゾンビと骸骨の周りだけがドロドロに溶けていた。
「チョコでコーティングするのはやめた方が良いよねぇ。スポンジ剥き出しか、タルトとかに路線変更するか……まぁいいや。食べようよ、ま~くん」
 凛月の慣れた手つきでケーキが切り出され、そのうちの一ピースが目の前に差し出される。
「はい、おまけ」
 その真横に添えられたのは、とうとう山から下ろされた元黒サンタのゾンビ。一目見れば誰もが嫌悪感を示しそうな見た目だが、俺は既にその姿が少し愛らしく思えていた。
 食前の挨拶のために手を合わせかけて、ふとあることを思い出す。
「ところで凛月、何でいきなりこんなことしたんだよ。別に俺、クリスマスパーティーなんかあれだけで十分――」
「ま~くん、俺の誕生日は?」
「え?」
「いいから」
「……九月二十二日」
「そう。それから、ま~くんの誕生日は?」
「三月十六日」
 その差、約一年半。年齢だけ考慮した学年は一つしか違わないのに、いつまで経っても追いつかない年齢差を悔しがったのは一度や二度では済まない。
「今日は?」
「十二月、十九日……って、いつまではぐらかすつもりだよ。誕生日と何か関係あるのか?」
「ま~くん。『真ん中バースデー』って知ってる?」
「え?」
「ちょっと前にね、ナッちゃんが教えてくれたの。二人の誕生日のちょうど真ん中の日。本当は昨日だったんだけどねぇ……パーティーやりながら紅茶部の方の準備も~、なんて、忙しくてゆっくり祝う暇も無かったんだ、ごめんね」
「……それで、このケーキを?」
「そうそう。紅茶部で出したのはソース無し、ゾンビもいない試作品。作った後にこれ思いついたから、偉大なる発案者様が寝た後にこっそり、ね」
 嗚呼、何て馬鹿馬鹿しい。凛月の企みではなく、勝手に妬いていた俺自身が。凛月の世界がいくら広がろうとも、その中の俺の位置は変わっていなかったのだ。
「さてと。種明かしもしたところで、ま~くんにプレゼントがありま~す」
 一旦ダイニングを出て行った凛月の向かう先は、足音の音量や方向からして彼の部屋だろう。一分ほど経過する頃、凛月はいかにもクリスマスらしい色合いの包みを抱えて戻ってきた。
「はい。開けて」
「今か?」
「早く」
 強めの語調で促され、渋々包装紙を留めている金色のシールを剥がす。
「これ……凛月、何で……」
「俺がま~くんについて知らないことなんかあると思った?」
 赤と緑の包装紙の中から出てきたのは、新品の手袋。破れたものは青かったが、こちらは見ているだけでも体感温度が上がりそうな赤色だった。
「防寒具は暖色に限るよねぇ。ま~くん、ユニットでも赤担当なんだから、絶対そっちの方が似合う」
「まさか、あそこで俺に会う前に買ったのか?」
「だって、ガーデンテラスから見てたけど、ま~くんったら指隠そうと必死だし寒そうだし見てられないんだもん。穴空いてるところ、自分じゃ直せない癖に」
 誰のせいで、と言おうとして開きかけた口は、「だから」と、こいつにしてはやけにしっかりした声で遮られる。
「責任、取ってあげないといけないかなって。ま~くんがまだお裁縫出来ないの、俺のせいでしょ? だけど、手袋が使えなくなって霜焼けになったら大変だよ。ま~くんに傷痕を付けて良いのは俺だけなんだからさ」
「さらっと酷いこと言うなよ、恩知らずな奴だな~? でも……ありがとな、りっちゃん」
「どういたしまして。ほら、早くケーキ食べようよ」
 炎のように赤い手袋をそっと床に置いて、血のように赤いラズベリーソースで溶けたケーキに向き直る。
「「いただきます」」
 ほろ苦い一ピースの黒いケーキと、甘酸っぱいソースが染みてしんなりしたクッキー。
 一足早い、聖夜の幸福。
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